噂止め前哨
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
真昼山の山頂に、ひとりの子どもが降り立った。 名はハル。泣きそうなほど眩しい朝日を見上げたその瞬間、世界は“きれいすぎる”方向へ盛られてしまう。音は響きすぎ、匂いは良すぎ、善意は増えすぎる。 原因は神界の「泣かせない係」。 生活感のあるお役所みたいな職員室で、主犯神アマネが今日も宣言する。 「おねぇちゃんに、まかせて!」 涙ゼロを目指すあまり、世界を盛りすぎて大パニック。ゆれりんが鳴れば朝礼集合、盛っては直して反省会。なおし係まで巻き込まれ、業務はいつも過多になる。 一方、地上では麓の共同保護の家「結び家」が、飯と湯と順番で今日も回る。 パニックは去らない。だけど生活に編み込めば、笑って眠れる。 泣かせないおねぇちゃんと、泣く暇のない日常が出会う、ドタバタほのぼのハイファンタジー。
本文
噂は、足音より先に走る。
走るのが得意なものほど、止めるのが難しい。
難しいのに、止めないと増える。増えると、生活が詰まる。
朝、結び家の戸を開けた瞬間に、もう一つ走っていた。
「……ここ、落とし物、預かってくれるって」
玄関先。近所の人が、手のひらに小さな飾りを乗せて立っている。
飾りは綺麗だ。綺麗だから、落ちる。落ちたら困る。困るから、噂が走る。
レンカの目が、きらっとした。
泣かせない係が、勝手に立ち上がる目だ。危ない。
「預かる!」
「預かるな」
ユリネが即座に刺した。
「でも困ってる顔!」
「困ってる顔は分かる。だから順番だ」
ユリネは指を二本立てる。
「一、置く場所を作る。二、声は一回」
「声は一回!」
レンカが復唱して、自分の口を押さえた。増やさない努力は偉い。
コトが玄関の脇、石の欠けを軽く叩いた。
欠けは今日も線になる。
「欠けまで。落とし物は、いったん欠けに置く。持ち主が来たら戻す」
「え、ここに置いていいの?」
「いい。今日は“いったん”」
コトの“いったん”は強い。終わらせない優しさだ。
近所の人がほっとして、飾りを欠けの石の横にそっと置いた。
そっと置けると、場が柔らかい。柔らかいと噂も丸くなる。なってほしい。
タケルが真顔で言った。
「……噂、早くない?」
「早いのが噂だ」
ユリネが淡々と返す。
「止める?」
「止める前に、朝市へ行く」
「止めないの?」
「止めるのは、朝市の口だ」
口。
紙じゃない。板でもない。箱でもない。
今はまだ、口が一番増える。
朝市へ向かう道すがら、すでに“口”が何度も行き交っていた。
「結び家が、落とし物を集めてるって」
「返してくれるって」
「箱があるって」
箱。
まだ無い。
無いのに、あることになっている。
あることになっていると、持って来られる。持って来られると混ざる。混ざると泣く。今日は泣かせない係が疲れる。
レンカがぶつぶつ言う。
「箱、ないのに」
「ないものは、ない」
ユリネが短く言った。
「でも噂がある」
「噂はある。だから順番」
朝市の角を曲がった瞬間、噂の形が見えた。
見えたと言っても、噂に顔はない。
顔の代わりに、手がある。
手が三つ。
それぞれ、小さなものを持っている。
「すみません、ここ……」
「落とし物、預けたくて」
「結び家さんって、返すの上手いって」
上手い。
上手いは褒め言葉の顔をしている。
顔をしているが、今日の上手いは事故の入口だ。
レンカの足が一歩出かける。
出るな。出ると受け取る。受け取ると混ざる。
「受け取らない」
ユリネが先に言った。
言い方は固いが、刺さらない固さにしてある。湯気みたいな固さ。
「えっ」
持ってきた人が困る顔をする。困る顔は刺さる。刺さるとレンカが動く。止めろ。
コトがすっと前へ出た。
声を大きくしない。笑顔を増やさない。増やさないのに、優しい。
「預けるじゃなくて、“置く”にしましょう。欠けまで」
「欠けまで?」
「欠けまで。落ちたものは欠けに置く。持ち主が来たら、持ち主が持っていく」
「じゃあ……ここ、結び家さんが見ててくれるの?」
「見てる、じゃなくて、順番で回す」
コトが言って、ユリネが小さく頷いた。頷きで十分。
だが、口は止まらない。
止まらないから口なのだ。
「返してくれるって聞いた」
「箱があるって聞いた」
「昨日、皿に置いてたって」
皿。
皿はあった。
でも皿は箱じゃない。皿は仮だ。仮は増えると死ぬ。
ユリネが短く言った。
「声は一回。欠けまで。終わり」
終わり。
終わりが言えると、人は少しだけ止まる。
止まった瞬間に、タケルが動いた。
タケルは、朝市の端の方へ目をやった。
走り手の子がいる。
荷を運んだり、釣り銭を走らせたり、声を届けたりする子たち。
朝市の足。朝市の耳。朝市の口。
タケルは手を振らない。
指も立てない。
目だけで合図を出して、顎を一度だけ動かした。
走り手の子が、気づいた。
気づき方が速い。速いのに、暴走していない。
暴走しない速さは、育てる価値がある。
子が小走りで近づいてきて、タケルの横で止まった。
止まり方が偉い。走り手は止まれないと事故る。
「……何?」
子が小声で訊く。小声が朝市向き。
タケルは真顔で言った。
「口で止めたい」
「噂?」
「噂」
「三言までなら回せる」
三言まで。
その制限が、いちばん助かる。
制限があると、暴走しない。
タケルは、三言を作った。
作り方が短い。短いのに、必要なものが全部入っている。
「落とし物は、欠けまで」
「声は一回」
「持ち主が持つ」
走り手の子が頷いた。
「回す」
言って、すぐ走り出さない。
一拍置いて、まず周りを見る。偉い。
それから、足音を増やさない走りで、朝市の端へ散っていった。
「……今、動いた?」
レンカが目を丸くした。
「動いた」
ユリネが言う。
「暴走しないの?」
「まだしない」
ユリネの「まだ」が、今日の題名みたいだった。
しかし噂は、口で止める前に、口で増える。
増え方が最悪だった。
「結び家が、落とし物を集めて“選ぶ”って」
選ぶ。
その一語で、空気が少しだけ刺さる。
刺さると、善意が硬くなる。硬くなると、戻せない。
レンカが息を飲んだ。
泣かせない係は、泣かせる噂に弱い。
「選ばない!」
レンカが叫びかけた。
「叫ぶな」
ユリネが即座に刺す。
「でも!」
「声は一回だ」
「……っ」
レンカが口を押さえた。止まれるなら勝ち。
コトが、欠けの石の前へ、布を一枚だけ広げた。
布は箱じゃない。
箱じゃないが、置く場所は要る。
置く場所があると、手が混ざらない。
「置く場所、ここ」
コトが言った。
「ここに置けばいいの?」
「置けばいい。取るのは持ち主」
持ち主。
その言葉を、同じ調子で繰り返す。
繰り返すと、口が整う。
整うと、噂が丸くなる。なってほしい(二回目)。
だが、持ち主は、だいたい自分が持ち主だと信じている。
信じていると、手が伸びる。
伸びると、取り違える。
欠けの布の上に置かれた髪留めに、別の手が伸びた。
伸び方が速い。速い手は危ない。
「それ、あなたの?」
タケルが真顔で言った。
声は小さい。小さいのに止まる声だ。
「え、違うの?」
伸ばした人が手を止める。止まれるなら助かる。
そこへ、走り手の子が戻ってきた。
戻ってきたが、息が切れてない。切れてないのが怖い。元気すぎると暴走する。
子が小声で言う。
「回した。もう一個、噂がある」
「何」
タケルが訊く。
「箱、今日置くらしいって」
置くらしい。
誰が言った。
言ったやつ、盛りすぎだ。
「置かない」
ユリネが即答した。
「でも、置くらしいって」
「らしいで増える。増やすな」
増やすな、が口に出ると、周りが少し笑う。
笑いがあると、刺さりが減る。
刺さりが減ると、噂が弱くなる。よし。
タケルが真顔で、走り手の子に言った。
「三言、もう一回」
「三言」
子が頷く。
タケルは、三言を作り直した。
今度は噂の棘を抜く三言。
「箱は、まだない」
「欠けまで、置く」
「持ち主が、持つ」
走り手の子が頷いて、今度こそ走った。
走り方が、さっきより少し丁寧になっている。
暴走しない。まだ。
その“まだ”の間に、朝市の現場は一度、詰まった。
詰まるのは、人が優しいからだ。
優しいから、みんな手を出す。
手を出すから、混ざる。
混ざるから、詰まる。
生活はいつも、善意で詰まる。
「じゃあ俺、これ預かってもらう!」
と、誰かが言いかけた。
預かる、が出たら危ない。箱が生える。
「預かるな」
ユリネが短く言った。
「えっ」
「預かると選ぶことになる。選ばない」
選ばない。
言い切りが、今日は必要だ。
言い切りは刺さるが、刺さりは後で生活で溶かす。
レンカが欠けの布を見て、目を伏せた。
泣かせない係が、今日は泣きそうだ。
泣きそうは、止めるのが遅い時に出る顔だ。
ユリネはレンカを見ずに言った。
「レンカ」
「なに」
「やることは二つ」
ユリネが指を二本立てる。
「道。声」
「道、声」
レンカが復唱した。復唱があると、泣きが引っ込む。
レンカは布の端を整えた。
整えるのは増やさない整え。
布を広げすぎない。場所を取りすぎない。
欠けまで、の線を越えない。偉い。
コトは、声を一回だけ増やした。
大きくない声で、通る言葉。
「落とし物は欠けまで。持ち主が持つ。声は一回」
言って終わり。
終わりがあると、口が勝手に増えない。
少しずつ、詰まりがほどけた。
欠けの布の上に置かれたものが、持ち主の手に戻っていく。
戻り方が軽い。軽いと、噂も軽くなる。
走り手の子が戻ってきた。
「もう言ってない。箱の噂、弱くなった」
「よし」
タケルが真顔で言う。
よし、が短いと、現場が締まる。
だが、締まったところで、別の噂が芽を出すのが朝市だ。
「結び家、目印の欠けがあるから戻るって」
「欠けって、縁起いいんじゃない?」
縁起。
縁起は、盛ると増える。増えると人が来る。来ると詰まる。
今日の噂止めは、前哨だ。まだ戦うな。
「縁起とか言うな」
ユリネが淡々と言った。
「でも言われてる」
タケルが真顔で言う。
「言わせとけ。困ったら止める」
「止めるの、今日だけで足りる?」
「足りない日は、飯で止める」
飯。
それが結び家の最終兵器だ。
飯は逃げない。噂は逃げる。
朝市の買い物を終えて、結び家は帰路についた。
帰り道、レンカがぽつりと言った。
「箱、欲しい……」
言い方が小さい。小さい欲しいは、許される。
「欲しいで止めろ」
ユリネが言った。
「……箱、欲しい」
レンカが言い直した。言い直せるなら勝ち。
タケルが真顔で言った。
「でも、今日の口止め、ちょっと楽しかった」
「楽しくするな」
ユリネが刺す。
「楽しくしないと、口が刺さるだろ」
タケルが引かない。
コトが笑った。
「タケルの網、今日、動いたね」
「まだ暴走してない」
タケルが真顔で言う。
「暴走って言うな」
「……推測で、暴走しそう」
「推測の使い方が雑だ」
笑いが起きる。
笑いが起きると、噂の棘が少し丸くなる。
丸くなるなら、今日の前哨は勝ちだ。
家に戻ると、欠けの石の横には、朝の飾りがまだ置かれていた。
持ち主は、帰り道で会った。
欠けの場所を伝えたら、すぐ取りに来ると言っていた。
“置く”で回る。
“預かる”で回さない。
それだけで、今日は大事故にならない。
ユリネが鍋を火にかける。
湯気が上がる。
湯気は増えてもいい。増える湯気は、生活の勝ちだ。
レンカが、小さく宣言した。
「今日、噂、止まった?」
「止まってない」
ユリネが即答する。
「えっ」
「弱くした。止めるのは、明日でもいい」
明日。
明日があると言えると、今日が軽い。
タケルが真顔で頷いた。
「前哨、だな」
「前哨」
コトが復唱して、シノがぼそり。
「……口、増える」
増える。
増えるなら、順番で減らす。
減らせる範囲で回す。
回せるなら、泣かない。
ユリネが短く言う。
「飯! 湯!」