鐘楼(初鳴り)
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
真昼山の山頂に、ひとりの子どもが降り立った。 名はハル。泣きそうなほど眩しい朝日を見上げたその瞬間、世界は“きれいすぎる”方向へ盛られてしまう。音は響きすぎ、匂いは良すぎ、善意は増えすぎる。 原因は神界の「泣かせない係」。 生活感のあるお役所みたいな職員室で、主犯神アマネが今日も宣言する。 「おねぇちゃんに、まかせて!」 涙ゼロを目指すあまり、世界を盛りすぎて大パニック。ゆれりんが鳴れば朝礼集合、盛っては直して反省会。なおし係まで巻き込まれ、業務はいつも過多になる。 一方、地上では麓の共同保護の家「結び家」が、飯と湯と順番で今日も回る。 パニックは去らない。だけど生活に編み込めば、笑って眠れる。 泣かせないおねぇちゃんと、泣く暇のない日常が出会う、ドタバタほのぼのハイファンタジー。
本文
鐘楼は、普段はただ高い。
高いだけで、影が長い。影が長いと、なんとなく避けたくなる。避けたくなるのに、生活の道はそこを通る。
鐘楼の根元に、板がある。釘がいくつか。木片がいくつか。箱もある。欠けの石もある。
増やさないで回すための角が、今日もそこにある。
角に、見慣れない人がいた。
中年の男の人。背中が固い。片手で口元を押さえている。もう片手に、小さな袋。
「……声、出ない?」
レンカが言いかけた。
「言うな」
ユリネが即座に刺す。
「でも困ってる顔」
「困ってるのは分かる。先に置け」
男の人は、箱を見て、板を見て、欠けを見て、どれも触らずに立ち尽くしていた。
触らない迷いは、助かる。迷いが静かだと、周りが慌てない。
コトが一歩だけ近づく。
声は増やさない笑顔で、指を一本立てた。
「一回だけ。ここ」
板の釘を、顎で示す。
男の人は頷いて、木片を一つ取り出した。
木片の紐を釘に掛ける。かたん。小さい音。小さい音は、近くの人にだけ届く。
木片には、字が一行。太くない。短い。
拾いました。小袋。
男の人は、その下に自分の袋をそっと置いた。箱には入れない。欠けまで、の線を越えない。
置いたあと、口元に手を当てて、息を吐いた。声が出ない人の吐く息は、言葉より強い。
そこまでは、きれいだった。
きれいなまま終わるはずだった。
通りの向こうから、誰かが叫んだ。
「鐘、鳴らせばいいじゃん!」
言った声は軽い。軽い声は、増える。
増える前に止めないと、紙が増える。人が増える。角が死ぬ。
ミナギが、待ってましたみたいに前へ出た。
「そう! 合図! 合図だよ! 板に気づいてもらう!」
「増やすな」
ユリネが刺す。
「増やしてない! 助けるだけ!」
「助け方が増えると、迷い方が増える」
「迷い方?」
「混線」
その瞬間、ミナギの目がきらっとした。きらっとは危ない。
鐘楼の柱の横に、縄が垂れている。縄は、普段は誰も触らない。触らないのが作法だ。
作法を破るのは簡単だ。簡単は事故の入口。
「じゃあ、鳴らす!」
「鳴らすな」
ユリネの声が刺さった。
刺さったのに、ミナギの手は止まらない。止まらない手は善意だ。善意はやたら強い。
ミナギが縄を引いた。
引き方が大げさじゃない。引いただけ。
なのに、上で何かが動く気配がする。空気が変わる。
ゴン。
短い一撃だった。
それだけ。
それだけなのに、朝市の声が一瞬だけ薄くなる。薄くなったところに、鐘の余韻が残る。
「……鳴った」
ハルが小さく言った。
鳴った、の次に起きるのは、動く、だ。
動いた。
それも、一斉に。
朝市の列が、半分だけほどけて、鐘楼の方へ流れた。
直し屋の路地に向かっていた人が、足を止めて戻ってくる。
湯屋へ行こうとしていた人が、「え、いま?」みたいな顔で立ち止まる。
子どもが「なに!?」と走り出して、走るなと言われる前に走っている。
合図が効きすぎた。
効きすぎる合図は、全員を動かす。
全員が動くと、逆に詰まる。
「ちょっと、何!?」
「火事!?」
「落とし物? 箱?」
「直し屋の順番??」
「朝市が安いって合図?」
口が混ざる。
混ざると、板が意味を失う。
意味が失われると、木片の一行が「何でも」になる。
何でもは、最悪だ。
板の前に人が溜まった。溜まると、覗く。覗くと、押す。押すと、箱が揺れる。
揺れた箱に、誰かの肘が当たる。ふたが、ぱた、と鳴る。
鳴ると「開いた!」が増える。増えると手が伸びる。
「預ければいいの?」
「探してるのはこれ?」
「うちの子、迷子!」
「迷子は板じゃない!」
「板、鳴ったじゃん!」
鳴ったじゃん、は危ない言葉だ。
鳴ったじゃんは、責任を鐘に押し付ける。
押し付けると、人が雑になる。雑になると、混ざる。
レンカの肩が上がった。上がると、泣かせない係が走る。
走ると、さらに詰まる。詰まると、泣く。今日は泣かせない係が泣きそうだ。
「……すー」
レンカが深呼吸をした。
深呼吸は、最近の結び家の救命具だ。救命具は増やさない。
ユリネは、鐘楼の柱を一度だけ見上げた。
高い。
高いのに、鳴らすと低い。
低い音は遠くまで届く。届くと人が来る。来ると詰まる。
詰まる前に、順番を作れ。
「……鳴らすな、二回目」
ユリネが短く言った。
ミナギが口を開けかけた。
「え、でも一回しか鳴らしてないし」
「だから二回目を止める」
「止める!」
ミナギが反射で復唱して、自分で口を押さえた。言い直せるなら勝ち。
コトが板の前で、両手を広げた。広げ方が“壁”じゃない。“線”だ。
「欠けまで。ここから先、入らない」
「欠けまで!」
誰かが復唱した。復唱が起きると、場が少しだけ整う。
タケルが真顔で道を一本作る。
腕を広げる。足を動かさない。声を増やさない。
「通る道、一本。止まるなら壁際。箱に触るな」
触るな、が刺さらない程度に短い。
短いと、人は引っ込める。
引っ込めると、箱が箱のままでいられる。
しかし、混線はもう始まっている。
板の釘に掛かった木片が、ぐらっと揺れる。
揺れる木片の下に、別の木片を掛けようとする手が出る。
「これも合図にしよう!」
「うちも困ってる!」
「じゃあ私も!」
合図板(貼り)と口頭が混ざり、内容が混線する。
混線の真ん中に、声の出ない男の人がいる。
本人が一番困っているのに、本人の用が薄まっていく。最悪。
ユリネは、そこで一歩だけ前に出た。
一歩だけ。
一歩だけが、場を変える。
「鳴らす順」
三文字じゃない。四文字。
それでも短い。短いから刺さらない。
刺さらないのに、全員の耳が向く。鐘より小さい声が、ここでは効く。
「鳴らすのは一人」
ユリネが言った。
ミナギが反射で胸を張る。
「俺!」
「お前じゃない」
ユリネが即答した。
「えええ」
「お前は鳴らしたい顔だから」
「ばれた!」
ミナギが悔しそうに笑う。笑えるなら勝ち。だが任せない。
ユリネは、縄の根元に手を添えた。引かない。添えるだけ。
「ここに手を置くのは、今日だけ、私」
言い切りが硬いのに、怒ってない。怒ってない硬さが生活向きだ。
次に、ユリネは板を顎で示す。
「鳴らす前に、板に一枚」
「一枚?」
誰かが聞く。
「一枚。困りは一つずつ」
「一つずつ」
タケルが真顔で復唱する。復唱は作法になる。
そして、ユリネは最後に言った。
「動く順」
言葉が増えそうで危ない。
だから、増やさないまま見せる。
ユリネは指を二本立てた。
「一、当事者だけ動く」
指を一本折る。
「二、それ以外は道」
道。
道と言われると、ハルが小さく頷いた。
「……道、ならできる」
小さい声が、混線の熱を少し冷ます。冷ますのは暴力じゃない。整える冷ましだ。
レンカが息を吸って、言い直す。
「当事者だけ。道」
言い直せるなら勝ち。泣かせない係は、今日は泣かせないだけじゃなく、増やさない係にもなる。
ここで、最初の案件に戻す。
板に掛かっている木片。拾いました。小袋。
声の出ない男の人が、袋を持っている。
これだけ。これだけを通す。
コトが男の人の横に立つ。
笑顔は増やさない。声も増やさない。
「声、一回できる?」
男の人は首を横に振った。できない。
「じゃあ、代わりに一回」
コトが言った。これ以上は言わない。
コトが通りに向けて、声を一回だけ出す。
「小袋、拾いました。板、見てください」
一回。
一回だけだと、全員は動かない。
全員が動かないのが、今日の勝ち方だ。
少し先で、若い人が立ち止まった。
手を胸の前で探っている。探り方が焦っている。
焦っている人は、持っていない。持っていないから探っている。
「あ……それ、私の……」
若い人が言いかけて、周りを見る。
周りはもう、押してこない。押してこない空気ができている。
ユリネの「動く順」が効いている。
「当事者だけ」
タケルが真顔で言った。
若い人が一歩だけ前に出る。
一歩だけなら詰まらない。
コトが欠けの石の上に、小袋をそっと置いた。
置く。
手渡しにすると礼が増える。増える礼は鐘を呼ぶ。今日は呼ばない。
若い人が袋を取り、深く息を吐いた。
「……助かった。鐘、鳴ったから」
言った。
言った瞬間、周りの人が「鐘、便利」の顔になる。危ない。
「便利って言うな」
ユリネが刺した。
「えっ」
「鐘は便利じゃない。効きすぎる」
説明じゃない。実感だ。実感は増えない。
ミナギが我慢できずに言う。
「でもさ、今の、うまくいったじゃん!」
「いった」
ユリネは否定しない。否定すると反発が増える。増えるとまた鳴らす。
「だから順だ」
順。
それだけで、ミナギの肩が少し落ちた。落ちると二回目を引かない。偉い。
問題は、ここからだ。
最初の困りが解決すると、待っていた困りが前へ出たくなる。
出たくなる困りが、三つ重なると混線が戻る。
「うちの子、迷子!」
「直し屋、誰か行く?」
「湯の札、落ちてた!」
混ざる。
混ざると鐘を鳴らしたくなる。
鳴らしたくなると、縄を見る。縄を見ると、手が出る。
ユリネは縄を見せない。見せないのに、縄の前に立った。
立つだけで、手が止まる。
「鳴らすのは一個だけ」
ユリネが言った。
「一個だけ?」
「一個だけ。だから、先に板」
板。
板があると、困りが一つずつになる。
コトが釘を指でちょん、と弾く。空いてる釘を見せる。
「迷子は板じゃない。直し屋は道。湯札は箱。分ける」
分けると言い切らない。言い切ると喧嘩が増える。
代わりに、動きで分ける。
タケルが真顔で道を二本にする。二本は危ないが、今日は必要な二本だ。
一つは“通るだけ”。
一つは“板を見るだけ”。
見るだけの線があると、置きたくなる手が止まる。
ハルが、迷子の母親の肩をそっと指で示す。
言葉じゃない。方向だけ。
母親はその方向へ歩き出す。歩き出せるなら勝ち。
迷子は、鐘じゃなくて足で探す。足で探すのが一番増えない。
シノがぼそりと言った。
「……混ざると、泣く」
誰も反論しない。
反論しないと、言葉が増えない。増えないと、動ける。
湯札の人が、箱の前で立ち止まる。
箱の中を覗いて、札を見つけて、すぐ取った。
取ったら戻る。戻るのが早い。早いのに走らない。偉い。
直し屋の人は、板に掛けようとした木片を引っ込めた。
「……道、分かった」
短い。短いと増えない。
迷子の母親は、角を曲がった先で子どもを見つけた。
子どもが笑っている。笑いはいい。
泣いてないなら、鐘を鳴らさなくていい。鳴らさないのが勝ちだ。
ここで、鐘を鳴らしたくなる声が出る。
「じゃあ、次は鳴らさなくてもいい?」
誰かが訊いた。訊くのは偉い。勝手に鳴らさないのはもっと偉い。
「鳴らすのは、最後」
ユリネが言った。
「最後?」
「板も口も効かない時だけ」
説明は少ない。少ないから、反発が増えない。
ミナギが口を尖らせた。
「じゃあ鐘、ほとんど鳴らさないじゃん」
「ほとんど鳴らさないのが正しい」
ユリネが即答する。
「えええ」
「鳴ると全員が動く。全員が動くと詰まる。詰まると困りが増える」
「増やすな」
ミナギが自分で言い直して、苦笑いした。言い直せるなら勝ち。
鐘楼の前の人だかりは、少しずつほどけた。
ほどけると、朝市の声が戻る。袋の擦れる音が戻る。小銭が細く鳴る。
鐘は、もう鳴らない。鳴らないで済んだことが、今日の回収だ。
最後に、男の人が口元の手を外して、かすれた声で一言だけ言った。
「……ありがと」
一言だけ。
一言だけだから、誰も泣かない。誰も盛らない。増えない。
結び家は帰る。
帰り道、レンカが小さく言った。
「鐘、すごかった」
「すごいとか言うな」
「……効きすぎた」
レンカが言い直す。言い直せるなら勝ち。
「効きすぎたから、順番が要った」
コトが笑う。
「順番、鐘にもいるんだね」
「鐘は道具じゃない。口を整えるだけだ」
ユリネが言って、自分で一度だけ息を吐いた。
言葉が増える前に、止める。自分も。
家に戻ると、鍋が鳴っていた。
湯気が上がる。湯気は増えていい。増える湯気は生活の勝ちだ。
ミナギが椀を取ろうとして、
「順番」
ユリネが一言。
「……はい」
ミナギが言い直す。言い直せるなら勝ち。
レンカが小さく宣言した。
「今日は、鳴らす順と動く順で、泣かせなかった!」
「泣かせないのはいい。増やすな」
「増やさない!」
タケルが真顔で言った。
「鐘、初鳴り、短くて良かったな」
「短いのが勝つ」
コトが言いかけて、
「勝ちとか言うな」
ユリネが刺す。
「……助かった」
コトが言い直す。言い直しは増えない。
ハルが小さく頷く。
「……詰まる前に戻った」
シノがぼそり。
「……音、混ざらなかった」
ユリネが短く言う。
「飯! 湯!」