15話 白栄舎の察し
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あらすじ
風待町シリーズ ~寺~ - 15話 白栄舎の察し
本文
山門のところで、針金のハンガーが細く鳴った。
ちん、と一度。
それから、白いカバーのこすれる音が続く。ぱり、と乾いていて、寺の木や土の音とは少し違う。志波智明は庫裏の廊下でその音を聞いた瞬間、何が来たのか先に分かった。
白栄舎だ。
山門まで出ると、白井栄助が自転車の脇に立っていた。荷台の横へ、白いカバーのかかった上着が二つ下がっている。白井はいつものように、寺の中へ踏み込みすぎない位置で止まっていた。
「どうも」
声も、置き方がちょうどいい。
「先にこれだけ」
そう言って、白井は手前の一着を差し出した。黒の上着だった。ついこの前、智明が店へ持っていったやつだ。肩と袖に、犬の毛だの埃だの、白いものがやけに目立っていた。自分で払っても取れきらず、そのまま店へ持っていった時の、少し嫌な感じまで一緒に思い出す。
智明はカバー越しに受け取った。
表面はぱりっとしているのに、中の布はちゃんとやわらかい。その手触りで、もうきれいになっているのが分かる。
「ありがとうございます」
「あと、これ」
白井がもうひとつ、小さい紙包みを出した。上着のハンガーに麻紐で添えてあったらしい。細長くて平たい。軽い。
「何ですか」
「ついでです」
白井はそれ以上言わなかった。ただ、紙包みを渡して、自転車の荷台を軽く押さえる。店の人の手つきだった。説明するより、先に渡したほうが早い時の手だ。
智明は紙包みの重さを指先で測った。
薄い。けれど、何も入っていない軽さではない。
「……すみません」
「いえ」
白井は少しだけ笑った。
「黒、目立つんで」
それで十分通じる言い方だった。
言いすぎない。けれど、分かっているのはきちんと伝わる。智明はそこで、少しだけ救われた気がした。店であれこれ言われるより、その一言で済ませてもらうほうがよほど楽だ。
台所へ回ると、美琴が流しの横で布巾を絞っていた。白いカバーの音に、すぐ顔を上げる。
「あら」
「返ってきた」
「きれいですねえ」
美琴は手を拭いて、上着の肩のあたりへ目をやった。黒がちゃんと黒い。前に気になっていた白い毛も、埃も見えない。その横の小さい紙包みへも、すぐ気づく。
「何ですか、それ」
「ついでだって」
美琴が包みを受け取り、麻紐をほどく。紙がざらっと鳴って、中から出てきたのは白い柄の洋服ブラシだった。手のひらに収まるくらいの小さいやつで、毛並みは黒い。新品というほどではないが、ちゃんと使える顔をしている。
「あら」
美琴が笑った。
「察してますねえ」
智明は白いカバーの裾を指でつまんだ。
「言わないだけで、見てるんだよ」
「いい窓口ですね」
明るい返しだった。けれど、その言い方がいちばん近かった。白井は主役ではない。ただ、家の中へ入る前の面倒を、門の外でひとつ受けてくれる。
美琴はブラシを裏返したり表を見たりして、それから流しの横の布巾ではなく、乾いた小さい手拭いを一枚出した。柄を拭いて、智明へ渡す。
「はい」
「何で今渡すんだ」
「使うでしょう」
「もうきれいだろ」
「今のうちに、もう一回だけ払っといたら、気が楽ですよ」
その言い方も、生活のほうへ寄っているぶんだけ強い。智明はブラシを受け取った。白い柄はさらっとしていて、毛のほうは思ったよりやわらかい。
上着の袖をひと撫でする。
しゃっ。
小さい音だった。白い毛はもうほとんどない。それでも、音だけで気が済む感じがある。もう一度、肩を払う。
しゃっ。
美琴がその音を聞いて、満足そうにうなずいた。
「ほら」
「ほら、じゃない」
「でも、いい音でしたよ」
茶の間へ入ると、卓の端に湯のみが二つ出ていた。文江が一つを自分の前へ寄せ、もう一つを少しだけずらす。上着の白いカバーが茶の間の灯りを受けて、そこだけ妙に明るい。
「返ったの」
文江が言う。
「返った」
「そう」
それで半分は済んだ顔だった。けれど智明の手のブラシへ目をやって、少しだけ口元をゆるめる。
「白栄舎だねえ」
短いひと言に、だいたい全部入っていた。
白いカバー。白い柄。黒い上着。目立つ毛。何も長く言わなくても、その並びだけで分かる。
智明は茶の間の鴨居の脇へ上着をかけた。カバーがこすれて、ぱり、と鳴る。犬が縁側の外で顔を上げた。たぶん、自分の毛が消えたことまでは分かっていない。ただ、新しく入ってきた白いものと、その小さい音だけを見ている。
湊がその犬の横から覗いた。
「それ、なに」
「上着」
「そっち」
指したのはブラシだった。
「これか」
智明は少しだけためらって、それから答える。
「払うやつ」
「なにを」
「いろいろ」
そこで終わらせた。湊は分かったような分からないような顔でうなずき、犬の背をひと撫でした。すぐ、黒い毛が一筋、湊の服へつく。
美琴がそれを見て、吹き出した。
「ほら、もう働きますよ」
智明は嫌そうな顔をしたが、否定はしなかった。白い柄を持ち直し、湊の肩を軽く払う。
しゃっ。
毛がひとつ取れる。
それだけで、茶の間の空気が少しだけ整う。
文江が湯のみを置いた。
こ、と小さな音がする。
「そこでいいよ」
誰に向けた言葉かは曖昧だった。上着か、ブラシか、白栄舎の察しか。
智明は茶の間の隅を見た。白い缶コーヒーが乗っていた小皿のとなり、もう一つ小さい器が空いている。そこへブラシを置くと、柄が器の縁へ軽く当たって、こと、と鳴った。
白い柄だけが、茶の間の隅で少し浮く。
犬は縁側の外で顔を上げたまま、ブラシのほうを見ていた。
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