23話 山からの来客

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/7/23 📚 シリーズ: 風待町シリーズ ~寺~ 📝 2,054文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

風待町シリーズ ~寺~ - 23話 山からの来客

本文

山門の戸口で、足音がひとつ止まった。

 砂利を踏む音ではなく、石のきわを選ぶみたいな軽い音だった。志波恒一は車庫の脇で手ぬぐいを絞っていて、その止まり方で顔を上げた。

 山門の向こうに、ひとり立っている。

 見えた顔を、恒一は少しだけ目を細めて受けた。驚くほどではない。けれど、近所の誰かがそのまま来た時の顔とも少し違う。

「来たんか」

 軽い声だった。

 相手はうなずいた。手にしていた小さい包みを、門の石の上へ置く。布とも紙ともつかない薄い包みで、置かれた時に、こと、と中で何かが鳴った。

「通りがけです」

 それ以上は足さなかった。

 恒一は門まで歩いていく。石の上の包みを持ち上げると、見た目より少し重い。冷えても熱くもない温度で、何が入っているかは分からないのに、持ち帰るものの顔はしている。

「まあまあやな」

 恒一が言うと、相手は少しだけ笑った。

「そんなところで」

 そこで会話はいったん止まる。

 止まるのに、気まずくはない。山門の内側には寺の木の匂いがあって、外には風の乾いた匂いがある。そのあいだへ、包みひとつぶんの重さだけが置かれていた。

 縁側のほうから文江が顔を出した。洗った布巾を腕にかけたまま、門のところの二人と、石の上からもう持ち上がった包みをひと目で見る。

「来たの」

 確かめるだけの声だった。

「来たな」

 恒一が受ける。

 文江は相手を見た。見て、何かを言い当てるふうではなく、ただそこにいる顔をそのまま受ける。

「湯あるよ」

 それだけ言って、先に縁側へ引いた。

 相手は少しだけ首を振る。

「今日は、すぐ」

「そう」

 文江はそれで終わりにした。引きとめない。けれど湯のみを出す手は止めない。そういう受け方だった。

 台所では、美琴がもう湯を見ていた。やかんの口から細い湯気が立ち、流しの横の小さい盆に湯のみが二つのる。来客用というほど構えた並びではない。けれど、誰かが門に来た時の家の手としては十分だった。

「お客さんですか」

 ひなが勝手口のところで聞く。

「そうですねえ」

 美琴が答える。

「知ってる人ですか」

「どうでしょう」

 明るい返しなのに、そこから先へは行かない。ひなは少しだけ口を開きかけ、やめた。台所の湯のみの音のほうが、先に動いていたからだ。

 盆が縁側へ出る。

 湯のみの底が板に触れて、こ、と小さく鳴る。

 山門のところでは、相手はまだ立っていた。門の内側へ一歩深く入るでもなく、外へ戻るでもない、ちょうど境のところだ。犬が縁側の外からそれを見ている。吠えない。ただ、耳だけが少し前を向く。

「犬おるんやな」

 相手が言った。

「おるな」

 恒一が軽く返す。

「増えた」

「増えたねえ」

 文江が縁側から言う。

 そのやり取りだけ聞くと、前から知っているみたいでもあるし、今見つけたばかりみたいでもある。どちらとも決まらないまま、家のほうは先に湯のみを置いた。

 相手は縁側まで来なかった。

 けれど盆の上の湯のみを見て、少しだけ会釈した。

「すみません」

「いいよ」

 文江は短く受ける。

「置いただけで帰るのも、何だろうし」

 恒一がそう言うと、相手は包みのほうへ目をやった。

「中、あとで」

「あとででええよ」

「そうしてください」

 説明はそこで切れた。何が入っているのかも、どこから持ってきたのかも、誰に頼まれたのかも言わない。言わないのに、包みはもう家の側へ渡っている。

 ひなが縁側の半歩後ろで、そのやり取りを見ていた。見ているのに、口を挟む場所がない。特別な挨拶もないし、わざとらしい間もない。ただ、来て、置いて、受けている。それだけで話が進んでしまう。

「じゃあ」

 相手が先に言った。

「うん」

 恒一が返す。

「気をつけて」

 文江も言う。

 それで終わった。

 相手は山門の戸口で一度だけ振り返りかけて、振り返らずにそのまま外へ出た。足音がまた石をひとつ選び、次に砂利へ移る。やがて聞こえなくなる。

 犬はそこでようやく耳を戻した。

 縁側には、湯のみが二つ出たままだった。ひとつは恒一の前、もうひとつは手をつけられないまま盆の上にある。細い湯気がまだ少しだけ立っていて、誰もすぐには下げなかった。

 恒一は包みを持ったまま茶の間へ入る。

 智明が卓の端で紙を見ていて、包みを見るなり顔を上げる。

「何だそれ」

「来た」

「見れば分かる」

「じゃあ早い」

 軽い返しだった。智明はそれ以上聞きかけて、やめたらしい。包みの顔と、恒一の顔と、縁側に残った湯のみをひとつ見て、だいたいの温度だけ取る。

「開けるのか」

「あとでや」

「そうか」

 短いやり取りだった。

 文江が縁側へ戻り、盆の上の湯のみを一つだけ自分の手元へ寄せる。けれど、もう一つは下げない。そのまま板の端へ少しだけ置き直す。取っ手つきのものではない、白地の厚手の湯のみだった。

「それ、下げないの」

 ひなが聞くと、文江は湯のみの縁を見たまま言った。

「まだあったかいよ」

 下げない理由はそれで足りた。

 茶の間では、恒一が包みを卓の端へ置いた。

 こと、と中身がまた小さく鳴る。

 夕方の光が少し薄くなって、縁側の板の上にはまだ帰りの遅さだけが残っていた。

 誰のものとも言わないまま、その気配だけが少しあたたかかった。

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