36話 庭石が一つ多い
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あらすじ
風待町シリーズ ~寺~ - 36話 庭石が一つ多い
本文
庭石のあいだに、赤いボールがひとつ転がっていた。
大きくはない。子どもが片手で持てるくらいの、少しだけやわらかいゴムのボールだ。陽の当たるところへ半分だけ出て、残りは庭石の影へ寄っている。志波湊は縁側からそれを見つけると、すぐに飛び降りた。
「ある」
短い声だった。
犬が寝床から顔を上げる。
湊の行くほうを見るが、起き上がりはしない。庭の昼はまだ明るく、土も石も少しだけあたたかい。風は強くない。だから赤いボールがそこにあっても、最初はそんなに変ではなかった。
変だと思ったのは、ひなのほうだった。
「……あれ?」
竹ぼうきを持ったまま、庭の端で止まる。
大地たちが前に持ちこんだものの中に、ボールはなかったはずだ。赤い缶、地図の紙、短い鉛筆、ビー玉、木の実。そのへんは覚えている。覚えているのに、庭石のあいだに赤いボールだけが、前からそこにいたみたいな顔で転がっている。
湊はもう拾っていた。
両手で持ち上げ、少しだけ押して、弾むかどうかを見る。
ぽす。
高くは跳ねない。
でも、ちゃんとボールの返り方はする。
「これ、あったっけ」
ひなが聞くと、湊はボールを胸に抱えたままうなずいた。
「ある」
「今あるのは見えてる」
「あるよ」
返しが早い。
そして早いまま、湊は犬の前まで持っていく。犬は鼻先で一度だけ嗅いで、興味がないと分かるとまた顎を前足へ戻した。
その隣で、縁側の下にもう一つ、影があった。
ひなが目を細める。
庭石のきわに落ちている、丸い影。
赤いボールを湊が持っているなら、その影はどこのものだろうと思う。
顔を上げると、今度は本堂前の柱の影が少しだけ長く伸びていて、どこかとつながって見えなくもない。
そこまで見て、ひなはやめた。
庭の影は昼のあいだずっと動く。
何でもないものが何かに見えることはある。
けれど少し引っかかる。
文江が縁側の端へ来たのは、その時だった。
洗った布巾を腕にかけたまま、湊とボールと犬のあいだを見る。
それから庭石のほうも一度だけ見る。
「出たの」
問いは短かった。
湊はすぐに返す。
「出た」
「そう」
文江はそれで終わりにした。
ボールがどこからかとか、誰のかとか、そういうことは聞かない。聞かないまま、縁側へ腰を下ろす。
湊はその反応で安心したらしく、ボールを持ったまま庭の真ん中へ行った。
片手で持ちかえ、石と石のあいだへそっと置く。
置いてから、少し離れて見る。
「ここ」
自分で決めたみたいな声だった。
ひなはその並びを見た。
庭石が三つ。
赤いボールがひとつ。
犬の寝床が縁側の外。
その奥に本堂前の籠。
遊び場として見れば、全部そんなにおかしくない。
でも、やっぱりどこか一つだけ多い気がする。
大地たちの赤い缶は棚の下にある。
缶の中にボールが入るほどの高さはない。
持ってきたなら、そのへんに言いそうなものだ。
言わないで置くことだってあるかもしれない。
そう思いながらも、ひなは数えかけている自分に気づいて、そこで止めた。
庭石。
ボール。
犬。
子どもの履き物。
履き物。
縁側の下に、湊のサンダルが一足ある。
片方は犬の寝床のそば、もう片方は少し離れて庭石の横だ。
さっきまでそうだったはずなのに、今見ると片方がもう少し奥へ寄っている気がする。
湊は今、裸足だ。
だから動いてもおかしくない。
でも、赤いボールとサンダルと庭石の影が、何となくひと続きに見えてしまう。
「ひなちゃん」
文江が呼ぶ。
「はい」
「掃くなら、そっちから」
指されたのは、いつもの杉葉がたまる角だった。
ひなはそこで、ようやく竹ぼうきを持ち直す。
生活の手を戻されると、引っかかりのほうが半歩だけ遠くなる。
「はい」
庭を掃く。
葉が集まる。
土の上で、ささ、さ、と乾いた音が続く。
そのあいだも湊は赤いボールを投げたりはせず、ただ石のあいだへ置き直しては見ている。
犬は相変わらず眠そうだ。
文江は布巾を膝にのせたまま、何も言わない。
そこへ、大地と奏多が門から顔を出した。
「湊」
「おい」
二人とも、庭へ入るなり赤いボールを見た。
見て、少し止まる。
「それ、どしたの」
奏多が聞く。
「ある」
湊が言う。
「見ればあるのは分かる」
「でも、知らん」
大地が言った。
その返しで、ひなの背中にまた少しだけ引っかかりが戻る。
大地たちのでもない。
じゃあ、誰のだろう。
庭石のあいだに赤いボールだけがある。
大地たちはそこから先を気にしなかった。
奏多はすぐにボールを一度だけ足でつつき、
大地は「弾まねえな」と笑った。
それで終わる。
子どもの遊び場の温度が、変なところをそのまま薄めてしまう。
湊は赤いボールを抱えたまま、大地たちの横へ立った。
庭石のあいだに置いたり、持ち上げたり、犬の前へ持っていったりする。
そのたびに、縁側の下のサンダルの位置が少しだけ変わる。
さっき気になった「一つ多い感じ」は、その動きの中へ混ざっていく。
文江はその様子を見て、湯のみを一つ受け取るみたいに静かに言った。
「遊べるねえ」
それで話は足りた。
大地がうなずく。
「遊べる」
「でも、何か変」
ひなが思わず言うと、奏多が振り向く。
「何が」
「……いや」
そこでひなはやめた。
夕方前、赤いボールは本堂前の籠の横へ置かれていた。
大地たちが帰る時に「ここでいい」と湊が決めたらしい。
籠の中の石。
その横の赤い丸。
文江が縁側から言った。
「入るよ」
「はい」
ひなが返す。
茶の間へ戻ると、湯のみの音がして、障子の向こうから味噌の匂いがくる。
庭はそのまま外へ残り、赤いボールも籠の横でしれっとしていた。