23話 山からの来客
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あらすじ
風待町シリーズ ~寺~ - 23話 山からの来客
本文
山門の戸口で、足音がひとつ止まった。
砂利を踏む音ではなく、石のきわを選ぶみたいな軽い音だった。志波恒一は車庫の脇で手ぬぐいを絞っていて、その止まり方で顔を上げた。
山門の向こうに、ひとり立っている。
見えた顔を、恒一は少しだけ目を細めて受けた。驚くほどではない。けれど、近所の誰かがそのまま来た時の顔とも少し違う。
「来たんか」
軽い声だった。
相手はうなずいた。手にしていた小さい包みを、門の石の上へ置く。布とも紙ともつかない薄い包みで、置かれた時に、こと、と中で何かが鳴った。
「通りがけです」
それ以上は足さなかった。
恒一は門まで歩いていく。石の上の包みを持ち上げると、見た目より少し重い。冷えても熱くもない温度で、何が入っているかは分からないのに、持ち帰るものの顔はしている。
「まあまあやな」
恒一が言うと、相手は少しだけ笑った。
「そんなところで」
そこで会話はいったん止まる。
止まるのに、気まずくはない。山門の内側には寺の木の匂いがあって、外には風の乾いた匂いがある。そのあいだへ、包みひとつぶんの重さだけが置かれていた。
縁側のほうから文江が顔を出した。洗った布巾を腕にかけたまま、門のところの二人と、石の上からもう持ち上がった包みをひと目で見る。
「来たの」
確かめるだけの声だった。
「来たな」
恒一が受ける。
文江は相手を見た。見て、何かを言い当てるふうではなく、ただそこにいる顔をそのまま受ける。
「湯あるよ」
それだけ言って、先に縁側へ引いた。
相手は少しだけ首を振る。
「今日は、すぐ」
「そう」
文江はそれで終わりにした。引きとめない。けれど湯のみを出す手は止めない。そういう受け方だった。
台所では、美琴がもう湯を見ていた。やかんの口から細い湯気が立ち、流しの横の小さい盆に湯のみが二つのる。来客用というほど構えた並びではない。けれど、誰かが門に来た時の家の手としては十分だった。
「お客さんですか」
ひなが勝手口のところで聞く。
「そうですねえ」
美琴が答える。
「知ってる人ですか」
「どうでしょう」
明るい返しなのに、そこから先へは行かない。ひなは少しだけ口を開きかけ、やめた。台所の湯のみの音のほうが、先に動いていたからだ。
盆が縁側へ出る。
湯のみの底が板に触れて、こ、と小さく鳴る。
山門のところでは、相手はまだ立っていた。門の内側へ一歩深く入るでもなく、外へ戻るでもない、ちょうど境のところだ。犬が縁側の外からそれを見ている。吠えない。ただ、耳だけが少し前を向く。
「犬おるんやな」
相手が言った。
「おるな」
恒一が軽く返す。
「増えた」
「増えたねえ」
文江が縁側から言う。
そのやり取りだけ聞くと、前から知っているみたいでもあるし、今見つけたばかりみたいでもある。どちらとも決まらないまま、家のほうは先に湯のみを置いた。
相手は縁側まで来なかった。
けれど盆の上の湯のみを見て、少しだけ会釈した。
「すみません」
「いいよ」
文江は短く受ける。
「置いただけで帰るのも、何だろうし」
恒一がそう言うと、相手は包みのほうへ目をやった。
「中、あとで」
「あとででええよ」
「そうしてください」
説明はそこで切れた。何が入っているのかも、どこから持ってきたのかも、誰に頼まれたのかも言わない。言わないのに、包みはもう家の側へ渡っている。
ひなが縁側の半歩後ろで、そのやり取りを見ていた。見ているのに、口を挟む場所がない。特別な挨拶もないし、わざとらしい間もない。ただ、来て、置いて、受けている。それだけで話が進んでしまう。
「じゃあ」
相手が先に言った。
「うん」
恒一が返す。
「気をつけて」
文江も言う。
それで終わった。
相手は山門の戸口で一度だけ振り返りかけて、振り返らずにそのまま外へ出た。足音がまた石をひとつ選び、次に砂利へ移る。やがて聞こえなくなる。
犬はそこでようやく耳を戻した。
縁側には、湯のみが二つ出たままだった。ひとつは恒一の前、もうひとつは手をつけられないまま盆の上にある。細い湯気がまだ少しだけ立っていて、誰もすぐには下げなかった。
恒一は包みを持ったまま茶の間へ入る。
智明が卓の端で紙を見ていて、包みを見るなり顔を上げる。
「何だそれ」
「来た」
「見れば分かる」
「じゃあ早い」
軽い返しだった。智明はそれ以上聞きかけて、やめたらしい。包みの顔と、恒一の顔と、縁側に残った湯のみをひとつ見て、だいたいの温度だけ取る。
「開けるのか」
「あとでや」
「そうか」
短いやり取りだった。
文江が縁側へ戻り、盆の上の湯のみを一つだけ自分の手元へ寄せる。けれど、もう一つは下げない。そのまま板の端へ少しだけ置き直す。取っ手つきのものではない、白地の厚手の湯のみだった。
「それ、下げないの」
ひなが聞くと、文江は湯のみの縁を見たまま言った。
「まだあったかいよ」
下げない理由はそれで足りた。
茶の間では、恒一が包みを卓の端へ置いた。
こと、と中身がまた小さく鳴る。
夕方の光が少し薄くなって、縁側の板の上にはまだ帰りの遅さだけが残っていた。
誰のものとも言わないまま、その気配だけが少しあたたかかった。
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