届く前提で聞く

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/7/21 📚 シリーズ: ちゃんと戻る、っていう希望 📝 3,007文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

主人公の「俺」と同居恋人の千紗が、毎日のモヤモヤや刺さった気持ちを、合言葉と小さな合図で、暗くならないようにほどいていく連作です。 仕事の失敗、待たされる焦れ、二択の迷い、理不尽、家族の距離、言えない「好き」みたいな“よくあるけど地味に重い”出来事を、会話と行動でちょっとずつ整えて、最後はちゃんと前に進める形にしていく、生活系の短編つながり。

本文

叫びは、たいてい音じゃない。

机の端を指で叩くリズムだったり、返信の速度が半拍遅れることだったり、冷蔵庫の前で立ち尽くす背中だったり。

声じゃないものほど、聞き逃しやすい。

でも聞き逃すと、あとで取り返しがつかなくなる。

僕はそれを、何度も後悔したことがある。

だから最近、僕は“受信機”を持ち歩くようになった。

もちろん機械じゃない。

胸の中の、ちょっと敏感で、ちょっと怖がりで、でもまだやめてない部分。

そこを受信機と呼ぶことにした。

呼び名をつけると、扱い方が分かる気がする。

夜、帰宅。

鍵を回す。

カチッ。

その音はいつも、僕の体を家に入れて、心を少し遅れて入れる。

心は今日も遅れている。

でも今日は、ちゃんと呼び戻すつもりだ。

「ただいま」

「おかえり」

千紗はキッチンにいた。エプロン。髪をまとめてる。スープの匂い。

いつもの景色。

景色がいつも通りだと、人は油断する。

油断すると、叫びは見えなくなる。

僕は靴を揃えながら、千紗の動きを見た。

鍋のふたを開ける手つきが少し速い。

料理中の千紗は普段、もう少しゆっくりだ。

速いのは、焦っているとき。もしくは、怒りを隠しているとき。

僕の受信機が、微かに振れた。

リビングに入ると、テーブルにメモが置いてあった。

メモには短く。

『牛乳、買ってない』

責めてるようで責めてない文。

でも“買ってない”という事実を、今ここに置く文。

それは、日常の形をした小さな叫びだ。

僕はスマホを握りしめた。

言い訳が、すぐに指先まで上がってくる。

忙しかった。忘れた。疲れてた。

全部本当。

でも本当を並べると、誰かの叫びはかき消える。

僕は一旦、息を吐いた。

湯気のない場所でも、結論を薄める呼吸はできる。

「……ごめん。買うって言ってたのに」

言った。

言い切った。

千紗は鍋を見たまま、小さく「うん」と言った。

その「うん」の温度が、まだ低い。

低いのは、牛乳のせいだけじゃない。

僕の受信機が、もう一度振れる。

牛乳は表面。

水面下の何かが、指で水を叩いている。

「今から買いに行く?」

僕が聞くと、千紗は少し間を置いてから言った。

「……今日は、いい」

“今日はいい”は、優しさの形をした壁だ。

明日も同じことが起きたら、壁が厚くなる。

壁が厚くなる前に、僕は受信機を信じる。

「今日は、いいって言う時ってさ」

僕は言いかけて、言い方を変えた。詰めるのは違う。

受信は、取り調べじゃない。

「千紗、今日、何かあった?」

千紗の肩が、ほんの少し上がった。

それは、叫びの前兆だ。

叫ぶ前に、喉が固くなる。肩が上がる。

声になる前のサイン。

「……別に」

別に。

その二文字は、叫びの仮面だ。

仮面を剥がそうとすると、傷が広がる。

だから僕は、仮面の周りに手すりをつける。

「別に、でもいい。

言葉にするのが難しいなら、合図だけでも」

千紗がちらっと僕を見る。

目は怒っていない。

目は、疲れている。

疲れは、叫びの燃料だ。

「……凹凸」

千紗が小さく言った。

合言葉。

私たちの手すり。

僕はすぐに頷いた。速度を落とす。

今日の僕は、聞く側のヒーローだ。

飛べないが、速度は調整できる。

「刺さってるの、僕?」

千紗は少しだけ笑いそうになって、やめた。

「刺さってるのは……私のほう」

え、と思った。

僕が刺さったと思ってた。

でも千紗が刺さっている。

そういう日がある。相手が刺さっていて、こちらが気づけない日。

「どう刺さった?」

僕が聞く。

千紗は鍋の火を弱めて、タオルで手を拭いた。

ゆっくり。

ゆっくりは、言葉を作る速度だ。

「今日、職場でさ」

千紗が言った。

「新人が泣いちゃって。

私、なだめて、落ち着かせて、上司に説明して……」

千紗の声は穏やかだ。

穏やかなほど、内側の疲れが分かる。

穏やかは、防波堤だ。

「で、帰りにスーパー寄って、夕飯作って。

あなたが牛乳買ってくれるって言ってたから、デザートも考えてた」

牛乳は、ここに繋がっていた。

牛乳は、デザートの材料で、デザートは、千紗の“余裕”だった。

「でも、なくて。

なくて……別にそれだけじゃないんだけど」

千紗が言葉を探す。

僕は口を挟まない。

受信は、沈黙を含む。

「今日さ、帰り道で思ったの」

千紗が続ける。

「私、誰かの泣き声は拾えるのに、私の泣き声は拾ってもらえないんだなって」

その一文が、胸に刺さった。

刺さったけど、僕はそれを“痛い”で終わらせたくない。

痛いのは、受信できた証拠だ。

証拠なら、次の行動に変える。

「……拾いたい」

僕は言った。

言った瞬間、自分の声が頼りなく聞こえた。

頼りないのに、言うしかない。

「でも、拾えてなかった。ごめん」

千紗が少しだけ眉を寄せる。

その眉は怒りじゃない。

“やっと届いたの?”の眉だ。

「千紗の泣き声、どんな形してる?」

僕が聞くと、千紗は驚いた顔をした。

泣き声の形。

変な質問。

でも、変な質問は、ときどき救いになる。説明がいらなくなるから。

「……私はね」

千紗が言う。

「声にしない。

だから、手が速くなる。

鍋のふたを乱暴に開けたり、歯磨き粉を出しすぎたり、返信を短くしたり」

全部、僕が見落としてきたサインだ。

見落としたくせに、千紗の生活は続いていた。

続いていたから、僕は甘えた。

“続いている”は、問題がない証拠じゃないのに。

「今日、私は叫んだ?」

千紗が聞いた。

怖い質問。

でも、受信したい。

「叫んでた」

僕は言った。

言い切った。

「牛乳のメモ。鍋のふた。『今日はいい』の言い方。

全部、叫びだった」

千紗の目が少し潤んだ。

泣かない。

でも、潤む。

潤むのは、受信できた証拠だ。

「……届いた?」

千紗が小さく言う。

僕は頷いた。

「届いた。

今まで、届いてなかった分も、届かせたい」

千紗が息を吐く。

その息は、壁が少し薄くなる音。

「じゃあ、どうする?」

千紗が聞く。

悪魔が言う。具体策まで。

天使が言う。優しく。

僕は両方を混ぜて、言った。

「まず、牛乳買いに行く。

それから、帰ってきたら、千紗の“泣き声チェック”をする。

声じゃなくてもいい。手の速度とか、鍋のふたとか、返信の短さとか。

僕が見て、言葉にする」

「言葉にするの、怖くない?」

「怖い。

でも、怖いままやる。

叫びを音にするのが、僕の役目なら」

千紗が笑った。

やっと、楽が少し戻った笑い。

笑いが戻ると、部屋が明るくなる。

「じゃあ、行ってきて」

千紗が言った。

“今日はいい”じゃない。

“行ってきて”だ。

それだけで、僕の足は軽くなった。

夜の風は冷たい。

スーパーの明かりが眩しい。

牛乳を手に取る。

それだけのことが、今日はやけに意味を持つ。

帰宅。

鍵。

カチッ。

僕は牛乳を掲げて言った。

「ただいま。受信機、修理してきた」

「なにそれ」

千紗が笑う。

笑いながら、牛乳を冷蔵庫に入れる。

僕は靴を揃え、手を洗い、リビングに座った。

「で」

千紗が言う。

「泣き声チェック?」

僕は頷いた。

まず、温かいものを出す。湯気は結論を薄める。

「一旦、紅茶飲む」

千紗が「またそれ」と笑った。

笑いながら、でもちゃんとカップを用意する。

湯気が立つ。

僕は千紗の手を見る。

さっきよりゆっくりだ。

鍋のふたの音も静かだ。

それだけで、今日の叫びが少し収まったのが分かる。

「今日の叫び、受信した。

明日は、もっと早く受信する。

遅れたら“凹凸”」

千紗は頷いた。

「うん。

私も、叫びを出す練習する」

「出して。音じゃなくてもいい。

僕が拾う」

それが、僕のヒーローごっこだ。

駆け出しのヒーローは、空を飛ばない。

でも、届く前提で聞く。

届いたら、ちゃんと返す。

叫びは、音じゃない。

でも確かに、僕に届く。

今日、それが分かった。

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