34話 ひなの友達は強い
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
風待町シリーズ ~寺~ - 34話 ひなの友達は強い
本文
学校のクリアファイルの角が、山門の石へぱた、と軽く当たった。
紙より少し硬い、でも金具ほど強くない音だった。高瀬ひなは竹ぼうきを止め、門柱の影を見た。そこに立っていたのは、桜庭ひよりだった。肩に学校鞄、手には透明のファイル。中にはプリントが二、三枚、端のそろったまま入っている。
「来た」
ひなが言うと、ひよりがうなずく。
「来た」
「何」
「英語のノート。あとプリント」
差し出される。ひなは受け取りながら、ひよりの顔を見た。学校の帰り道の顔だ。けれど静縁寺の山門に立っていても、変にきょろきょろしない。
「わざわざ?」
「忘れてたでしょ」
「……まあ」
そこへ犬が門の内側から寄ってきた。ひよりの足元で一度だけ鼻を鳴らす。ひなは反射で言う。
「噛まないけど、鼻は先」
「うん」
ひよりは半歩だけ足を引いて、それから犬を見る。
「近いね」
「近い」
その返しが、妙に落ち着いていた。
勝手口のほうから、美琴の声が飛ぶ。
「ひなちゃん、お客さん?」
「友だちです」
ひなより先に、ひよりが少しだけ頭を下げた。
「桜庭ひよりです」
美琴が台所から出てきて、ひなの手のファイルを見て、ひよりを見て、すぐに笑う。
「あら、いつもどうも。ちょうどお茶入れるところなんですけど、少し寄っていきます?」
ひなはそこで口を開きかけた。
「いや、プリント渡しに来ただけで」
言い終わる前に、ひよりが言った。
「じゃあ、少しだけ」
早かった。
ひなはそこで、え、と思った。
台所の前で、ひよりは靴をきちんとそろえた。鞄は壁際。ファイルはひなの手から取らず、そのまま持たせている。変に遠慮しすぎず、でも勝手にも動かない。その置き方がうまかった。
「ここ、でいいですか」
ひよりが聞くと、美琴がうなずく。
「そこなら大丈夫です」
その短いやり取りで、もう場所が決まる。
文江が縁側から一度だけ顔を出した。ひよりと鞄と犬を見て、言う。
「座れるねえ」
「はい」
ひよりはそれだけで、ちゃんと茶の間の端へ座った。座布団の真ん中へ深くではなく、少しだけ手前。湯のみが出た時に手を伸ばしやすいくらいの位置だ。
ひなは横で見ていて、何となく落ち着かなかった。
自分の友だちが、寺の家の受け方にいちいち引っかからない。引っかからないまま、ちゃんとその場へ収まっていく。
美琴が盆を持ってくる。湯のみが二つ。ひなにはいつもの白いの、ひよりには藍の線が入ったやつだった。盆の端に、小さい器で甘い豆が三つだけのっている。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
ひよりは湯のみを両手で持った。熱すぎる時の持ち方ではなく、ちゃんと一口目まで分かっている持ち方だった。犬が縁側の外で水を飲んで、水皿がからんと鳴る。ひよりはそっちを見て、少しだけ笑う。
「ほんとに、いるね」
「いるよ」
湊がすぐ言った。
「ひより」
「うん、ひより」
「ひなちゃんの」
「友だち」
答え方まで早い。湊はそれで十分らしく、うなずいて犬の耳を見に戻る。ひよりも、そこで変に構いにいかない。
美琴が台所へ戻る時、ひよりが一度だけ立った。
「何か持ちます?」
ひながそこで目を丸くした。
「何で」
「だって、今持つ流れだった」
ひよりは小さい声でそう言った。
流れ。
「じゃあ、その小皿だけお願いします」
美琴が明るく受ける。
ひよりは器を一つ持って、卓へ置いた。こと、と軽い音。置く場所まで、そんなにずれていない。
ひなは横で見ていて、思わず言った。
「……強いな」
「何が」
ひよりが聞く。
「何か、全部」
「別に」
「別にで済ませないで」
ひよりは少しだけ首をかしげた。
「だって、そういう家なんでしょ」
ひよりはそこで言葉を切った。
茶の間の空気は、そのうち本当に普通になった。学校のプリントの話を少しして、明日の宿題を確認して、湊が横から「英語ってなに」と聞いて、犬がまた水皿を鳴らす。ひよりはその全部に、いちいち驚かない。
帰る時も早かった。
「じゃあ、また明日」
「うん」
「忘れないでね、ノート」
「分かってる」
鞄を肩にかけ、靴を履いて、山門で一度だけ振り返った。
外へ出ていくと、クリアファイルの角がまた石へ軽く当たった。
ぱた。
その音が遠くなってから、ひなは茶の間へ戻った。卓の上には湯のみが二つ。自分のはもう空で、ひよりの使った藍の線の湯のみだけが、まだ少しだけぬるかった。
さっきまでいた速さだけが、そこへ静かに残っていた。