29話 美月の気に入り方
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
風待町シリーズ ~寺~ - 29話 美月の気に入り方
本文
山門の石に、布で包まれた小さいものがことりと置かれた。
音は軽いのに、包み方だけが妙にきちんとしている。高瀬ひなは竹ぼうきを止め、門柱の影へ目をやった。立っていたのは美月だった。学校の鞄を肩にかけたまま、両手で薄いハンカチ包みを押さえている。
「どうしたの」
ひなが聞くと、美月はその包みを少し持ち上げた。
「返しにきた」
「何を」
「これ」
差し出されたのを受け取る。布の向こうに、丸い器の縁みたいな硬さがある。ハンカチの端は四角く揃えられていて、結び方もゆるくない。ひなはそこで眉を上げた。
「何か妙に丁寧だな」
美月はすぐには答えず、ただ包みの端を指で押さえた。
「この前、赤い缶の横にあったやつ」
「あ」
ひなは思い出した。秘密基地の缶の脇で、短い鉛筆や消しゴムを入れていた小さい器だ。片づけの時に混ざったのだろう。持って帰るつもりでなくても、布や紙に紛れるとそういうことはある。
「持って帰ってたの」
「うん」
「早く言ってよ」
「洗ってきた」
その言い方が先に来るのが、美月らしいといえばらしかった。
ひなは包みをほどきかけて、やめた。そこで文江が縁側から歩いてきたからだ。洗った布巾を腕にかけたまま、山門のところの二人と、ひなの手の中の包みをひと目で見る。
「来たの」
問いというより、包みを受けるための声だった。
「返しに来たみたいです」
ひなが言うと、文江はうなずいた。
「開けな」
それだけ言われて、ひなはようやくハンカチの端をほどいた。
中から出てきたのは、白地に薄い青の入った小皿だった。前と同じ小ささで、縁の欠けもない。洗ってきたというだけあって、表面はつるりとして、指へひんやり当たる。
文江が皿を受け取る。手のひらへ一度のせて、指先で縁をなでた。
「乾いてるねえ」
皿の受け取り方としては、それで足りていた。
叱りもしないし、褒めもしない。けれどそのひと言で、美月の肩が少し下がる。ひなは横でそれを見て、ああ、そこで受けるのか、と思った。
「ハンカチも、きれいに包んだね」
文江が続ける。
美月は目を伏せた。
「皿だから」
「そう」
文江はそれで終わりにした。皿を持ったまま、先に台所へ向かう。山門で返されたものを、そのまま山門に残さない歩き方だった。
台所では、美琴が流しの横を空けていた。皿を見るなり、すぐに乾いた布巾を一枚出す。
「あら、戻ったんですねえ」
「戻ったよ」
文江が小皿を流しの脇へ置く。こと、と木へ軽く当たる音がした。
美月は勝手口のところで立ったまま、その音を見ていた。音を見る、みたいな顔だった。美琴はすぐに「どうぞ」と中へ呼び、湯のみの盆を少しずらして場所を作る。
「お茶くらい飲んでいきます?」
「でも、返しにきただけで」
「返しにきてくれたんでしょう」
明るい返しだった。
ひなはそこで笑う。
「それ言われると弱いよね」
美月は小さくうなずいた。強く否定しないあたりが、この子の静かなところだった。
文江は小皿をもう一度だけ水でくぐらせた。洗ってあるのに、家へ戻す前の手順として、短く水を通す。水が皿の裏を滑って、縁から一筋だけ落ちる。流しの金具へ当たって、ちいさく鳴る。
ひなはその手を見ていた。洗い直している、というより、家の並びへ戻している手つきだった。
文江は皿の水を軽く切り、乾いた布巾で縁だけをひと拭きした。ごしごしではない。ぬぐう、というより、残りをひとつ拾うだけみたいな手の動きだ。
それを、美月が見ている。
見ているのに、口は何も出さない。出さないまま、自分のハンカチを畳み直していた。角を合わせて、端を内へ折る。さっきの包みがきれいだった理由が、その指の動きで少し分かる。
「ひなちゃん、お盆出してもらえる?」
美琴に言われて、ひなが棚から小さい盆を出す。文江はそこへ湯のみを二つ、小皿をひとつ置いた。戻ってきた皿には、小さい甘納豆が三つだけのる。
「これ、さっきの」
ひなが言う。
「うん」
文江は短く返した。
「戻ったからねえ」
その言い方で、小皿はもう返却物ではなく、茶の間のものの顔になる。
茶の間では、美月は座布団の端にきちんと座った。鞄を横へ置く時も、金具が畳へ当たらないよう少し持ち上げる。ひなはそれを見て、また思う。ほんとに妙なところが丁寧だ。
湯のみが前に置かれる。小皿も、その横へ。
こと。
こ。
文江は小皿の向きを直した。青い線が正面から見える向きへ、ほんの少しだけ回す。誰も困らないくらいの違いなのに、回ったあとだと、その向きがもともと正しかったように見える。
美月はその動きを見た。
ひなはそれも見た。
話すことといえば、学校のことくらいだった。宿題が出たとか、明日の持ち物とか、奏多がまた変な絵を描いていたとか。その間じゅう、美月は小皿をひっくり返したり、指で遊んだりはしない。ただ、甘納豆をひとつ取って、食べて、皿を元の位置へ戻す。その戻し方が、最初より静かだった。
帰る前、美月は湯のみを持ち上げて飲み切った。置く時、音を立てないようにしているのが分かる。けれど緊張しすぎてもいない。湯のみの底が盆へやわらかく触れて、こ、と鳴る。
その横で、小皿を指で軽く回した。青い線が、さっき文江が直したのと同じ向きへ戻る。
ひながそれに気づいて言った。
「……ちゃんと見てたんだ」
美月は顔を上げる。
「何が」
「そこ」
ひなが小皿を指すと、美月は青い線を見た。それから、小さく肩をすくめる。
「なんか、そのほうが収まるから」
その言い方で十分だった。
文江はそのやり取りを聞いていたのかいないのか、空いた湯のみを盆へ戻していた。最後に小皿をひとつ持ち上げ、また棚へ返す。
「揃うねえ」
棚の前へ置くには、そのくらいがちょうどよかった。
褒めるほどでもなく、でも何も見ていないわけでもない声だった。
美月はそれで少し笑った。笑ってから、鞄を持ち上げる。山門へ向かう足音は来た時と同じくらい静かで、ハンカチの畳み目だけがきれいに残っている。
帰ったあとも、茶の間にはさっき直した向きの気配だけが、そのまま収まっていた。