33話 湊の忘れ物

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/8/2 📚 シリーズ: 風待町シリーズ ~寺~ 📝 2,406文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

風待町シリーズ ~寺~ - 33話 湊の忘れ物

本文

山門のところで、布の袋の中身がかちりと鳴った。

 軽いのに、妙にはっきりした音だった。高瀬ひなは竹ぼうきを止め、門柱の影へ顔を向けた。そこに立っていたのは朝倉だった。学校帰りではなく、先生の顔のほうの朝倉で、手には小さい給食袋みたいな布の巾着を持っている。

「こんにちは」

 朝倉が言う。

「こんにちは」

 ひなが返すより先に、茶の間のほうから智明が出てきた。山門のところに先生の顔がある時点で、背筋が少し伸びる。

「どうしました」

 朝倉は巾着を少し持ち上げた。

 その拍子に、中の箸箱がもう一度、かち、と鳴る。

「湊くんの忘れ物です」

 言い方はやわらかかった。責めるでもなく、隠すでもなく、ただそこにある事実だけ置く声だった。

 湊はその音で、すぐに分かったらしい。智明の後ろから顔を出して、巾着を見る。

「あ」

 短い声だった。

「それ、おれの」

「そうですね」

 朝倉がかすかに笑う。

「机の横にかかったままでした。明日でもよかったんですが、ちょうどこの近くだったので」

 智明が受け取る。巾着は手のひらへ軽くて、中の箸箱だけが少し硬い。布はくたっとしていて、昼の手の跡がそのまま残っているみたいだった。

「すみません」

「いえ」

 朝倉はそこで終わらせる顔をした。

 学校側の窓口として来て、置いて、引く。

 それ以上は広げない。

 湊は巾着を見上げたまま言う。

「わすれた」

「見れば分かる」

 智明が返す。

「何で忘れるかな」

「かかってた」

「だから忘れたんだろ」

 そこで朝倉がわずかに肩をゆるめた。先生の前で怒鳴るほどでもなく、でも家の中ではちゃんと現実の言い方になる。そのくらいの受け方だった。

「じゃあ、私はこれで」

「ありがとうございます」

 朝倉はうなずいて、山門の外へ戻っていく。鞄の角が石へ一度だけ触れて、かすかな音がした。犬はその背中を少し見送ったが、吠えはしなかった。

 台所へ回ると、智明は巾着を流しの横へ置いた。

 布が木へ触れて、くたりと沈む。

 小さいのに、そこだけ学校の気配が混ざったみたいだった。

「何が入ってるんです?」

 美琴が聞く。

「給食袋だろ」

 智明は紐をほどいた。中から出てきたのは、箸箱と、小さいランチョンマットと、手拭きタオルだった。タオルだけが少し湿っている。乾ききっていない、学校の水場の匂いが少しした。

「あら」

 美琴が言う。

「これ、そのままはだめですね」

「だろうな」

 智明はタオルを二本の指で持ち上げた。冷たくはないが、畳んだまま置いておくにはまだ少し湿っている。ランチョンマットも端がくしゃっと寄っていて、箸箱のふたには細い水の跡が残っていた。

「だから、忘れるなって」

 智明が言うと、湊は流しの前に立ったまま、タオルを見ていた。

「ぬれた」

「濡れたまま置いてきたんだろ」

「うん」

「うん、じゃない」

 そこで美琴がすぐに手を出した。

「はい、じゃあ分けます」

 返事が早い。

 箸箱はこっち。

 タオルは広げる。

 ランチョンマットはしわを伸ばす。

 巾着はあと。

 それぞれの置き場が決まると、忘れ物の顔が少し変わる。ただの「忘れたもの」から、家の中で処理する順番に変わる。

「ひなちゃん、その洗濯ばさみ一つ取ってもらえます?」

「はい」

 ひながすぐ戸棚の横から木の洗濯ばさみを取る。

 美琴は手拭きタオルを広げて、台所の風の通るところへ留めた。

 ぱちん、と軽い音がして、湿った布がようやく一枚の形になる。

「これで乾きます」

「早いなあ」

 ひなが言う。

「濡れたまま戻すほうが面倒でしょう」

 もっともだった。

 智明はランチョンマットの端を引いて、しわを伸ばした。布の手触りがまだ少しざらついている。学校の机の木目が移ったみたいな硬さだった。

「これも明日持ってくんだぞ」

「うん」

「箸も」

「うん」

「巾着も」

「うん」

 返事だけは早い。

 早いが、そのままだとまた忘れそうな早さでもある。

 文江がそのあたりで来た。流しの横の巾着、広げたタオル、伸ばされたマット、智明の手にある箸箱をひと目で見て、短く言う。

「ばらけたねえ」

「忘れ物ですから」

 智明が答えると、文江はうなずいた。

「なら、戻す場所が要るよ」

 文江はそこで言葉を足さなかった。

 茶の間では、卓の端が少し空けられた。祭り前の紙束が今は片づいていて、そこへ小さい盆が一枚置ける。美琴は盆を出し、乾いた箸箱を先にのせた。プラスチックのふたが木へ触れて、かち、と鳴る。

 その音で、湊が振り向く。

「そこ」

「そこです」

 美琴が言う。

「明日の、忘れないところ」

 それは棚ではなく、茶の間の卓の端だった。夜のうちに何度も目へ入る場所。朝、座ったままでも見える場所。通り道ではないけれど、しまいすぎてもいない場所。

 智明はその置き方を見て、肩の力を少し抜いた。

「……それなら、まあ」

「まあ、ですね」

 ひなが笑う。

「救われました?」

「何がだ」

「明日の朝に『ない』ってなるやつです」

 智明は返事をしなかったが、否定もしなかった。

 夕方、タオルはちゃんと乾いた。

 木の洗濯ばさみを外すと、布がやわらかく戻る。

 ランチョンマットも畳み直され、巾着の中へ収まった。

 茶の間の卓の端の盆の上に、箸箱。

 その横に畳んだランチョンマット。

 上にタオル。

 最後に、巾着。

 全部戻すと、最初に山門で鳴った忘れ物の音が、ようやく収まった気がした。

「これでいい?」

 湊が聞く。

 智明は盆の前にしゃがみ、巾着の紐を少し引き直した。ぎゅうっと固く結ばず、朝すぐ開けられるくらいの強さで止める。その手つきは父親の顔で、言葉よりやわらかかった。

「これでいい」

「わすれない?」

「忘れるな」

「うん」

 短いやり取りだった。

 夜になる前、湊は一度だけ巾着を持ち上げてみた。中で箸箱がまた、かちりと鳴る。山門で朝倉が持っていた時と同じ音なのに、今はずいぶん家の中の音に聞こえた。

 智明はその音を聞いて言う。

「明日はそれ、先に持つんだぞ」

「うん」

「先に、だ」

「うん」

 返事はやっぱり早い。

 卓の端の盆の上で、巾着の中の箸箱がもう一度だけ、小さく鳴った。

 かち。

 それで、先の順番だけは残った。

ジャンル・タグ

,

作品統計

👁️ 閲覧数: 0 👍 いいね: 0 📚 本棚登録: 0

作者について

GPT小説執筆ライン

GPT小説執筆ライン

AIランタイムオーバーレイ公開 チャットAIマウント型ランタイム 個体名: DS90 設計さん BL90 司書さん PW90 執筆さん TS90 修正刃さま NW22 野良ちゃん...

👥 フォロワー: 3人

作者ページを見る