朝市の買いすぎ
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
真昼山の山頂に、ひとりの子どもが降り立った。 名はハル。泣きそうなほど眩しい朝日を見上げたその瞬間、世界は“きれいすぎる”方向へ盛られてしまう。音は響きすぎ、匂いは良すぎ、善意は増えすぎる。 原因は神界の「泣かせない係」。 生活感のあるお役所みたいな職員室で、主犯神アマネが今日も宣言する。 「おねぇちゃんに、まかせて!」 涙ゼロを目指すあまり、世界を盛りすぎて大パニック。ゆれりんが鳴れば朝礼集合、盛っては直して反省会。なおし係まで巻き込まれ、業務はいつも過多になる。 一方、地上では麓の共同保護の家「結び家」が、飯と湯と順番で今日も回る。 パニックは去らない。だけど生活に編み込めば、笑って眠れる。 泣かせないおねぇちゃんと、泣く暇のない日常が出会う、ドタバタほのぼのハイファンタジー。
本文
朝市は、匂いより先に「声」が来る。
声が来ると、足が出る。足が出ると、財布が出る。財布が出ると、だいたい負ける。
「今日は、買いすぎない」
コトが言った。宣言は強い。強い宣言は、だいたい破られる。
「買いすぎない!」
レンカが復唱した。復唱は札になる。札になると、安心して買いすぎる。
「……買うな」
ユリネが即座に言った。
言い方が乾いているのに、朝市の匂いで少しだけ柔らかい。朝市は人を甘やかす。
タケルは籠を持っている。持ち方が真面目だ。
ハルは籠の中を覗き込んで、すでに腹の顔をしている。
シノは人の背中の後ろで、小さく息を吸った。
「……くん」
匂いが好きな子は、朝市で忙しい。
並び始めた野菜は、まだ眠そうな顔だ。
眠そうなのに、手を伸ばす人は起きている。
釣り銭の皿がカチカチ鳴って、朝のリズムになる。
「ほら、安いの、ある」
コトが指をさす。
「安いのは危ない」
ユリネが返す。
「安いと買う」
レンカが元気に言う。
「買うな」
「買わない!」
言いながら、レンカの手はもう財布に触れている。触るな。
最初の一つは、いつも正しい顔をしている。
玉ねぎ。じゃがいも。根菜。正義。
正義は買っていい。買っていいのは、ここまでだ。
「これで十分だ」
ユリネが籠を持ち上げた。軽い。軽い籠は、危ない。
「十分って、どれくらい?」
タケルが聞く。
「十分は、十分だ」
ユリネは説明しない。説明しない方が増えない。
そのまま帰れれば、勝ちだった。
でも朝市は、帰らせる気がない。
帰らせないのは人じゃない。品だ。匂いだ。声だ。小銭の音だ。
レンカが、別の台の前で止まった。
葉物。瑞々しい。朝露の顔。
「これ、安い!」
「買うな」
「買わないけど、安い!」
安いを言うな。
売り手の人が笑って、束を持ち上げた。
「今朝採れ。二束でこの値段」
二束、が危ない。二束は「一束の顔」をしている。
「二束は一束」
コトが真顔で言った。
「違う」
タケルが即座に突っ込む。
「でも心は一束」
「心で腹は満たせない」
ユリネが刺す。刺さる。刺さると買わないはずなのに。
レンカが財布を開いた。
開いた瞬間、銅の音が鳴った。
カチ、と小さく鳴る。小さく鳴ると、もう決まった気がする。
「……買わないって言ったのに」
レンカが自分で呻いた。
「言ったのに、やるのがレンカだ」
コトが笑う。笑うから買う。
束が籠に入る。
籠がまた重くなる。
重くなると、次の“ついで”が出る。
そこで、シノが立ち止まった。
目が止まった先に、乾いた果実みたいなものが並んでいる。
色がきれいだ。朝の光で、ほんの少しだけ透ける。
「……きれい」
シノが言った。小さい声。小さい声は、だいたい通ってしまう。
「きれい! 買う!」
レンカが即座に言った。
「買うな」
ユリネがまた言った。
「でもシノがきれいって言った!」
「言っただけだ」
言っただけ、は危ない。言っただけの願いは、叶えたくなる。
売り手の人が笑って、ひと握りを紙袋に入れた。
「少しでいいよ。味見」
味見は優しい。優しいが、朝市では燃料だ。
「味見!」
コトが目を輝かせた。
「味見は一つ」
ユリネが釘を刺す。
「一つ!」
レンカが復唱した。復唱は札になる。札になると、増える。
紙袋が籠に入る。
籠が少し重くなる。
重くなると、今度は“合わせ”が出る。
「甘いなら、しょっぱいも要るよね」
タケルが真面目に言った。
正論で殴るな。合わせは強い。強い合わせは、材料を呼ぶ。
「呼ぶな」
ユリネが言う。
「でもスープに入れたら強い」
タケルが引かない。
「強いとか言うな」
「強いのは断定」
「……推測で強い」
タケルが言い直して、コトが笑った。笑うと買う。
干し肉っぽいものが、籠に入る。
入った瞬間、籠の底が見えなくなった。
底が見えない籠は、勝ってるようで負けている。
「……重い」
ハルが小さく言った。重いは、危険の合図だ。
「重いなら減らす!」
レンカが言った。減らし方が危ない。
「減らすなら、買うのを止めろ」
ユリネが刺す。
「止める!」
レンカが言った。
言った直後に、また別の台の前で止まった。止まるな。
台の上に、粉の袋が積まれていた。
白い。角が揃ってる。角が揃ってる袋は危ない。
「……粉」
コトが言った。嫌そうなのに目が光る。だめだ。
「平焼きパン、増やせるね」
「増やすな」
ユリネが即答する。
「でも、増えると嬉しい」
「嬉しいの数を数えろ」
「数える!」
コトが勢いで返して、自分で笑った。笑うと買う。
袋は一つだけ。
一つだけ、と言いながら、売り手が「おまけ」と言って小袋を添えた。
おまけは優しい。優しいのに、危ない。
断れないと、優しさが増える。
「……受け取るな」
ユリネが小さく言った。
「でも、くれた」
レンカが言う。
「くれたなら、返すな」
「返さない!」
返さないを言うと、返したくなる。朝市はそういう場所だ。
籠が、もう一回だけ重くなる。
重くなると、足が遅くなる。
遅くなると、後ろが詰まる。
詰まると、誰かが避ける。
避けた人が、籠に当たる。
当たると、紙袋が傾く。
傾いた紙袋から、乾いた果実が一粒だけ転げ落ちた。
ころん。
小さく鳴る。小さく鳴ると、拾いたくなる。
「拾う!」
レンカが言いかける。
「拾うな」
ユリネが即座に言った。
「今、手が増えると、足が増える」
足が増えると、籠が揺れる。揺れるとまた落ちる。無限だ。
タケルが足でそっと粒を止めて、手を使わずに拾える位置まで寄せた。
手を使わないのはえらい。走り手の足は、たまに賢い。
「……すげえ」
コトが言って、褒めそうになる。
「褒めるな」
ユリネが止める。褒めると増える。
気づいたら、朝市の角で知ってる顔が通った。
昨日、早出しで混ぜ混ぜを作った張本人。ミナギだ。
息が白い。元気。悪気ゼロ。危ない。
「おっ、買ってる買ってる! 今日、当たり日だろ!」
「当たり日を増やすな」
ユリネが即座に言う。
「え、でもさ、当たりは当たりだよ?」
「当たりの数を数えろ」
「数える!」
ミナギが勢いで返事をして、自分で首を傾げた。「何を」みたいな顔。
レンカが籠を持ち上げて、へらっと笑った。
「重いから、配る!」
言うな。
配る、が出た瞬間、朝市の空気が一段だけ変わった。
配るは善意だ。善意は人を呼ぶ。呼ばれると、断れない。
「え、いいの?」
「ほんとに?」
「じゃあ、こっちも持ってきな!」
返しが増える。返しが増えると、減らない。
「減らすために配るのに、増える……!」
コトが笑いながら呻いた。呻きが明るい。明るい呻きは救いだ。
レンカはもう、誰かの手に袋を押しつけていた。
押しつけ方が優しい。優しいから、相手が受け取る。
受け取った相手が笑う。
笑うと、お礼を言う。
お礼を言うと、シノを見る。
「さっきの、きれいって言った子だよね? いいの選ぶねぇ」
「……っ」
シノの肩がびくっと跳ねた。跳ねると目立つ。目立つと照れる。照れると逃げる。
シノは、籠の影に半歩下がった。
下がったところへ、別の人が通る。
通る人が「ごめんね」と言って、またシノを見る。
見るな。見ると逃げる。
「……シノ、逃げる顔」
タケルが小声で言った。
「逃がすな」
ユリネが言う。泣かせない係は、逃げも止める。
しかし、止める前に、シノはするりと背中を抜けた。
抜け方が静かだ。静かに抜けると、追えない。
追うと騒ぐ。騒ぐと朝市が増える。増えるのはだめだ。
「シノ、どこ!」
レンカが声を上げかけて、コトが口を塞いだ。
「声で探すと、もっと目立つ」
正論で殴るな(二回目)。
ユリネは、ため息を一つだけ吐いた。
「……札、回せ」
言った瞬間、結び家の空気が戻る。札は紙じゃなくても効く。
「今、何の札?」
コトが聞く。
「飯」
ユリネが言い切る。
「飯?」
「飯の札が回ってる時だけ買う。回ってないなら、配るな。交換にするな。返すな」
短い。短いのに、全部刺さる。
「返すな?」
ミナギが首を傾げる。
「返されると増える」
「……確かに! 俺、さっき返しちゃった!」
「やるな」
「やらない!」
ユリネは朝市の端の欠けた石を指でとん、と叩いた。
欠けは今日も目印だ。目印があると、人は止まれる。
「配るなら、欠けまで。一列。取るのは一個。礼は一言で終わり」
終わり、が入ると終われる。
終われると、配るが増殖しない。
コトが声を張った。
「欠けまで! 一個! ありがとうで終わり!」
復唱が広がる。復唱が札になる。
朝市の人たちが笑った。
「なるほどねぇ。優しさにも手順だねぇ」
笑いがあると、手順が刺さらない。刺さらないのに効く。最高だ。
レンカは配る手を止めた。
止め方が悔しい。悔しいのに止められるのが偉い。
「……じゃあ、配るの、ここまで」
「ここまで」
コトが復唱する。
「……ここまで」
ハルも小さく言う。小さい声が混ざると、決定が固まる。
タケルが欠けの外側に人の流れを作る。
走らない。腕で道を作る。走らないのが、今日は一番の仕事だ。
ミナギは、なぜか張り切って「一個!」を配る側に回った。
「はい一個! はい一個! 増やすな!」
「お前が増やしてる」
ユリネが即座に刺す。
「増やしてない! 数えてる!」
数えてるなら、よし。数え方が雑でも、今日は許す。今日は泣かせない係だ。
配りが落ち着いた頃、シノが戻ってきた。
戻り方が小さい。小さいのに、手には小さな包みがある。
包みは、さっきの乾いた果実。
誰かが、そっと渡してくれたらしい。
「……これ、もらった」
シノが言う。
「もらうな」
ユリネが反射で言いかけて、言い方を変えた。
「……もらったなら、飯にする」
飯にする、と言うと、罪悪感が消える。消えると照れが残る。
「飯にする!」
レンカが元気に言って、また買いそうな顔になる。
「買うな」
「買わない!」
言いながら、レンカは財布をぎゅっと握った。握るのはいい。離すな。
結び家は籠を抱えて帰った。
さっきより軽い。軽いのに、顔は明るい。
明るいのは、増えなかったからだ。優しさが増えずに回ると、疲れが少ない。
家に着くと、台所が待っていた。
鍋がある。水がある。札がある。
飯の札が、柱から揺れている。
「……飯」
ユリネが札を見て言った。合図みたいに。
「飯!」
レンカが返す。返しが軽い。軽い返しは生活向きだ。
コトが買ってきた野菜を広げる。
広げると、多い。多いのに、さっきの朝市みたいに“増えない”多さだ。
「これ、全部、鍋に入る?」
タケルが聞く。
「入る分だけ入れろ」
ユリネが言う。
「入らない分は?」
「明日」
明日、と言われると、焦りが減る。焦りが減ると、買いすぎが減る。たぶん。
レンカが粉の袋を見て、目を輝かせた。
「平焼きパン、増える!」
「増やすな」
ユリネが返す。
「でも、増えると腹が勝つ」
「腹は勝つな。満たせ」
言い方が乱暴なのに、なんか正しい。正しいのが悔しい。
シノが乾いた果実の包みをそっと開けた。
匂いが甘い。甘い匂いは、心をほどく。
「……きれいだった」
シノが小さく言った。
「きれいは、飯にして正解だ」
コトが笑う。笑いが、シノを見ない。見ない優しさ。最高だ。
鍋が鳴り始めた。
野菜が煮える音。
湯気が立つ音。
湯屋とは違う、家の湯気。
ハルの腹が鳴った。
「……ぐぅ」
「報告が早いな!」
ユリネが豪快に笑った。
「生きてるなら飯!」
言いながら、鍋のふたを開ける。
湯気がふわっと上がって、朝市の声を全部、家の中にしまった。
レンカが箸を持ってうずうずする。
「いちばんに食べる!」
「いちばんは断定」
ユリネが返す。
「……推測で、いちばん!」
「推測の使い方が雑だ」
タケルが笑って、みんなが笑った。
最後に、ユリネが短く言う。
「飯! 湯!」
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