ホルモン頼んどいて
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
神様も妖怪も、普通に隣にいる。 それが当たり前の現代東京で、 音源オタクの柏木蒼が上野公園で拾ったのは、 硬水を飲んで腹を壊して倒れていた、やたらきれいな男だった。 「軟水……いろはすでいい……頼む……」 なし崩しで同居することになった相手の名は、闇龗神。 飛沫感染担当の龍神で、毎日どこかの湿度を調整しながら、 台風を沈めて帰ってきては冷蔵庫の水をチェックしている。 神様の「仕事」は、人間には内緒だ。 でも蒼は知っている。 こいつ、すごくいい音がする、と。 八百万の神々と妖怪が跋扈する上野を舞台に、 感染症と戦う神様たちのほのぼの日常コメディ。
本文
雨の降る土曜の夕方、玉藻前が当然のように言った。
「蒼、焼肉行くわよ」
「……急ですね」
「あんた、肉食べてないでしょ。顔に出てる」
顔に肉の不足が出るものなのか、蒼にはわからなかった。けれど、否定はできない。賄いの日以外で、まともな肉を食った記憶が、ずいぶん遠かった。
くらは、ついてこなかった。
「焼肉? 行かない。あそこ、水うまくないし」
「肉を水で選ぶな」と玉藻前が呆れる。
「水は大事だろ」
結局、くらを部屋に残して、二人で出ることになった。龍神を留守番に置いていく構図の異様さにも、もう慣れた。
連れていかれたのは、上野の路地裏の、煙のこもった小さな店だった。玉藻前は、メニューを開くなり、迷いなく注文していく。カルビ、ハラミ、それからレバーにハツにミノ。内臓系が、やけに多い。
「お姉さん、内臓いけるんすね」
「いけるわよ。むしろ好き。きれいなとこより、こういうののほうが、味が濃くていいの」
運ばれてきた皿を、玉藻前は次々と焼いては、品よく、けれど確実に平らげていく。見た目の妖艶さと、食べっぷりの豪快さが、相変わらず噛み合っていなかった。蒼は、その落差を眺めながら、おそるおそる自分のぶんを焼いた。脂が落ちて、煙が立つ。じゅう、という音がいい。蒼は反射的に、その音に耳を傾けた。
半分ほど食べ進めたころ、玉藻前のスマホが小さく鳴った。
画面を一瞥して、玉藻前の表情が、ほんの少しだけ変わる。さばさばした空気の奥に、別の何かが差した。蒼が以前、あの細い路地で見送った時の、あの顔だった。
「ごめん、ちょっと用事。ホルモン頼んどいて、すぐ戻るから」
言うが早いか、玉藻前は席を立って、煙の向こうへ消えていった。
蒼は、ひとり残された。
焼き網の上で、肉がぱちぱちと跳ねている。蒼は、言われたとおりにホルモンを追加で頼んで、それからぼんやりと、玉藻前が出ていったほうを見た。
また、これだ。
あの人には、ときどき、こうやってふっと抜けていく時間がある。どこへ行くのか、何をするのか、教えてはくれない。けれど確かに、用事はあるのだった。遊びでもなく、嘘でもなく。
蒼は、ひとりで焼けたホルモンを口に運んだ。脂が甘くて、噛むほどに味が出る。うまい。うまいのに、なんだか少しだけ、置いてけぼりの味がした。
二十分ほどで、玉藻前は戻ってきた。何事もなかったような顔で、椅子に座り直す。
「お待たせ。ホルモン頼んだ?」
「頼みました。……用事、終わったんすか」
「終わった終わった。女の子の用事」
それ以上は、言わなかった。蒼も、訊かなかった。ただ、焼き網の上のホルモンを、二人で黙ってつついた。