28話 奏多のひとこと
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あらすじ
風待町シリーズ ~寺~ - 28話 奏多のひとこと
本文
赤い缶が、山門の石でかしゃんと鳴った。
大地たちの秘密基地の缶だ。志波湊はその音で顔を上げた。門のところに立っていたのは大地ではなく、奏多だった。片手で赤い缶を抱え、もう片方に丸めた紙を持っている。
「来た」
湊が言うと、奏多がうなずく。
「来た」
それから、門の内側をぐるっと見た。
張り紙の下にいる犬。
山門の脇の竹籠。
縁側の柱に下がった笛。
茶の間のほうの棚の下に、もう戻す場所の決まっている赤い缶。
奏多はそこで、赤い缶をもう一度石へ置いた。
かしゃ。
「ここさ」
「うん」
「普通じゃなくない?」
言い方は軽かった。
驚いているというより、思ったことがそのまま口から出た感じだった。
湊は少しだけ考えた。犬を見る。張り紙を見る。赤い缶を見る。どれももう見慣れている。
「ふつう」
短く返す。
「いや、だって寺だろ」
「てら」
「犬いるし」
「いる」
「基地あるし」
「ある」
「張り紙もあるし」
「ある」
湊の返事が全部短いので、奏多はそこで少し笑ってしまった。笑ったところへ、ひなが竹ぼうきを持って庭の端から来る。
「何してるの」
「奏多が、ここ普通じゃなくないって」
湊がすぐ言った。
「言うなよ」
奏多が言う。
「言うだろ」
湊は平気な顔だ。
ひなは赤い缶と奏多の顔を見て、少しだけ眉を上げた。
「今さら?」
「今さらって何だよ」
「だって、前からそうでしょ」
「前からでも、普通じゃないもんは普通じゃなくない?」
そこでひなは答えかけて、やめた。門のところだけ見れば、たしかにそうだ。寺なのに犬がいて、張り紙があって、子どもの缶があって、門の脇には作務衣の替えまで入った竹籠がある。
なのに、そのどれも今のひなには見慣れたものだった。
勝手口のほうから美琴が声をかける。
「湊、奏多くん、お茶飲みます?」
「飲む」
湊が先に答えた。
「いや、俺ちょっと」
奏多が言いかけると、美琴がちょうど出てきた。手には小さい盆。湯のみが二つのっている。前に近所から広がってきた中の、藍の線が入ったやつと、少し厚手の灰色のやつだ。
「普通じゃない話なら、なおさら座ったほうが早いでしょう」
明るくそう言われて、奏多は少しだけ困った顔をした。
「何でそうなるんだよ」
「なるんです」
ひなが言う。
その返しが早かった。
茶の間へ入ると、奏多はまた少しきょろきょろした。
棚の下の赤い缶。
小皿に立てかけてある花屋の見本札。
白い缶コーヒーの受け皿に使われている器。
縁側の外に広がった犬の寝床。
見ようとして見ているわけではないのに、目に入るものがいちいち少しずつずれている。
「ほら」
奏多が湊に言う。
「やっぱ普通じゃなくない?」
湊は湯のみを両手で持ったまま、奏多の見ているほうを見た。
缶。札。器。寝床。
それから犬。
犬は縁側の外で伏せていて、水皿の金属だけが少し光っている。
「ふつう」
またそれだった。
「どこが」
「あるから」
「あるからって」
奏多はそこで言葉を探した。寺というと、もっと何もないほうへ頭が寄るのだろう。静かで、広くて、物が少なくて、子どもの缶や犬の寝床が棚の横にある感じではない。
そのあいだに、美琴は台所からきゅうりを切って持ってきた。
物置から出た小さい器に、塩をふったのを少しだけ盛る。
こと、と器の底が卓へ当たる。
「はい」
「ありがとうございます」
奏多は反射で礼を言ってから、また茶の間を見た。
「いや、こういうのもだよ」
「何が」
ひなが聞く。
「器ちっちゃいのに、きゅうりちゃんと入ってるし」
「入るでしょ」
「そうだけど」
「奏多くん」
美琴が笑う。
「困ってるんですか?」
「困ってはないです」
「じゃあ、普通じゃなくないだけですね」
そこで奏多は少しだけ黙った。
たしかにそうだった。困ってはいない。変だとも言い切れない。ただ、自分の知っている「普通」とは少し違う、というだけだ。
茶の間の奥では、智明が紙を見ていた。
奏多の声を聞いて、そこでようやく顔を上げる。
「何が普通じゃないんだ」
「いや……」
奏多は少し迷ったが、正直に言った。
「寺なのに、家っぽいとこ」
智明はそれを聞いて、紙を畳んだ。
「寺だよ」
「うん」
「家でもある」
説明でも反論でもなく、置くみたいに言う。
湊はそこで、きゅうりをひとつ食べた。
ぽり、と音がする。
そのあと、小さい器を指で軽く押した。
こ。
「ほら」
湊が言う。
「ふつう」
「どのへんがだよ」
奏多が笑う。
「ここ」
湊が指したのは、きゅうりの入った小さい器だった。
その次に、赤い缶。
その次に、犬。
最後に、奏多の湯のみ。
奏多は自分の湯のみを見た。藍の線の入ったやつ。来たばかりの時はよそ行きみたいだったのに、少し持っているだけで手の中に馴染んでいる。
「……変なの」
「普通じゃない、じゃなくて?」
ひなが言う。
奏多はきゅうりをひとつ取った。
ぽり、とまた音がする。
その音の向こうで、犬が水を飲んで、水皿がからんと鳴った。
「いや」
奏多は少しだけ考えて、それから肩を抜いた。
「普通じゃなくない、でいいや」
言い切らない。
でも、戻しもしない。
帰る前に、奏多は赤い缶を棚の下へ戻した。
かしゃ、と中のビー玉が鳴る。
蓋を閉める。
ぱちん。
その音を聞いてから、湊が言った。
「また来る?」
奏多は山門のほうを見た。
張り紙。
犬。
竹籠。
そして茶の間の棚の下の赤い缶。
「来る」
それだけで話は通った。
山門を出る時、鞄の金具が石へ軽く触れた。
ち、と小さく鳴る。
そのあとも、寺の中では犬の水皿がからんと鳴っていた。