走った結果、噂が増える
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
真昼山の山頂に、ひとりの子どもが降り立った。 名はハル。泣きそうなほど眩しい朝日を見上げたその瞬間、世界は“きれいすぎる”方向へ盛られてしまう。音は響きすぎ、匂いは良すぎ、善意は増えすぎる。 原因は神界の「泣かせない係」。 生活感のあるお役所みたいな職員室で、主犯神アマネが今日も宣言する。 「おねぇちゃんに、まかせて!」 涙ゼロを目指すあまり、世界を盛りすぎて大パニック。ゆれりんが鳴れば朝礼集合、盛っては直して反省会。なおし係まで巻き込まれ、業務はいつも過多になる。 一方、地上では麓の共同保護の家「結び家」が、飯と湯と順番で今日も回る。 パニックは去らない。だけど生活に編み込めば、笑って眠れる。 泣かせないおねぇちゃんと、泣く暇のない日常が出会う、ドタバタほのぼのハイファンタジー。
本文
朝の角は、静かだった。
板は板。釘は少し。木片は一枚。箱は閉じてる。欠けの石は欠けたまま。
静かだと、安心する。安心すると、人は“言葉を足さずに済む”……はずだった。
今日は逆だ。
静かだから、余計に「何か出た?」が出る。
「ねえ、掲示が出たって」
通りの端で、誰かが言った。
言い方が軽い。軽いのに、耳が勝手に重く受け取る。
「掲示?」
レンカが言いかけて、口を押さえた。えらい。
「言うな」
ユリネが即座に刺す。
「……胸の中で掲示」
「胸の中なら勝手にしろ」
掲示板は、ある。
落とし物箱の隣。箱のふたの横。木の板が一枚。
そこへ行く途中の道が、すでに“行きたい背中”で太っていた。
太るって言うな。胸の中で太る。
太った背中は、だいたい走り手を呼ぶ。
走り手の子が、角に立っていた。
足が早いのに止まれる子。
昨日、叫ばないで指で示すのを覚えた子。
今日は、その“覚えた”が逆に火種になっている。
子は、通りの人に向けて、指を一本だけ立てた。
板の方向を示して、口を押さえる。
動きだけ。声は出ない。
出ないはずなのに、周りの口が勝手に続きを作る。
「ほら、見ろって!」
「何か出たんだ!」
「朝市、早い?」
「井戸、欠けまで固定?」
固定って言うな。胸の中で固定。
固定が出た時点で、もう“決まりっぽい”が生まれている。
「確定って言うな」
ユリネが短く言った。
短いから刺さらない。刺さらないのに、周りの口が一拍止まる。
止まったところで、ミナギが余計なことを言う。
「でもさ、“掲示が出た”って言い方、便利じゃん」
「便利って言うな」
「……助かる?」
「助かるのは口が減った時だ」
結び家は、掲示板の前へ着いた。
板は、すっきりしていた。
紙は一枚も増えていない。
木札が一枚だけ、ちょこんと掛かっている。
見る
それだけ。
それだけなのに、周りの人が「え?これだけ?」の顔になる。
顔がなると、口が増える。
「見るって、何を?」
「掲示の内容が無いじゃん」
「書いてないってことは、隠してる?」
隠してるって言うな。胸の中で隠してる。
胸の中で疑って、口に出すと増える。増えると噂になる。噂は太る。
タケルが真顔で板を指した。指先だけ。増えない。
「見れば分かるやつだけ書く」
「分かるやつ?」
「準備中とか。欠けまでとか」
「じゃあ今日は?」
「……今日は、ない」
ない、は強い。
強いけど、刺さらない言い方で置くと、場が落ち着く。
落ち着く前に、別の口が割り込んだ。
「でも走り手が“板”って言ってた!」
言ってた。
言ってた、は危ない。
言ってたが増えると、言ってないことまで増える。
「板って言われたら、掲示が出たって意味じゃん」
「意味じゃない」
ユリネが短く切る。
「じゃあ何」
「見る」
ユリネは同じ言葉をもう一回だけ置いた。二回目は増やす二回目じゃない。戻す二回目だ。
ここで、噂の芯が出た。
芯はいつも、善意だ。
「掲示が出たって言えば、みんな走らなくて済むと思って」
言った人が、困り顔で笑った。
困り顔は刺さる。刺さると「責めたくない」が増える。増えると曖昧になる。曖昧になると、また噂が太る。
コトが柔らかく言い換えた。
「走らせないために、言葉を足したんだね」
「そうそう」
「でも足すと、別の足が走る」
コトの言い方が、生活の循環だ。刺さらない。
ハルが小さく言った。
「……口の掲示」
「言うな」
ユリネが反射で刺して、すぐ直す。
「……口を掲示にするな」
言い直すと、周りが少し笑った。刺さらない笑いは助かる。
問題は、笑ってる間にも噂が走ることだ。
掲示板の前に人が溜まると、朝市へ行く人が「何かある」と思って寄る。
寄ると、また口が増える。増えると、朝市が薄く前倒しになる。
前倒しになると、洗い籠が混ざる。混ざると、また豆が転がる。
ころん。
案の定、掲示板の足元で、小銭が転がった。
転がった先が、欠け石の近くだ。
拾う手が出ると、また背中が詰まる。
「拾う!」
ミナギが言いかけて、
「拾うな」
ユリネが刺す。
「えっ、でもお金」
「本人が拾え。周りは動くな」
タケルが真顔で、小銭の逃げ道だけ足で止めた。
手を出さない。足だけ。足は偉い。
落とした人がしゃがんで拾う。
拾ったら終わり。終わると、掲示板の前の背中が一段薄くなる。
薄くなったところで、ユリネが線を置いた。
言葉の線。短い。増えない。
「“掲示が出た”って言うな」
「えっ」
「見たなら“見た”。聞いたなら“聞いた”。終わり」
終わりがあると、噂が太りにくい。
太りにくいって言うな。胸の中で太りにくい。
レンカが息を吸って、言い直した。
「……聞いた、って言う」
「よし」
ユリネが短く頷く。
レンカは止められる。止められる人が一人いるだけで、場が戻る。
走り手の子が、困り顔で近づいてきた。
子の困りは、今日の困りだ。
「ごめん。俺、板って言った」
「言ったって言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で言った」
「胸の中なら勝手にしろ」
コトが子の目線に合わせて、しゃがまないで首だけ落とした。
しゃがむと増えるから、今日は首だけ。
「次からは、声じゃなくて指だけでいいよ」
「指だけ」
子が復唱して、口を押さえた。止まれるなら勝ち。
タケルが真顔で補助する。
「言うなら一語。“見る”だけ」
「見る」
子がもう一回復唱して、今度は自分から一歩下がった。下がれるなら勝ち。
掲示板の前の人の一人が、照れくさそうに言った。
「じゃあ……さっきのは“聞いた”でした」
「そう」
ユリネが短く返す。
「掲示が出たって言い方、やめる」
「言うな」
ユリネが刺して、すぐ直す。
「……やめるなら、よし」
これで終わる、はずだった。
噂は、しぶとい。しぶといって言うな。胸の中でしぶとい。
背中の外側で、別の口が小さく漏れた。
「でもさ、掲示板に“合図で朝市”って書くと分かりやすいよね」
分かりやすいは増える入口だ。
増える入口は、次の話を呼ぶ。
「書くな」
ユリネが短く言った。
「えっ」
「書くと決まりに見える」
「決まりは守れない」
タケルが真顔で続ける。
「守れないと揉める」
真顔の列挙は怖い。怖いのに、想像できる怖さは止まる。
止まったところで、掲示板の板番のおばさんが、木札を一枚だけ指でとん、と叩いた。
見る。
それだけ。
板番のおばさんは言わない。言わないのが上手い。
結局、人は散った。
散り方が静かだ。静かだと、朝市が朝市の順番に戻る。
匂いが立つ。声が後。小銭が最後。
戻ったなら、今日は勝ちだ。勝ちって言うな。胸の中で勝ち。
……でも噂の芽は残った。
残るって言うな。胸の中で残る。
帰り道、ミナギがぽつり。
「走り手が走ると、噂も走るんだな」
「言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で走る」
「胸の中なら勝手にしろ」
レンカが口を押さえたまま、真面目に頷いた。
「見た、聞いた、で止める」
「よし」
ユリネが短く言う。
タケルは真顔で、少しだけ目を伏せた。
反省は暗くしない。一回で終わるのがいい。
家に戻ると、鍋が鳴っていた。
湯気が上がる。
湯気は増えていい。増える湯気は生活の勝利だ。
ミナギが椀を取ろうとして、
「順番」
ユリネが一言。
「……はい」
ミナギが言い直す。言い直せるなら勝ち。
タケルが真顔で言った。
「今日、走った結果、噂が増えた」
「言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で、増える」
「胸の中なら勝手にしろ」
ハルが小さく頷く。
「……口を掲示にすると、太る」
シノがぼそり。
「……指だと、太らない」
コトが笑う。
「走るのを止めるんじゃなくて、言葉を太らせない」
「言うな」
「……胸の中で太らせない」
「胸の中なら勝手にしろ」
レンカが小さく宣言して、すぐ口を押さえた。
「今日、掲示が出たって言わなかった!」
「言いかけた」
ミナギが真顔で言いかけて、
「未遂って言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で未遂」
「胸の中でも言うな」
刺さらない笑いが湯気に混ざって、台所が軽くなる。
噂は残った。残るって言うな。胸の中で残る。
でも今日は、生活で沈めた。沈めたなら、明日も回る。
ユリネが短く言う。
「飯! 湯!」
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