第三章 赤いマフラーの夜 Part2
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
古書カフェ「マロン」の琥珀色の光の中で、二人は出会った。 特撮オタクの中学三年生・相羽勇介は、正義感が高まるとすべての能力がアップする特技を持つ少年。同じく特撮を愛する江村玲愛との出会いは、彼の日常を静かに、しかし確実に塗り替えていく。 クリスマスの夜、交わした小指の約束。だが新年早々、玲愛は交通事故に遭い、記憶を失って目覚める。彼女が覚えているのは、九歳までの記憶だけだった。 「好きという気持ちに、性別も年季も関係ない」 かつて彼女に伝えたその言葉を胸に、勇介は走る。歴代のスーパーヒーローたちが命を懸けて守り続けた「正義の心」を道しるべに、たった一人の少女の笑顔を取り戻すために。 これは、ヒーローに憧れた少年が、本物のヒーローになるまでの物語。 ※作中において実在の人物名などが出ることもありますが、あくまでもリアリティを出すための演出であります。
本文
「ねえ」と、レイさんが沈黙を破った。
「こうして外で会うのって、初めてだね」
「そうだね。いつもはマロンの空間の中だから」
「なんか、ちょっと不思議な感じ」
「俺も同じことを思ってたよ」
少しだけ会話が途切れたが、それは決して気まずい沈黙ではなかった。心地よいディスタンスだ。
あの日—レイさんと初めて言葉を交わしたあの日以来、俺たちは店内で何度も顔を合わせていた。
『トッキュウジャー』のライトを演じた志尊淳氏の格好良さについて語り合って笑い、彼女が最もリスペクトするヒーローが『仮面ライダー一号・二号のダブルライダー』だという事実も仕入れた。本郷さんを陰で「本郷さん」と呼んでいる秘密を暴露しようかとも思ったが、それはまだカードとして伏せてある。ナイスなネタは小出しにするのが鉄則だ。
「今日はお友達と何のお出かけだったの?」
「クリスマスプレゼントの買い物。ゆりかの彼氏に渡すやつを選ぶの、付き合ってたんだ」
「なるほどね」
「相羽くんたちは?」
「映画。受験前の、ちょっとしたガス抜きさ」
「何観たの?」
「恋愛映画。普段の俺なら、絶対観ないようなやつ。でも、案外悪くなかったよ」
「ふふっ、正直だね」
レイさんがくすくすと笑った。彼女の口から零れた白い息が、冬の夜空に吸い込まれて消えていく。
「相羽くんって、さっきのあの酔っぱらいへの対応。すごく落ち着いてたよね。……怖くないの?」
「怖いさ。でも、怖くても動かなきゃならない時は、腹を括るしかないからね」
本当は「変身」のおかげで全く怖くはなかったのだが、ここは「少し無理をして頑張っている、ひたむきな少年」を演出してみた。俺もなかなか計算高い男だ。
「それって」とレイさんが前を見つめた。「完全にヒーローのセリフだよ」
「へへっ、特撮ヒーローに影響を受けすぎている証拠だな」
「それを言うなら、私も大概だけどね」
二人でそんな他愛のない軽口を叩きながら、歩みを進めた。
「それより」と俺は隣の横顔を見た。
「さっきのレイさんも、よっぽど凄かったよ」
「え? 私が?」
「あのタチの悪い酔っ払いを相手に、一歩も退かなかった。録画のブラフまでハメにいくなんて、大した戦術だよ」
レイさんは少し照れたように視線を泳がせた。
「……ゆりかを守らなきゃって、頭の中それだけだったから。本当は、足が笑ってたんだけどね」
「見えてたよ、震えてたの」
「え、嘘、見えてたの!? 最悪……恥ずかしいな」
しまった、と心の中で呟く。
話の流れで余計な観察眼をアピールしてしまった。彼女に余計な羞恥心を与えてどうする。俺はすぐさま、軌道修正の言葉を投げた。
「全然。怖くても踏みとどまれるのが、本物の勇気ってやつだから」
レイさんが不意に黙り込んだ。…少しセリフの糖度が高すぎたか。キザ過ぎたと反省しかけたその時、彼女は小さな声で呟いた。
「……相羽くんって、ときどきずるいくらい言葉がかっこいいね」
レイさんが笑いながら言った。
「ヒーローの英才教育を受けすぎているから」と俺は肩をすくめた。
レイさんがまた笑った。今度は、夜の空気に響くくらい声を立てて。
やがて『マロン』の暖色系の灯りが見えてくる距離まで差し掛かったところで、レイさんがふと足を止めた。
「ここまでで大丈夫。もうすぐ家だから」
「……わかった。気をつけて」
「うん。ありがとう、相羽くんも気をつけてね」
「また、マロンで」
「うん。また会おうね……クリスマスイブに」
「もちろん」
そう、来る十二月二十四日。ここ『マロン』で特別なクリスマスイベントが開催されるのだ。これを楽しみに、俺は期末試験を頑張り抜いたと言っても過言ではない。
レイさんの華奢な背中が路地の奥へと消えていくのを最後まで見届けてから、俺はバス停へと足を向けた。
本音を言えば、玄関のドアの前まで完璧にエスコートしたかったのだが、そこは紳士の引き際というやつだ。
夜風は相変わらず冷酷に吹きつけていたが、胸の奥のエンジンは、さっきまでよりずっと温かい熱を帯びていた。
「……レイさん」
誰もいない静寂の夜道で、俺はその名前を小さく呟く。
雲の切れ間から、鋭い光を放つ星が一つだけ、こちらを覗き込んでいた。
一方、その頃。
レイは帰宅する前に、閉店間際の『マロン』の店内で一息つくことにした。
ドアを閉め、コートを脱ぎながら、彼女の思考はぼんやりとひとつの残像を追いかけていた。
さっきまでの出来事が、まるで現実味を欠いた夢のようだった。胸の奥がこれほどまでにうるさく脈打っているのは、決してあの男たちが怖かったせいだけではない。その理由は、他でもない自分自身が一番よく理解していた。
(相羽くん……『家まで送る』って、言ってくれたのに)
途中で遮るように断ってしまった。
なぜあの時、あそこでストップをかけてしまったのか、自分でも上手く説明がつかない。『マロン』のすぐ近くまで来たのだから、あと数十メートル、もう少し一緒に歩けたはずなのに。なぜあそこで頑なに足を止めてしまったのだろう。
(……もう少しだけ、送ってもらえばよかったな)
レイはカウンターにぽつんと頬杖をつき、誰も通らないガラス扉の向こうをぼんやりと眺めた。
「今日は随分と遅かったじゃないか。ゆりかちゃんと何をしてたんだ?」
店の奥から、店主である父・崇の重厚な美声が響いてきた。
「うん、ちょっと色々あってね」
レイは努めて普段通りのフラットなトーンを装った。
しかし、長年に渡り愛情を注ぎ、育ててくれた父親の目を誤魔化すことは不可能な領域だった。
「……何かあったな?」
崇はカウンター越しにガシリと身を乗り出し、レイの顔を覗き込んできた。その鋭い眼光が、すっと細められる。
「顔色が優れないぞ」
レイは少しの間葛藤したが、観念して今夜の出来事をかいつまんで説明した。男たちに執拗に絡まれたこと、ゆりかが恐怖で動けなくなってしまったこと、そして——勇介がその場に現れ、一瞬で解決してくれたこと。
崇は腕を組み、娘の言葉を一切遮らずに黙って耳を傾けていた。すべてを聴き終えると、低く、穏やかで静かな声で問いかけた。
「怪我はなかったんだな」
「うん、全然。どこも痛くないよ」
「ゆりかちゃんの方は?」
「ゆりかも大丈夫。相羽くんが来てくれたから、本当にすぐに終わったの」
「……そうか」
崇がフッと胸の仕えを降ろすように息を吐いた。それからしばらく深い沈黙が店内を支配したが、やがてぽつりと、噛み締めるように言葉を漏らした。
「相羽くんか。…やはり、出来た男じゃないか」
「…うん」
レイは思わず視線を床に落とした。自分の両耳の裏が、急速に熱を持っていくのがリアルにわかった。
「だったら、なおさら家まで送ってもらえばよかったものを」
「 …っ!」
核心をズバリと突かれ、レイは完全に言葉を詰まらせた。崇は娘の動揺などどこ吹く風といった様子で、手慣れた手つきでコーヒーカップを丁寧に磨きながら言葉を繋げた。
「次は素直に甘えるんだな。そういう男の厚意は、不器用に遠慮するもんじゃないぞ」
「…お父さんには関係ないでしょ、そんなこと」
「大いに関係あるさ。私の大事な娘の安全に関わることだからね」
崇はカウンターの向こうで、低く朗らかに破顔した。レイはそれ以上反論する言葉を見つけられず、ぷいと不機嫌そうにそっぽを向くしかなかった。
(……やっぱり、送ってもらえばよかった)
さっきよりも少しだけ明確な強さで、彼女はそう思った。
コートのポケットに手を滑り込ませると、先ほど彼から手渡された使い捨てカイロが、今もなお優しい熱を放ち続けている。
レイはそのカイロをポケットの中で、両手でそっと、壊れ物を扱うように包み込んだ。
もうすぐ一年が終わろうとしている。
新しい出会いがあって、時に怖い思いもして、そして—好きな人ができて。
気がつけば、すべてが鮮烈に回り出した、そんな中三の冬だった。
(ん? ……好きな人?)
自分の脳内に浮かんだその決定的なフレーズを自覚した瞬間、レイの顔面は再び、今度は言い訳のしようがないほど真っ赤に染まった。
カイロを強く握りしめたまま、レイは静かに目を閉じた。