17話 ひよりが来る

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/7/17 📚 シリーズ: 風待町シリーズ ~寺~ 📝 2,912文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

風待町シリーズ ~寺~ - 17話 ひよりが来る

本文

山門の石に、金具の小さい音がひとつ落ちた。

 ち、と乾いた音だった。大きくはないのに、午後の静かな寺では妙に耳へ残る。高瀬ひなは竹ぼうきを止め、掃き寄せた杉葉の山の上から門のほうを見た。

 門柱の脇に、桜庭ひよりが立っていた。

 高校の鞄を肩にかけたまま、少し持ち直した拍子に、横につけた銀色の金具が石へ当たったらしい。制服のままのひよりは、校門の外で見る顔と変わらないのに、静縁寺の山門に立つと、それだけで、いつもと少し違って見えた。

「来た」

 ひなが言うと、ひよりがうなずく。

「来た」

「何で」

「プリント」

 短い返事と一緒に、クリアファイルを差し出してくる。透明の中に、学校の紙が数枚。今日の連絡と、ノートの写しが一枚、はさまっているのが見えた。

「数学のとこ。あと先生がこれもって」

「わざわざ?」

「帰り道」

 ひよりはそれだけ言って、ファイルをひなの手へ渡した。プラスチックの表面が、外の空気でひんやりしている。

 それで済むはずだった。

 ひなが「ありがと」と言って受け取り、ひよりが「じゃあまた明日」と返して、山門のところで終わる。学校の友だちが来るなら、そのくらいの形がいちばん普通だ。

 けれど、その普通へ先に気づいたのは、家のほうだった。

「ひなちゃん?」

 勝手口のほうから、美琴の声が飛ぶ。

「はい」

「お客さん?」

 その一言で、ひなは少し嫌な予感がした。ひよりも、門の内側へ目を向ける。台所のほうの湯気、縁側の影、庭の端の日なた。そこへ犬が、ひよりの匂いを確かめるみたいに山門のほうへ歩いてきた。

「あ」

 ひよりが犬を見た。

「犬いる」

「いる」

「ほんとにいる」

「いるって言った」

 ひなはなぜか少し早口になる。いるのは事実なのに、見つかると何となく落ち着かない。

 美琴がそこへ出てきた。濡れた手を布巾で拭きながら、ひよりとひなの間の空気をひと目で取る。

「あら、こんにちは」

「こんにちは」

 ひよりはすぐに頭を下げた。そういうところが、ひなよりずっと落ち着いている。

「ひなちゃんのお友だち?」

「はい。桜庭ひよりです」

 自分で名乗るのも早かった。美琴はそこで、ぱっと笑う。

「どうも。いつもひなちゃんがお世話になってます」

「いや、そんな」

「プリントだけです」

 ひなが言うと、美琴は「そうですか」とうなずいた。うなずいたのに、その顔はもう次の手を決めている。

「じゃあ、お茶くらい」

「え」

 ひなの声だけが先に引っかかった。

「いや、いいです」

 ひよりも一応言う。けれど、その言い方は本気で断る時の硬さではなかった。

「山門で立ち話も何ですし」

 美琴が明るく言う。

「制服のままなら、喉も乾いてるでしょう」

「でも」

 ひなが言う。

「プリント渡しに来ただけなんで」

「渡しに来てくれたんでしょう?」

「そうですけど」

「じゃあ、そこは座ったほうが早いです」

 その返しがいちばん強い。正しさではなく、生活の順番にされると、ひなは弱い。

 ひよりはそのやり取りを見て、かすかに笑った。

「じゃあ、少しだけ」

「ほら」

 美琴が言う。

「ほら、じゃないです」

 ひなはそう言いながら、もう門のところを開けていた。ひよりの鞄の金具が、また小さく鳴る。ち、と一度だけ。

 台所では、追加の湯のみがひとつすぐに出た。

 美琴はいつもの流れの速さで、やかんを見て、茶葉を足して、卓の端の空いた場所へ湯のみをひとつ置く。白でも灰色でもない、花屋でもらった湯のみの中の、藍の線が細く入ったものだった。

「きれいですね」

 ひよりが言う。

「近所から広がったんです」

 美琴は明るく返す。

「広がったんですか」

「ええ。出てきたものが、ちょっとずつ」

 ひよりはそれ以上聞かず、茶の間の入口で靴下の足をそろえた。

 ひなはその横で、何となく落ち着かない。学校の友だちが家へ来ること自体は別に変ではない。変ではないのに、この寺の茶の間へ入るのは、学校の延長みたいにはいかない気がした。

「何でそんな顔してるの」

 ひよりが小さく言う。

「してない」

「してる」

「してないって」

 短いやり取りのあいだに、湊が茶の間から顔を出した。

「だれ」

 ひよりはすぐにそちらを見る。

「ひよりです」

「ひより」

「うん」

「ひなちゃんの」

「友だちです」

 ひよりが答えると、湊はうなずいた。

「来た」

「来たね」

 それで会話が済んでしまうのが、湊の早さだった。犬もその横へ来て、ひよりの足元を一度だけ嗅ぐ。ひよりはしゃがみこまない。ただ、鞄を膝の前へ寄せて、わずかに体を引く。その慎重さが、ひなには少しありがたかった。

「噛まないです」

「そうなんだ」

「でも今は、鼻が先」

「見れば分かる」

 ひよりがそう返したので、ひなは一瞬だけ言葉に詰まった。自分がよく言う側なのに、返されると妙に照れる。

 美琴が盆を持って入ってくる。湯のみが三つ。小皿がひとつ。小皿には、甘夏が二房だけのっていた。たったそれだけなのに、茶の間の座り方がひとつ増える。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 ひよりが頭を下げる。鞄を卓の横へ置くと、銀色の金具が畳の縁に軽く触れて、ち、とまた鳴った。

 入口の音と同じだった。

 ひなはそこで、ふっと肩の力が抜けた。

「学校、どうでした」

 美琴が湯のみを置きながら聞く。

「普通です」

 ひよりが言う。

「ひながちょっとぼんやりしてました」

「余計なこと言わないで」

「ほんとだよ」

「今日は朝から笛が鳴ってたんで」

 ひなが言うと、ひよりは「何それ」と笑った。説明しようとして、ひなはやめる。説明すると長くなる。長くなる前に、湊が横から入った。

「笛ある」

「あるの?」

 ひよりが聞く。

「ある」

「今は吹かない」

 ひなが先に言う。

「さすがに今は」

「何があったの」

「何でもない」

「何でもなくはない顔してる」

 そのやり取りで、茶の間に小さく笑いが広がる。

 文江が縁側のほうから一度だけ顔を見せた。ひよりを見る。湯のみを見る。ひなの顔を見る。そこで全部済ませたみたいに、短く言う。

「座れたねえ」

 誰に向けた言葉か曖昧だった。ひよりか、ひなか、茶の間そのものか。

「はい」

 ひよりが素直に返す。

 文江はそれで満足したらしく、すぐに引いた。長く話に入らない。その短さが、かえって茶の間のほうを落ち着かせる。

 甘夏をひとつ取ったひよりは、思ったより普通にそこへいた。犬を見て驚きすぎるでもなく、湊に構いすぎるでもなく、美琴に気を遣いすぎるでもない。ただ、来たぶんだけ座っている。

「何」

 ひよりが気づいて聞く。

「いや」

「また変な顔してる」

「してないって」

「してるよ」

 そこで美琴が笑った。

「ひなちゃん、今日はだいぶ巻き込まれてますね」

「最初からです」

「ひよりちゃん、また来てくださいね」

「え」

 ひなが先に反応した。

「何で先に言うんですか」

「だって、来たでしょう」

「今日一回で十分でしょ」

「そうですか?」

 美琴がひよりを見る。

 ひよりは湯のみを持ったまま、少し考える顔をした。それから、ほんの少し笑う。

「来ても、たぶん普通ですね」

 大げさに驚いたり、意味を持たせたりしない。ただ、来ても普通。犬がいて、湯のみが増えて、甘夏が二房ぶん減る。そのくらいの普通。

 ひなはそこで、何も言い返せなかった。

 茶の間の卓の下で、ひよりの鞄が畳へ寄っている。銀色の金具が畳の縁にかすかに触れ、体を動かすたびに、ち、と小さく鳴る。

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