16話 山門で長話
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
風待町シリーズ ~寺~ - 16話 山門で長話
本文
山門の平たい石へ、蓋つきの小鉢がことりと置かれた。
昼すぎの寺では、そのくらいの器の音でも妙に拾われる。志波恒一は車庫の脇で手ぬぐいを絞る手を止め、門のほうを見た。石の上に、小さな白い器がひとつ。薄い手ぬぐいにくるまれていたらしく、底のあたりだけまだ布の皺が残っている。
その横に立っていたのは、丸山謙治だった。
「どうも」
丸山が先に言う。
「どうも」
恒一もそのまま返す。丸山は酒屋の前掛けをしたままで、自転車の荷台を片手で押さえていた。店の途中でそのまま寄ったらしい。
「これ、店の前で預かりまして」
丸山が小鉢を軽く指す。
「寺さんとこ、まだ門が開いとるなら置いといてくれって」
「誰からや」
「そこは、店の前で渡していったままなんで」
言い方がきれいだった。知らないとは言わないし、知っているふうにも言わない。店で受けた分だけを、そのまま門へ置く声だった。
恒一は石の上の小鉢へ手を伸ばした。白地に藍の線が細く入っていて、手のひらへ乗せると見た目より少し重い。蓋のつまみが冷たかった。
「ええ器やな」
「そうですね」
「開けてええやつか」
「たぶん、持ってきたほうは開ける前提やと思いますけど」
その返しに、恒一は少し笑った。
笑ったついでみたいに、門のところへそのまま立つ。丸山も自転車の荷台へ手を置いたまま動かない。器を渡したら終わる話のはずなのに、終わる気配だけが少し遅かった。
山門の外では、町の昼の音がまだ続いている。遠くで荷台の鳴る音。誰かの戸の開く音。風に乗って、商店街の揚げものの匂いがうっすら混ざる。
「最近、寺さんとこ、よう止まるな」
丸山が言った。
「何がや」
「人がです」
恒一は小鉢を手の中で少し持ち直した。蓋のつまみへ親指を置く。開けてもよさそうな顔をしながら、まだ開けない。
「犬もおるしな」
「犬もおる」
丸山はうなずく。
「けど、それだけでもないでしょう」
「そうか」
「そうですよ」
そこで丸山は、少しだけ山門の内側を見た。車庫。縁側。本堂のほう。見すぎない目の動かし方で、家の中の気配だけを取る。
「店でも、この前は酒持ってって、今日は器で、その前は花でって、何かとこっち向きの話が増えまして」
「店が窓口みたいやな」
「うちだけじゃないでしょうけど」
「花屋もクリーニング屋もおるしな」
「そういうことです」
軽い会話だった。
恒一はそこでようやく、小鉢の蓋をほんの少しだけずらした。
かすかな湯気はもうない。けれど、蓋の隙間から菜っ葉を炊いた匂いが細く出る。醤油と出汁の、昼を越えた匂いだった。
「煮びたしか」
「らしいですね」
「よう分かるな」
「酒屋なんで」
丸山の返しが早くて、恒一はまた笑った。
そこへ、庭の端からひなが来た。竹ぼうきを持ったまま門のところの二人を見て、小鉢を見て、すぐに嫌な予感の顔になる。
「何ですか」
「煮びたしやな」
「見たら分かりますか、それ」
「匂いや」
「何で門で開けてるんですか」
「開けてへん。ちょっと見ただけや」
「見てます」
ひなの声には、もう巻き込まれる前の気配があった。恒一は小鉢の蓋を元へ戻した。陶器どうしが触れて、小さくちんと鳴る。
「これ、店の前で預かってきまして」
丸山がひなへも同じように言う。
「寺さんとこ、まだ門が開いとるなら、って」
「それで門で長話してるんですか」
「長いか」
恒一が聞く。
「もう長いです」
「今始まったとこやろ」
「始まってる時点で危ないんですよ」
ひなの言い方に、丸山が笑った。店の前でいろんな人を受ける人の笑い方だった。
勝手口のほうから美琴が出てきたのは、そこでだった。濡れた手を布巾で拭きながら、門のところの人数と小鉢を見て、すぐに状況だけ取る。
「あら」
「増えました」
ひなが先に言う。
「煮びたしです」
「そうですか」
美琴は門まで来て、小鉢の蓋を少しだけ持ち上げた。今度はちゃんと開ける。中には菜の花と薄揚げが、きれいに汁気を切られて入っていた。緑と薄茶が、白い器の中でよく収まっている。
「おいしそうですねえ」
「やろ」
恒一が言う。
「何で恒一さんが先に受けてるんですか」
「門で受けたからや」
「それはそうなんですけど」
美琴はすぐに小鉢を受け取った。器の底を両手で支える手つきが、もう台所のものだった。
「じゃあ、これは先に中へ」
「先に、って」
ひなが言う。
「もう入るんですか」
「だって門で置いておくものじゃないでしょう」
明るい返しだった。
丸山はその流れを見て、荷台のほうへ一歩だけ体を戻した。けれど恒一がまだ門から離れないので、自分もすぐには引かなかった。
「それで、よう止まるって話ですけど」
丸山が続ける。
「前より声かけやすい、とは言われます」
「寺にか」
「寺というか、ここへですかね」
そこで丸山は、門柱の内側を軽く指した。山門の前、車庫の気配、縁側の影。全部ひっくるめた場所のことを言っている。
「何が変わったんやろな」
恒一が言う。
「犬もおるし、子どもらもおるし、誰かしらおる顔になったんじゃないですか」
その話を、山門でやるのがまた妙だった。
智明が出てきたのは、そこまでだった。帳面を片手に持って、門のところの三人と、もう中へ入った小鉢の気配をひと続きで見ている。
「……何だその人数」
「煮びたしと長話です」
ひなが先に言う。
「まとめるな」
「まとまってます」
智明は丸山へ軽く頭を下げた。
「すみません、いつも」
「いえ」
丸山はきれいに返す。
「店の前で受けた分だけですから」
その返しが、智明にはいちばん効くのだろう。嫌そうな顔はしても、強くは切れない。
「門で立つのはいいけど、完結させるなよ」
それは恒一へ向けた声だった。
「完結してへん。今、途中や」
「途中を長くするな」
「長いか」
「長い」
智明は即答した。
そのやり取りのあいだに、台所から菜っ葉の匂いが少しだけ濃くなる。美琴が小鉢の中身を別の皿へ移したのだろう。陶器の当たる音が、遠くでこつと鳴る。門のところの話が、もう台所へ流れ始めていた。
文江が縁側から一度だけ顔を出す。
「冷めるよ」
それで十分通る声だった。
その一言で、場はようやく少し動く。
「ほら」
ひなが言う。
「門で長くなるから」
「長話やな」
恒一がようやく笑って認めた。
丸山もそこで荷台へ手を戻した。
「じゃあ、店、戻ります」
「悪かったな」
「いえ。こっちも、持ってくる口実になりますし」
「何のや」
「寺さんとこ、何かと増えてるんで」
最後のひと言まで、店の人の置き方だった。
台所では、煮びたしが小さい深皿へ移されていた。借りてきた小鉢は洗う前に流しの横へ置かれ、その白い肌にまだ少しだけ菜の花の匂いが残っている。
「いい器ですねえ」
美琴が言う。
「返す前に一回、ちゃんと見とこうかと思って」
「そういうこと言うから増えるんですよ」
ひなが返すと、美琴は笑うだけだった。
智明が茶の間へ入る。帳面を卓の端へ置き、その横の空いたところへ、洗って返す前の小鉢がひとつだけ仮置きされる。こと、と軽く鳴る。
夕飯の卓の端で、小鉢の蓋が伏せて置かれていた。裏返した内側の白さが、灯りを受けてわずかに明るい。
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