輪が“手紙箱”になりかける
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
真昼山の山頂に、ひとりの子どもが降り立った。 名はハル。泣きそうなほど眩しい朝日を見上げたその瞬間、世界は“きれいすぎる”方向へ盛られてしまう。音は響きすぎ、匂いは良すぎ、善意は増えすぎる。 原因は神界の「泣かせない係」。 生活感のあるお役所みたいな職員室で、主犯神アマネが今日も宣言する。 「おねぇちゃんに、まかせて!」 涙ゼロを目指すあまり、世界を盛りすぎて大パニック。ゆれりんが鳴れば朝礼集合、盛っては直して反省会。なおし係まで巻き込まれ、業務はいつも過多になる。 一方、地上では麓の共同保護の家「結び家」が、飯と湯と順番で今日も回る。 パニックは去らない。だけど生活に編み込めば、笑って眠れる。 泣かせないおねぇちゃんと、泣く暇のない日常が出会う、ドタバタほのぼのハイファンタジー。
本文
角の板は、昨日より“板”になっていた。
釘は一本。木札は一枚。輪は一つ。箱は閉じてる。欠けの石は欠けたまま。
静かだ。静かって言うな。胸の中で静か。
静かなのに、輪の前だけ、空気が小さく盛り上がっている。
盛り上がるのは、たいてい紙だ。紙は軽い。軽いと増える。増やすな。
輪の前に、紙を持った人がいた。
紙は小さい。字も小さい。角ばってる。丁寧な紙の顔。
丁寧な紙は、貼りたがる。貼ると残る。残ると増える。増やすな。
「これ、輪に掛けていい?」
言い方が確認で助かる。断定じゃない。
でも“いい”が出ると次が来る。次が来ると輪が輪じゃなくなる。
板番のおばさんが腕を組んで言った。
「今日だけ」
短い。短いから刺さらない。刺さらないのに、紙の手が止まる。止まれるなら勝ち。
レンカが息を吸って口を押さえた。えらい。
「……輪、便利」
「言うな」
ユリネが即座に刺す。
「……胸の中で便利」
「胸の中でも増やすな」
便利は危ない。
便利は“置ける”を呼ぶ。
置けるは“置きっぱなし”を呼ぶ。
置きっぱなしは“誰でも見る”を呼ぶ。
誰でも見るは“口が太る”を呼ぶ。
輪が一つあるだけで、未来が太る。太るって言うな。
紙の人が、恐る恐る言った。
「でも、これ……急ぎで」
急ぎ。
危ない単語。
急ぎは鐘を呼ぶ。鐘は足を呼ぶ。足は混ざる。増やすな。
「急ぎって言うな」
ユリネが短く刺す。
「……胸の中で急ぎ」
「胸の中なら勝手にしろ」
コトが笑顔のまま一歩だけ近づいた。
一歩だけ。増やさない距離。
「急ぎなら、輪より先に“見る”がいるかも」
「見る?」
「誰に見てほしいの?」
ここで“誰”が出ると、名前が増える。名前が増えると板が板じゃなくなる。
でもコトの言い方は、名前を聞くんじゃない。目的を引き出す言い方だ。刺さらない。
紙の人が小さく言った。
「直し屋さんに……鍵の留め具、返したくて」
返したい。
善意だ。
善意は良い。良いけど、板に載せると太る。太らせるな。
タケルが真顔で言った。
「箱を挟む」
「言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で挟む」
「胸の中なら勝手にしろ」
直し屋の人は、角の少し先でこり、こりしている。
聞こえる距離。見える距離。
見える距離なら、紙はいらない。
紙がいらない日まで紙を出すと、紙が常駐する。常駐は欄を呼ぶ。やめろ。
「紙じゃなくて、持って行けばいい」
ユリネが短く言った。
「でも、いつ居るか分からなくて」
「分からないなら、欠け」
ハルが小さく言った。
「言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で欠け」
「胸の中なら勝手にしろ」
欠けの石。
分からないものを置く場所。
置きっぱなしにしないための場所。
“今じゃない”を置く場所。
紙の人が欠けを見る。
「欠けに……紙?」
「紙にするな」
ユリネが短く刺す。
「……胸の中で紙」
「胸の中でも言うな」
板番のおばさんが、輪の下の空間を指でとん、と叩いた。
小さい音。呼び笛にならない。
「輪は“見せる”場所。欠けは“待つ”場所」
言い方が雑で、でも優しい。雑な優しさは生活に効く。
そこへ、最悪が来る。
別の紙がもう一枚、現れたのだ。
紙を持った別の人が、輪の前で同じ顔をしている。
紙の顔が同じだと、人は「じゃあ私も」になる。なると増える。増やすな。
「これも輪に?」
別の人が言う。
言い方が確認で助かる。断定じゃない。
でも確認が二つ並ぶと、輪はもう箱になりかける。
手紙箱。紙箱。口箱。やめろ。
「今日だけ、は一枚だ」
板番のおばさんが短く言った。
短いから刺さらない。刺さらないのに、二枚目の手が止まる。止まれるなら勝ち。
「えっ、でも」
「でもじゃない」
ユリネが短く切った。
「輪が箱になる」
「箱って言うな」
ミナギが言いかけて、口を押さえた。えらい。
「……胸の中で箱」
「胸の中なら勝手にしろ」
ここで輪を守らないと、明日から輪が“掲示板の掲示板”になる。
そうなると鐘が鳴る。鐘が鳴ると朝市が前倒しになる。前倒しになると豆が転がる。ころん。最悪。
未来を先に止めたい。
コトが笑顔のまま、二枚目の紙の人に言った。
「それ、誰に見てほしい?」
「湯屋番さんに……脱衣所に忘れ物しちゃって」
忘れ物。
忘れ物なら箱だ。
でも箱は物。紙は口。口を箱に入れるな。昨日やった。増やすな。
タケルが真顔で言った。
「箱を挟む」
「また言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で挟む」
「胸の中なら勝手にしろ」
湯屋番は夕方にいる。
今は朝。
今じゃない。
今じゃないなら、欠け。
欠けは便利じゃない。便利じゃないから太らない。
板番のおばさんが、輪に掛かった一枚目の紙を見た。
直し屋の留め具の話。
紙は丁寧だ。丁寧なのに太る入口だ。
おばさんはため息を一つだけ吐いて、言った。
「輪に掛けるなら、読むな」
「えっ」
「読む前に増える。読むのは必要な人だけ」
言い方が厳しいのに刺さらない。生活の厳しさだ。
紙の人が焦って言う。
「でも読まれないと意味が」
「意味って言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で意味」
「胸の中なら勝手にしろ」
コトが柔らかく言い換える。
「見せたい相手が来たら、見せればいい」
「来るまで?」
「来るまで、欠け」
ハルが小さく復唱する。復唱は作法になる。
紙の人が戸惑う。
「じゃあ、輪って何のため」
いい疑問だ。疑問は増える入口にもなる。
でもここは“説明しない”回だ。説明を足すと輪が箱になる。やめろ。
タケルが真顔で一言だけ置いた。
「見る」
それだけ。
輪も板も、同じ答えだ。
見る。
見るだけで回る。
回るって言うな。胸の中で回る。
板番のおばさんが、輪の紙をそっと外した。
外す。
外すは増えない。
外した紙を、欠けの石の上に“置かずに”、紙の人の手へ戻した。
戻すと責任が板に生えない。生えないから太らない。
「今日だけ」
おばさんがもう一回言った。
二回目は増やす二回じゃない。戻す二回だ。
紙の人が、紙をたたんで胸のポケットに入れた。
「……分かった。直し屋さん、見えたら渡す」
「よし」
ユリネが短く頷く。
これで一枚目は消えた。消えるって言うな。胸の中で外す。
二枚目の紙の人が、湯屋の忘れ物の話を言いかけて、止めた。止まれるなら勝ち。
代わりに言い直す。
「……湯屋、夕方」
「欠け」
ハルが小さく言って、二枚目の人は頷いた。
紙を出さずに、空中で“手ぬぐい”の形だけ指で描いて、すぐ手を下ろした。
指は太らない。口ほど増えない。
板番のおばさんが一回だけ頷いた。
「見えたら言う」
短い。短いから増えない。
これで終わる、はずだった。
はずって言うな。胸の中で、はず。
ところが、輪が“使える”と分かった瞬間、人は“使い道”を増やしに来る。
増やすな。
「じゃあさ、輪に“伝言”掛けとけば便利じゃない?」
ミナギが言いかけた。
「便利って言うな」
ユリネが刺す。
「……助かる?」
「助かるのは口を結んだ時だ」
ユリネの返しが珍しく丁寧で、ミナギが口を尖らせて黙った。黙れるなら勝ち。
コトが笑って拾う。
「伝言は、目の前で渡せるときだけ」
「目の前」
レンカが小さく復唱して、口を押さえた。えらい。
「目の前じゃないなら、欠け」
ハルが小さく重ねる。
欠けが便利になりすぎない範囲の答えだ。助かる。助かるって言うな。
直し屋の人が、こり、こりと手を止めて顔を上げた。
目が合う距離。
紙の人が一歩だけ近づく。
一歩だけ。増やさない距離。
「これ、留め具……返したくて」
声は一回。
直し屋の人は頷いて、手を伸ばす前に言った。
「箱を挟む?」
「……挟む」
紙の人が言い直して、留め具を落とし物箱の前の木皿に置いた。
置いたら、直し屋の人が取る。
手渡しじゃない。責任が生えない。
生えないから、角が軽い。
相乗は結果一行でいい。
輪を使わずに返せたから、紙が増えなかった。
夕方、湯屋番が通る。
ハルが小さく言う。
「……手ぬぐい」
言い方が一回で止まる。
湯屋番が頷いて、脱衣所の端から手ぬぐいを一枚持ってきて、持ち主へ渡した。
渡したら終わり。終わりがあると増えない。
輪は、輪のままだった。
釘は一本。木札は一枚。輪は一つ。
“使える”のに“箱にならない”。
それが今日の勝ち筋だ。勝ちって言うな。胸の中で勝ち。
家に戻ると、鍋が鳴っていた。
湯気が上がる。湯気は増えていい。増える湯気は生活の勝利だ。
ミナギが椀を取ろうとして、
「順番」
ユリネが一言。
「……はい」
ミナギが言い直す。言い直せるなら勝ち。
レンカが小さく宣言して、すぐ口を押さえた。
「今日、輪を箱にしなかった!」
「箱にしかけた」
ミナギが真顔で言いかけて、
「未遂って言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で未遂」
「胸の中でも言うな」
タケルが真顔で言った。
「輪は見る。欠けは待つ」
「言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で待つ」
「胸の中なら勝手にしろ」
ハルが小さく頷く。
「……紙、増えなかった」
シノがぼそり。
「……口、二回結べた」
コトが笑う。
「便利を増やさないって、上手だね」
「言うな」
「……胸の中で上手」
「胸の中なら勝手にしろ」
刺さらない笑いが湯気に混ざって、台所が軽くなる。
輪は残る。
でも説明は増やさない。
増やさないまま回るなら、それが一番の“正式”だ。
ユリネが短く言う。
「飯! 湯!」