28話 奏多のひとこと

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/7/28 📚 シリーズ: 風待町シリーズ ~寺~ 📝 2,177文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

風待町シリーズ ~寺~ - 28話 奏多のひとこと

本文

赤い缶が、山門の石でかしゃんと鳴った。

 大地たちの秘密基地の缶だ。志波湊はその音で顔を上げた。門のところに立っていたのは大地ではなく、奏多だった。片手で赤い缶を抱え、もう片方に丸めた紙を持っている。

「来た」

 湊が言うと、奏多がうなずく。

「来た」

 それから、門の内側をぐるっと見た。

 張り紙の下にいる犬。

 山門の脇の竹籠。

 縁側の柱に下がった笛。

 茶の間のほうの棚の下に、もう戻す場所の決まっている赤い缶。

 奏多はそこで、赤い缶をもう一度石へ置いた。

 かしゃ。

「ここさ」

「うん」

「普通じゃなくない?」

 言い方は軽かった。

 驚いているというより、思ったことがそのまま口から出た感じだった。

 湊は少しだけ考えた。犬を見る。張り紙を見る。赤い缶を見る。どれももう見慣れている。

「ふつう」

 短く返す。

「いや、だって寺だろ」

「てら」

「犬いるし」

「いる」

「基地あるし」

「ある」

「張り紙もあるし」

「ある」

 湊の返事が全部短いので、奏多はそこで少し笑ってしまった。笑ったところへ、ひなが竹ぼうきを持って庭の端から来る。

「何してるの」

「奏多が、ここ普通じゃなくないって」

 湊がすぐ言った。

「言うなよ」

 奏多が言う。

「言うだろ」

 湊は平気な顔だ。

 ひなは赤い缶と奏多の顔を見て、少しだけ眉を上げた。

「今さら?」

「今さらって何だよ」

「だって、前からそうでしょ」

「前からでも、普通じゃないもんは普通じゃなくない?」

 そこでひなは答えかけて、やめた。門のところだけ見れば、たしかにそうだ。寺なのに犬がいて、張り紙があって、子どもの缶があって、門の脇には作務衣の替えまで入った竹籠がある。

 なのに、そのどれも今のひなには見慣れたものだった。

 勝手口のほうから美琴が声をかける。

「湊、奏多くん、お茶飲みます?」

「飲む」

 湊が先に答えた。

「いや、俺ちょっと」

 奏多が言いかけると、美琴がちょうど出てきた。手には小さい盆。湯のみが二つのっている。前に近所から広がってきた中の、藍の線が入ったやつと、少し厚手の灰色のやつだ。

「普通じゃない話なら、なおさら座ったほうが早いでしょう」

 明るくそう言われて、奏多は少しだけ困った顔をした。

「何でそうなるんだよ」

「なるんです」

 ひなが言う。

 その返しが早かった。

 茶の間へ入ると、奏多はまた少しきょろきょろした。

 棚の下の赤い缶。

 小皿に立てかけてある花屋の見本札。

 白い缶コーヒーの受け皿に使われている器。

 縁側の外に広がった犬の寝床。

 見ようとして見ているわけではないのに、目に入るものがいちいち少しずつずれている。

「ほら」

 奏多が湊に言う。

「やっぱ普通じゃなくない?」

 湊は湯のみを両手で持ったまま、奏多の見ているほうを見た。

 缶。札。器。寝床。

 それから犬。

 犬は縁側の外で伏せていて、水皿の金属だけが少し光っている。

「ふつう」

 またそれだった。

「どこが」

「あるから」

「あるからって」

 奏多はそこで言葉を探した。寺というと、もっと何もないほうへ頭が寄るのだろう。静かで、広くて、物が少なくて、子どもの缶や犬の寝床が棚の横にある感じではない。

 そのあいだに、美琴は台所からきゅうりを切って持ってきた。

 物置から出た小さい器に、塩をふったのを少しだけ盛る。

 こと、と器の底が卓へ当たる。

「はい」

「ありがとうございます」

 奏多は反射で礼を言ってから、また茶の間を見た。

「いや、こういうのもだよ」

「何が」

 ひなが聞く。

「器ちっちゃいのに、きゅうりちゃんと入ってるし」

「入るでしょ」

「そうだけど」

「奏多くん」

 美琴が笑う。

「困ってるんですか?」

「困ってはないです」

「じゃあ、普通じゃなくないだけですね」

 そこで奏多は少しだけ黙った。

 たしかにそうだった。困ってはいない。変だとも言い切れない。ただ、自分の知っている「普通」とは少し違う、というだけだ。

 茶の間の奥では、智明が紙を見ていた。

 奏多の声を聞いて、そこでようやく顔を上げる。

「何が普通じゃないんだ」

「いや……」

 奏多は少し迷ったが、正直に言った。

「寺なのに、家っぽいとこ」

 智明はそれを聞いて、紙を畳んだ。

「寺だよ」

「うん」

「家でもある」

 説明でも反論でもなく、置くみたいに言う。

 湊はそこで、きゅうりをひとつ食べた。

 ぽり、と音がする。

 そのあと、小さい器を指で軽く押した。

 こ。

「ほら」

 湊が言う。

「ふつう」

「どのへんがだよ」

 奏多が笑う。

「ここ」

 湊が指したのは、きゅうりの入った小さい器だった。

 その次に、赤い缶。

 その次に、犬。

 最後に、奏多の湯のみ。

 奏多は自分の湯のみを見た。藍の線の入ったやつ。来たばかりの時はよそ行きみたいだったのに、少し持っているだけで手の中に馴染んでいる。

「……変なの」

「普通じゃない、じゃなくて?」

 ひなが言う。

 奏多はきゅうりをひとつ取った。

 ぽり、とまた音がする。

 その音の向こうで、犬が水を飲んで、水皿がからんと鳴った。

「いや」

 奏多は少しだけ考えて、それから肩を抜いた。

「普通じゃなくない、でいいや」

 言い切らない。

 でも、戻しもしない。

 帰る前に、奏多は赤い缶を棚の下へ戻した。

 かしゃ、と中のビー玉が鳴る。

 蓋を閉める。

 ぱちん。

 その音を聞いてから、湊が言った。

「また来る?」

 奏多は山門のほうを見た。

 張り紙。

 犬。

 竹籠。

 そして茶の間の棚の下の赤い缶。

「来る」

 それだけで話は通った。

 山門を出る時、鞄の金具が石へ軽く触れた。

 ち、と小さく鳴る。

 そのあとも、寺の中では犬の水皿がからんと鳴っていた。

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