24話 ひなの巫女服
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
風待町シリーズ ~寺~ - 24話 ひなの巫女服
本文
白い紐は、指先にかかると少しだけ冷たい。
茶の間の横の小さい部屋で、高瀬ひなはその紐を見下ろしていた。学校から戻ってきたばかりで、まだ靴下の足先に廊下の冷えが残っている。制服の上着は座布団の端へ置き、紺のカーディガンは畳んだつもりで少しだけ袖がはみ出していた。
白い上衣を羽織って、赤い袴の紐を持つ。そこまではいい。けれど毎回、最後の結び目だけが少し手に余る。
「そこ、ずれます?」
台所のほうから美琴が来た。手を洗ってきたらしく、指先がまだ少し濡れている。
「ずれます」
「後ろ、向いてください」
ひなは素直に向きを変えた。背中のあたりで、紐が一度ほどける。美琴の指が布の端をそろえ、左右を引いて、もう一度結び直す。きゅ、と締まる音は小さいのに、位置が決まると息が少しだけ楽になる。
「こっちのほうが動きやすいですよ」
「毎回むずかしいなあ、これ」
「毎回着てないですしねえ」
明るく返されて、ひなは少しだけ口をとがらせた。鏡代わりに障子のガラスを見る。白い袖、赤い袴。学校の制服で戻ってきた時と、色の置き方がまるで違う。
そこへ、山門のほうで小さく金具が鳴った。
ち、と乾いた音だった。学校鞄の横についた金具みたいな音で、ひなはすぐに顔を上げた。
「ひよりだ」
「分かるんですか」
「分かります」
もう一度、今度は少しだけ近くで鳴る。ひなはそのまま草履も履かずに廊下へ出た。白い足袋の裏が板を軽くすべって、ぱたぱたと音が続く。
山門のところには、桜庭ひよりが立っていた。
学校の鞄を肩にかけたまま、腕にひなの紺のカーディガンを抱えている。教室の椅子に引っかけたまま帰ってきてしまったやつだと、見た瞬間に分かった。
「あ」
ひよりが先に言った。
「あ」
ひなも返す。
その「あ」のあいだに、白い袖と紺のカーディガンが一度きれいに並んだ。
「忘れてた」
「持ってきた」
ひよりはそれだけ言って、カーディガンを差し出した。ひなは受け取ろうとして、自分の袖口が白いのを見て一瞬だけ手を止める。そこへ、美琴が後ろから自然に入った。
「ありがとうございます」
美琴が受け取ると、ひよりは少しだけ肩を抜いた。
「帰り道なんで」
「助かりました。明日だと朝ばたつくでしょうし」
その返しが生活のほうへ早い。ひなは横で、白い袖を少しだけ引いた。
ひよりはその袖を見て、ふっと笑う。
「ひなの巫女服、ほんとに白いね」
「巫女服じゃないっていうか」
ひなは言いかけて、やめた。何がどう違うのかを山門で説明するのも変だったし、ひよりの言い方はからかっているわけでもなかった。
「白いのは、そう」
それだけ返すと、ひよりはうなずいた。
「うん。白い」
犬がそこへ寄ってきて、ひよりの足元を一度だけ嗅いだ。ひよりは驚きすぎずに半歩だけ下がり、でも逃げない。その感じが、もう二度目の来方だった。
「じゃ、明日学校で」
「うん」
「カーディガン、忘れないで」
「今は忘れない」
ひよりは少し笑って、山門の外へ戻った。鞄の金具がもう一度、ち、と鳴る。その音が遠くなるまで、ひなは白い袖のまま門のところに立っていた。
台所へ戻ると、美琴はもう紺のカーディガンを茶の間の座布団の上へ広げていた。置きっぱなしだった制服の上着の横へきれいに重ね、はみ出していた袖を中へ入れる。紺は紺でまとめ、白は白でまとめる。その手が早い。
「見られましたねえ」
美琴が言う。
「見られました」
「そりゃ見えますよ」
「そうなんですけど」
ひなはそこまで言って、茶の間に置かれた紺と、自分の袖の白さを見た。近くにあるのに、混ざらない。学校の色と寺の色が、同じ畳の上でちゃんと別の顔をしている。
美琴はカーディガンを畳み終えると、それを茶箪笥の横へ置いた。明日の朝、すぐ取れるところだ。
「これはこっち」
次に、ひなの白い袖の端を軽く持つ。
「こっちは今」
その言い方だけで十分だった。学校は明日、寺は今。長く言わない。置く場所だけで分かるようにする。
「袖、汚さないでくださいね」
「分かってます」
「ほんとですか?」
「……気をつけます」
ひながそう返すと、美琴は笑って手を離した。
夕方の手伝いは長くなかった。湯のみを出して、紙を一つ運んで、戻ってくる。そのあいだも白い袖は少し気になる。学校の帰りに着ていた服より、どこへ腕を出すかを先に考える。そういう手間がある。
夜、終わってから茶の間の横の小さい部屋へ戻ると、制服の上着はきれいに畳まれたまま端へ寄せてあった。ひなは白い上衣を脱ぎ、赤い袴の紐をほどく。結ぶ時より、ほどく時のほうが静かだ。きゅ、ではなく、するり、と布がほどける音だけが残る。
美琴が横で受け取って、畳む。白い布は手の中で少しだけ光を残す。紺のカーディガンはもう隣にあって、明日の学校の顔をしていた。
「返しますね」
美琴が言う。
「はい」
ひなは短くうなずいた。
畳まれた白は茶箪笥の下の引き出しへ入る。
こと、と小さい音がする。
隣では紺のカーディガンが、もう明日のための置き方で収まっていた。
作品統計
📚 本を探すなら「よみどき」(あいぺんが運営する本の発見サイト)
130万冊を超えるコミック・小説・書籍の順位と値段を毎日みて、いま読むものを決められます。