16話 山門で長話

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/7/16 📚 シリーズ: 風待町シリーズ ~寺~ 📝 2,835文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

風待町シリーズ ~寺~ - 16話 山門で長話

本文

山門の平たい石へ、蓋つきの小鉢がことりと置かれた。

 昼すぎの寺では、そのくらいの器の音でも妙に拾われる。志波恒一は車庫の脇で手ぬぐいを絞る手を止め、門のほうを見た。石の上に、小さな白い器がひとつ。薄い手ぬぐいにくるまれていたらしく、底のあたりだけまだ布の皺が残っている。

 その横に立っていたのは、丸山謙治だった。

「どうも」

 丸山が先に言う。

「どうも」

 恒一もそのまま返す。丸山は酒屋の前掛けをしたままで、自転車の荷台を片手で押さえていた。店の途中でそのまま寄ったらしい。

「これ、店の前で預かりまして」

 丸山が小鉢を軽く指す。

「寺さんとこ、まだ門が開いとるなら置いといてくれって」

「誰からや」

「そこは、店の前で渡していったままなんで」

 言い方がきれいだった。知らないとは言わないし、知っているふうにも言わない。店で受けた分だけを、そのまま門へ置く声だった。

 恒一は石の上の小鉢へ手を伸ばした。白地に藍の線が細く入っていて、手のひらへ乗せると見た目より少し重い。蓋のつまみが冷たかった。

「ええ器やな」

「そうですね」

「開けてええやつか」

「たぶん、持ってきたほうは開ける前提やと思いますけど」

 その返しに、恒一は少し笑った。

 笑ったついでみたいに、門のところへそのまま立つ。丸山も自転車の荷台へ手を置いたまま動かない。器を渡したら終わる話のはずなのに、終わる気配だけが少し遅かった。

 山門の外では、町の昼の音がまだ続いている。遠くで荷台の鳴る音。誰かの戸の開く音。風に乗って、商店街の揚げものの匂いがうっすら混ざる。

「最近、寺さんとこ、よう止まるな」

 丸山が言った。

「何がや」

「人がです」

 恒一は小鉢を手の中で少し持ち直した。蓋のつまみへ親指を置く。開けてもよさそうな顔をしながら、まだ開けない。

「犬もおるしな」

「犬もおる」

 丸山はうなずく。

「けど、それだけでもないでしょう」

「そうか」

「そうですよ」

 そこで丸山は、少しだけ山門の内側を見た。車庫。縁側。本堂のほう。見すぎない目の動かし方で、家の中の気配だけを取る。

「店でも、この前は酒持ってって、今日は器で、その前は花でって、何かとこっち向きの話が増えまして」

「店が窓口みたいやな」

「うちだけじゃないでしょうけど」

「花屋もクリーニング屋もおるしな」

「そういうことです」

 軽い会話だった。

 恒一はそこでようやく、小鉢の蓋をほんの少しだけずらした。

 かすかな湯気はもうない。けれど、蓋の隙間から菜っ葉を炊いた匂いが細く出る。醤油と出汁の、昼を越えた匂いだった。

「煮びたしか」

「らしいですね」

「よう分かるな」

「酒屋なんで」

 丸山の返しが早くて、恒一はまた笑った。

 そこへ、庭の端からひなが来た。竹ぼうきを持ったまま門のところの二人を見て、小鉢を見て、すぐに嫌な予感の顔になる。

「何ですか」

「煮びたしやな」

「見たら分かりますか、それ」

「匂いや」

「何で門で開けてるんですか」

「開けてへん。ちょっと見ただけや」

「見てます」

 ひなの声には、もう巻き込まれる前の気配があった。恒一は小鉢の蓋を元へ戻した。陶器どうしが触れて、小さくちんと鳴る。

「これ、店の前で預かってきまして」

 丸山がひなへも同じように言う。

「寺さんとこ、まだ門が開いとるなら、って」

「それで門で長話してるんですか」

「長いか」

 恒一が聞く。

「もう長いです」

「今始まったとこやろ」

「始まってる時点で危ないんですよ」

 ひなの言い方に、丸山が笑った。店の前でいろんな人を受ける人の笑い方だった。

 勝手口のほうから美琴が出てきたのは、そこでだった。濡れた手を布巾で拭きながら、門のところの人数と小鉢を見て、すぐに状況だけ取る。

「あら」

「増えました」

 ひなが先に言う。

「煮びたしです」

「そうですか」

 美琴は門まで来て、小鉢の蓋を少しだけ持ち上げた。今度はちゃんと開ける。中には菜の花と薄揚げが、きれいに汁気を切られて入っていた。緑と薄茶が、白い器の中でよく収まっている。

「おいしそうですねえ」

「やろ」

 恒一が言う。

「何で恒一さんが先に受けてるんですか」

「門で受けたからや」

「それはそうなんですけど」

 美琴はすぐに小鉢を受け取った。器の底を両手で支える手つきが、もう台所のものだった。

「じゃあ、これは先に中へ」

「先に、って」

 ひなが言う。

「もう入るんですか」

「だって門で置いておくものじゃないでしょう」

 明るい返しだった。

 丸山はその流れを見て、荷台のほうへ一歩だけ体を戻した。けれど恒一がまだ門から離れないので、自分もすぐには引かなかった。

「それで、よう止まるって話ですけど」

 丸山が続ける。

「前より声かけやすい、とは言われます」

「寺にか」

「寺というか、ここへですかね」

 そこで丸山は、門柱の内側を軽く指した。山門の前、車庫の気配、縁側の影。全部ひっくるめた場所のことを言っている。

「何が変わったんやろな」

 恒一が言う。

「犬もおるし、子どもらもおるし、誰かしらおる顔になったんじゃないですか」

 その話を、山門でやるのがまた妙だった。

 智明が出てきたのは、そこまでだった。帳面を片手に持って、門のところの三人と、もう中へ入った小鉢の気配をひと続きで見ている。

「……何だその人数」

「煮びたしと長話です」

 ひなが先に言う。

「まとめるな」

「まとまってます」

 智明は丸山へ軽く頭を下げた。

「すみません、いつも」

「いえ」

 丸山はきれいに返す。

「店の前で受けた分だけですから」

 その返しが、智明にはいちばん効くのだろう。嫌そうな顔はしても、強くは切れない。

「門で立つのはいいけど、完結させるなよ」

 それは恒一へ向けた声だった。

「完結してへん。今、途中や」

「途中を長くするな」

「長いか」

「長い」

 智明は即答した。

 そのやり取りのあいだに、台所から菜っ葉の匂いが少しだけ濃くなる。美琴が小鉢の中身を別の皿へ移したのだろう。陶器の当たる音が、遠くでこつと鳴る。門のところの話が、もう台所へ流れ始めていた。

 文江が縁側から一度だけ顔を出す。

「冷めるよ」

 それで十分通る声だった。

 その一言で、場はようやく少し動く。

「ほら」

 ひなが言う。

「門で長くなるから」

「長話やな」

 恒一がようやく笑って認めた。

 丸山もそこで荷台へ手を戻した。

「じゃあ、店、戻ります」

「悪かったな」

「いえ。こっちも、持ってくる口実になりますし」

「何のや」

「寺さんとこ、何かと増えてるんで」

 最後のひと言まで、店の人の置き方だった。

 台所では、煮びたしが小さい深皿へ移されていた。借りてきた小鉢は洗う前に流しの横へ置かれ、その白い肌にまだ少しだけ菜の花の匂いが残っている。

「いい器ですねえ」

 美琴が言う。

「返す前に一回、ちゃんと見とこうかと思って」

「そういうこと言うから増えるんですよ」

 ひなが返すと、美琴は笑うだけだった。

 智明が茶の間へ入る。帳面を卓の端へ置き、その横の空いたところへ、洗って返す前の小鉢がひとつだけ仮置きされる。こと、と軽く鳴る。

 夕飯の卓の端で、小鉢の蓋が伏せて置かれていた。裏返した内側の白さが、灯りを受けてわずかに明るい。

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