18話 祭り前の紙束
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あらすじ
風待町シリーズ ~寺~ - 18話 祭り前の紙束
本文
山門の内側の石に、紙の角がぱた、と当たった。
乾いた軽い音だった。風にめくれた封筒の端が、門柱の影で一度だけ石へ触れたらしい。志波智明はその音で顔を上げた。午前の寺はまだ静かで、紙のそういう音だけが妙に先へ立つ。
山門の脇の木箱に、封筒が三つ入っていた。
白いのが二つ、茶封筒が一つ。どれも口が閉じていて、角だけが少しずつ違う。白の一つには赤い朱線がまっすぐ引かれ、もう一つには青いクリップが留まっている。茶封筒は少しだけ厚い。
「増えたな……」
言ってから、智明は門の外を見た。人影はもうない。たぶん朝のうちに置かれて、そのままになっていたのだろう。祭り前はこういう紙が急に増える。分かってはいる。分かっていても、木箱の中で封筒が三つ並ぶと、もう嫌な予感のほうが先に立つ。
取り上げると、紙の重みが指に分かれた。白いのは軽い。茶封筒だけが、少しだけずしりとしている。
茶の間へ持って入ると、卓の端にはもう紙が一束あった。朝のうちに見た控えの写しだ。輪ゴムで留めたままにしてあったのに、その横へ新しい三つを置くだけで、卓の木目がずいぶん狭く見える。
ぱさ、こ、と順に音がした。
智明はまず朱線の入った白封筒から開けた。奉納の確認。次は青いクリップの紙。回覧の控え。茶封筒は、広げた瞬間に紙の枚数だけで少し嫌になる。折り畳まれた案内、当番の表、去年の控えの返し、書き込みのある端紙まで一緒に入っていた。
「雑だな」
思わず出る。
雑なのは紙の入れ方だけではない。必要なものとそうでもないものが、同じ顔で一つの封筒へ入っている感じが嫌だった。祭り前はだいたいこうなる。急ぎたい人の紙と、後ででいい人の紙が、同じ日に同じ門をくぐる。
台所から、包丁の音がしている。
とと、と一定の速さでまな板へ落ちる音。そこへ封筒を一つ持っていくか少し迷って、智明はやめた。持っていけば、美琴はたぶん受ける。受けて、明るく、生活の順番へ落とす。そうなる前に、せめて紙の顔くらいは自分で見ておきたかった。
けれど一人で見ていると、すぐに卓が埋まる。
朱線の紙は左。クリップの紙は右。茶封筒の中身はいったん真ん中。そうやって分けているつもりでも、端紙が一枚ずれ、控えがひっくり返り、去年の表が今の紙へ半分かぶる。卓の真ん中に、まだ昼なのに夕方みたいな散らかり方ができていく。
「何してる」
湊が卓の横へ来た。
「紙」
「見れば分かる」
「じゃあ聞くな」
そう返したものの、湊はすでに朱線の紙を見ている。赤い線だけ目立つから、子どもの目にも先に入るのだろう。
「あかい」
「触るなよ」
「なんで」
「順番がずれる」
「ずれると、だめ」
「だめだ」
そこで犬が縁側の外から顔を上げた。紙の匂いに興味があるわけではない。ただ、人の声が少し早くなると見る癖がついたらしい。
台所から美琴が顔を出す。
「増えてます?」
「増えてる」
「どのくらいです?」
「今ちょうど嫌な感じのくらい」
返すと、美琴が少し笑った。
「じゃあ、そろそろ手がいりますね」
「まだいい」
「まだ、ですか」
「まだ、だ」
智明は茶封筒から最後の一枚を抜いた。小さい端紙だった。祭具庫の鍵の受け渡しについて、走り書きみたいな文字が二行だけある。こういうのがいちばん困る。捨てていいほど軽くないのに、きちんと一枚として扱うには薄すぎる。
端紙を卓へ置く。風もないのに、紙の端が少しだけ反った。
そこで文江が通った。
縁側から茶の間の入口まで来て、卓の上を見る。朱線。クリップ。茶封筒。端紙。重なり方だけ一度見て、すぐに言った。
「封筒、立てな」
短い。
「立てる?」
智明が聞き返すと、文江は卓の端の空いた湯のみ盆を指で示した。
「そこで分かるよ」
それだけ言って、台所のほうへ抜ける。
智明は少しだけ顔をしかめたが、やってみるしかない。空の盆を手前へ寄せ、終わった封筒だけを立てた。白いの二つ、茶封筒一つ。封筒が立つと、卓の上の紙の顔つきが少し変わる。入口と中身が分かれたぶん、真ん中がわずかに広くなる。
「……見えるな」
口に出た。
美琴がそこへ盆をもう一つ持ってきた。今度は空ではなく、小さい器が二つのっている。物置から出てきた器だ。
「クリップと輪ゴム、ここでどうです?」
「何でそんなのすぐ出るんだ」
「卓の上で転がるでしょう」
明るい返しだった。もう止めようがない。青いクリップを一つ外して器へ入れる。こと。輪ゴムも隣へ入れる。こっちは軽く、音も弱い。
湊がその器を見ている。
「入った」
「入ったな」
「いっぱいになる」
「ならないようにしてるんだよ」
そう言いながら、智明は少しだけ息を吐いた。卓の真ん中はまだ紙だらけだ。けれどさっきの「嫌な感じ」からは半歩だけ戻っている。封筒が立って、クリップが器へ入り、朱線の紙が一番上へ揃う。それだけで、埋もれ方の形が変わる。
台所では味噌の匂いが立ち始めていた。美琴が鍋の火加減を見ながら、茶の間へ声だけ寄越す。
「智明さん、左のは今日中です?」
「左は今日。右は明日でもいい。茶封筒の端紙は残す」
「じゃあ、残すのはその小さい皿の横へ」
「何で置き場まで決まるんだよ」
「見失わないほうが早いでしょう」
それが強い。
智明は端紙を小皿の横へ置いた。ぱさ、と軽い音。ほんの二行の走り書きなのに、置き場をもらうと急に紙らしい顔になる。
そこへ恒一が入ってきた。
「祭り前やな」
「見れば分かる」
「朱線ついとるしな」
軽い言い方で卓をのぞきこみ、立てられた封筒を見る。
「ええ並びや」
「並べただけだ」
「並ぶと気が楽やろ」
言われて、智明は返事をしなかった。たしかに、少しだけ楽だった。山門で入ってきた時の「増えたな」が、そのまま茶の間の真ん中へ広がって終わるかと思ったのに、今は入口と中身が分かれ、残すものと返すものまで見え始めている。
夕方前、智明は最後の確認のために朱線の紙をもう一度開いた。赤い線の下へ指を滑らせる。指先にざらつきが残る。その横で、器の中のクリップが一つ、もう一つと増えていた。茶封筒は盆へ立ち、端紙は小皿の横、控えの束は卓の端へ寄っている。
紙の角がそろって、ぱさ、と小さく鳴る。朱線の紙は手前、端紙は小皿の横、青いクリップは器の中で少しだけ光っていた。
もう一度見ても、迷う場所は残っていなかった。
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