背中を押す声が多すぎる

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/7/16 📚 シリーズ: ちゃんと戻る、っていう希望 📝 3,279文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

主人公の「俺」と同居恋人の千紗が、毎日のモヤモヤや刺さった気持ちを、合言葉と小さな合図で、暗くならないようにほどいていく連作です。 仕事の失敗、待たされる焦れ、二択の迷い、理不尽、家族の距離、言えない「好き」みたいな“よくあるけど地味に重い”出来事を、会話と行動でちょっとずつ整えて、最後はちゃんと前に進める形にしていく、生活系の短編つながり。

本文

僕の右肩には、天使がいる。

僕の左肩には、悪魔がいる。

そして二人とも、とんでもないお節介焼きだ。

「おはよう! 今日も生きててえらい!」

「起きたなら勝ち。寝坊しても勝ち。とりあえず勝ちで行け」

起き抜けの僕の脳内は、だいたいこんな具合に騒がしい。

天使は“褒めて伸ばす”の名手で、悪魔は“言い切って押し通す”の職人。どちらも善意っぽい顔をしてくるのが厄介だ。善意と善意がぶつかると、僕はだいたい板挟みで潰れる。

今日の用事は、三つ。

ひとつ。会社で、上司に「残業を減らしたい」と相談する。

ふたつ。昼休みに、同僚の佐倉さんへ「この前の資料、助かった」とお礼を言う。

みっつ。夜、恋人の千紗に「最近、余裕がなくてごめん」と謝る。

どう考えても、全部“言葉”で片づく用事なのに。

僕にとっては、全部“命綱”みたいに重い。

「大丈夫! 言葉は軽く見えて重いから、丁寧に扱えば伝わるよ」

「重いなら投げろ。投げたら届く。届かなかったら投げ方を変えろ」

ほら、もう真逆だ。

僕は歯を磨きながら鏡の自分に小さく挨拶した。おはよう。今日も社会に出る。偉いかどうかは知らないけど、とにかく出る。

玄関で靴を履いた瞬間、天使が胸を張った。

「忘れ物チェック! 鍵! 財布! スマホ! あと、心!」

「心は置いていけ。軽くなる」

悪魔、それはただのホラーだ。

僕は心を持って、駅へ走った。結局、こういうときに一番頼れるのは足だ。足は嘘をつかない。遅刻しそうだと素直に速くなる。

午前の会議が終わり、僕は給湯室で紙コップの白湯を啜っていた。胃が痛い。胃は毎朝、出社に反対票を投じる。

そこへ、上司が現れた。タイミングが完璧に悪い。いや、良いのか。今日の用事、ひとつ目の相手だ。

「お、早いな。最近どう?」

“最近どう?”って訊き方は、便利すぎて困る。

僕の“最近”は、眠いと不安と申し訳なさが混ざったスープだ。どれから説明する?

天使が囁く。

「正直に、でも柔らかく。責めずに、自分の状態を伝えて」

悪魔が囁く。

「今言え。逃げるな。ここがチャンス。給湯室は密室。勝ち確」

勝ち確って何の勝負だよ。

でも逃げたら、また“明日”になる。明日は便利な保留棚だ。置きすぎて崩れる。

僕は紙コップを置いて、言った。

「すみません。少しだけ、ご相談いいですか。最近、残業が続いていて……正直、体が先に参ってます。業務量の調整、お願いできませんか」

言えた。

言えた瞬間、天使が拍手し、悪魔が腕組みした。

「えらい! 丁寧! 伝わる!」

「弱音を言えるのは強い。よし、次は条件交渉だ」

上司は意外とすぐ頷いた。

「分かった。今の案件、誰かに分けられるか見よう。まず、優先順位作って」

僕は、息を吐いた。

白湯の湯気が、胸の奥の霧を少し薄めた。

「ありがとうございます」

言ったら、天使が満足そうに頷き、悪魔が小さく舌打ちした。

「よかったね! ちゃんと受け取ってくれた!」

「感謝はいい。次は“いつまでに”を詰めろ」

悪魔、あなたは契約書で生きてるの?

でも確かに、期限は大事だ。僕は上司に確認した。「今週中に優先順位表を作って持ってきます」。上司は「頼む」と言った。

ひとつ目、達成。

僕は内心、ガッツポーズした。こっそり。大げさにやると自分で照れて崩れる。

昼休み、僕は社食のトレーを持って、佐倉さんを探した。

見つけた。窓際の席で、唐揚げ定食を食べている。唐揚げが似合う人だ。なんとなく。

僕は近づいて、言い出そうとして、止まった。

お礼なんて簡単。簡単なのに怖い。

怖い理由は、たぶん“返事”が来るからだ。お礼を言ったら、相手は何かを返す。返されるのが苦手だ。僕は受け取るのが下手だ。

「ほら! 今! ありがとうって言うだけ!」

「ありがとう言って、ついでに飲みに誘え。勢いで人生を進めろ」

悪魔、飲みに誘うのは今じゃない。

僕は天使に従った。今日は天使の日だと決める。

「佐倉さん。ちょっといいですか」

佐倉さんが顔を上げた。

目が合って、僕は一瞬ひるむ。ひるんだけど、言った。

「この前の資料、助かりました。僕、あの形式だと整理が早くて……ありがとうございます」

佐倉さんは、少し驚いた顔をして、それから笑った。

「え、急に丁寧。こちらこそ。あれ、私も使いやすいからテンプレ化してるだけだよ」

テンプレ化。

便利な言葉。僕もテンプレが好きだ。人生もテンプレだったらいいのに。

「よかったら、テンプレ、共有します?」

佐倉さんが言った。

天使が満面の笑みを浮かべる。

「ほら、優しさは循環するんだよ」

悪魔が頷く。

「そして借りは作るな。今すぐ受け取れ」

僕は頷いた。

「お願いします」

受け取れた。

それだけで、昼の空気が少し明るくなった気がした。

ふたつ目、達成。

僕の心の中で、天使が風船を飛ばし、悪魔が紙吹雪を撒いた。うるさい。

問題は三つ目だ。

夜。家。恋人の千紗。

千紗は怒鳴らない。

怒鳴らないのに、僕は怖い。

それは、千紗が怖いんじゃなくて、僕の“余裕のなさ”がばれるのが怖い。ばれてるのに。ばれてるのに、確認されるのが怖い。

帰宅すると、キッチンからスープの匂いがした。

いつもの匂い。

匂いは安心で、安心は油断で、油断は逃げ道になる。

「おかえり」

千紗が言った。エプロン姿。髪をまとめてる。目は穏やか。穏やかなのが、逆に刺さる日がある。刺さるのは僕の勝手だ。

「ただいま」

僕はコートを掛けて、靴を揃えた。揃える動作で呼吸を整える。僕の変な癖。千紗はそれを見て、何も言わない。言わない優しさがある。

食卓に座り、スープを飲む。

温かい。

温かいと、喉の奥の言葉が出やすくなる。

だから、今だ。

天使が囁く。

「短く、正直に。言えたら、ぎゅってしよう」

悪魔が囁く。

「言え。“ごめん”で終わらせるな。具体策まで出せ」

僕はスプーンを置いた。

「千紗、最近……余裕なくて、ごめん」

言った。

言った瞬間、胸が軽くなる。

軽くなった分だけ、怖さも出てくる。返事が来る。

千紗はすぐに返事をしなかった。

スープを一口飲んでから、言った。

「うん。ありがとう、言ってくれて」

ありがとう。

ごめんにありがとうが返ってくると、僕は泣きそうになる。

でも泣く前に続きがある。悪魔が正しい顔をしている。

「今日、上司に相談した。残業減らす方向で動く。

それと……もし、帰ってきても僕の心がまだ会社にいたら、合言葉で呼び戻してほしい」

「合言葉?」

千紗が首を傾げる。

僕は一瞬迷った。

この家、紅茶で人生を回す傾向がある。最近。

でも今日は、別の言葉にしたい。もっと僕らしいやつ。

「……“凹凸”」

千紗が目を丸くして、それから吹き出した。

「なにそれ、急に数学」

「僕の心の段差が刺さってる合図。

刺さってたら、速度落としてほしい。僕も何が刺さったか言う」

千紗は笑いながら、でも真面目に頷いた。

「いいよ。凹凸ね。

じゃあ私は、“一旦”って言う。あなたは“凹凸”って言う。

で、呼び戻す」

「呼び戻す」

「うん。家に帰ってきた人の顔に戻す」

僕の目の奥が熱くなった。

天使がそっと肩に手を置く。

「ほら、ちゃんと戻れるよ」

悪魔が小さく言う。

「良い契約だ。守れ」

守る。

僕は頷いた。

「……ありがとう」

千紗が立ち上がって、僕のカップに温かいお茶を注いだ。紅茶じゃない。ほうじ茶。香ばしい匂い。

湯気が、部屋に薄く広がる。

「ねえ」

千紗が言った。

「あなた、今日、よく話した日だね」

「……うん。脳内がうるさくて」

「脳内?」

僕は一瞬、言うか迷った。

天使と悪魔の話なんて、絵空事だ。

でも、今日は絵空事にしない日だ。

「僕の中に、お節介焼きの天使と悪魔がいる」

千紗が一拍置いて、にこっと笑った。

「どっちがどっち」

「天使は褒める。悪魔は押す」

「じゃあ私は?」

千紗が訊く。

僕は、少し考えて答えた。

「……現実」

千紗が笑って、僕の額を指で軽く弾いた。

「現実は、もうちょっと優しいよ」

僕も笑った。

天使も笑った。

悪魔は、最後に一言だけ言った。

「よし。明日も生きろ」

お節介焼きは、うるさい。

でも、うるさいから、僕は今日も言葉を拾える。

拾って、渡せる。

凹凸があっても、手すりがあれば歩ける。

僕は湯気の向こうで、千紗の顔を見た。

今日は、ちゃんと家に帰ってきた顔だった。

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