36話 庭石が一つ多い

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/8/5 📚 シリーズ: 風待町シリーズ ~寺~ 📝 2,203文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

風待町シリーズ ~寺~ - 36話 庭石が一つ多い

本文

庭石のあいだに、赤いボールがひとつ転がっていた。

 大きくはない。子どもが片手で持てるくらいの、少しだけやわらかいゴムのボールだ。陽の当たるところへ半分だけ出て、残りは庭石の影へ寄っている。志波湊は縁側からそれを見つけると、すぐに飛び降りた。

「ある」

 短い声だった。

 犬が寝床から顔を上げる。

 湊の行くほうを見るが、起き上がりはしない。庭の昼はまだ明るく、土も石も少しだけあたたかい。風は強くない。だから赤いボールがそこにあっても、最初はそんなに変ではなかった。

 変だと思ったのは、ひなのほうだった。

「……あれ?」

 竹ぼうきを持ったまま、庭の端で止まる。

 大地たちが前に持ちこんだものの中に、ボールはなかったはずだ。赤い缶、地図の紙、短い鉛筆、ビー玉、木の実。そのへんは覚えている。覚えているのに、庭石のあいだに赤いボールだけが、前からそこにいたみたいな顔で転がっている。

 湊はもう拾っていた。

 両手で持ち上げ、少しだけ押して、弾むかどうかを見る。

 ぽす。

 高くは跳ねない。

 でも、ちゃんとボールの返り方はする。

「これ、あったっけ」

 ひなが聞くと、湊はボールを胸に抱えたままうなずいた。

「ある」

「今あるのは見えてる」

「あるよ」

 返しが早い。

 そして早いまま、湊は犬の前まで持っていく。犬は鼻先で一度だけ嗅いで、興味がないと分かるとまた顎を前足へ戻した。

 その隣で、縁側の下にもう一つ、影があった。

 ひなが目を細める。

 庭石のきわに落ちている、丸い影。

 赤いボールを湊が持っているなら、その影はどこのものだろうと思う。

 顔を上げると、今度は本堂前の柱の影が少しだけ長く伸びていて、どこかとつながって見えなくもない。

 そこまで見て、ひなはやめた。

 庭の影は昼のあいだずっと動く。

 何でもないものが何かに見えることはある。

 けれど少し引っかかる。

 文江が縁側の端へ来たのは、その時だった。

 洗った布巾を腕にかけたまま、湊とボールと犬のあいだを見る。

 それから庭石のほうも一度だけ見る。

「出たの」

 問いは短かった。

 湊はすぐに返す。

「出た」

「そう」

 文江はそれで終わりにした。

 ボールがどこからかとか、誰のかとか、そういうことは聞かない。聞かないまま、縁側へ腰を下ろす。

 湊はその反応で安心したらしく、ボールを持ったまま庭の真ん中へ行った。

 片手で持ちかえ、石と石のあいだへそっと置く。

 置いてから、少し離れて見る。

「ここ」

 自分で決めたみたいな声だった。

 ひなはその並びを見た。

 庭石が三つ。

 赤いボールがひとつ。

 犬の寝床が縁側の外。

 その奥に本堂前の籠。

 遊び場として見れば、全部そんなにおかしくない。

 でも、やっぱりどこか一つだけ多い気がする。

 大地たちの赤い缶は棚の下にある。

 缶の中にボールが入るほどの高さはない。

 持ってきたなら、そのへんに言いそうなものだ。

 言わないで置くことだってあるかもしれない。

 そう思いながらも、ひなは数えかけている自分に気づいて、そこで止めた。

 庭石。

 ボール。

 犬。

 子どもの履き物。

 履き物。

 縁側の下に、湊のサンダルが一足ある。

 片方は犬の寝床のそば、もう片方は少し離れて庭石の横だ。

 さっきまでそうだったはずなのに、今見ると片方がもう少し奥へ寄っている気がする。

 湊は今、裸足だ。

 だから動いてもおかしくない。

 でも、赤いボールとサンダルと庭石の影が、何となくひと続きに見えてしまう。

「ひなちゃん」

 文江が呼ぶ。

「はい」

「掃くなら、そっちから」

 指されたのは、いつもの杉葉がたまる角だった。

 ひなはそこで、ようやく竹ぼうきを持ち直す。

 生活の手を戻されると、引っかかりのほうが半歩だけ遠くなる。

「はい」

 庭を掃く。

 葉が集まる。

 土の上で、ささ、さ、と乾いた音が続く。

 そのあいだも湊は赤いボールを投げたりはせず、ただ石のあいだへ置き直しては見ている。

 犬は相変わらず眠そうだ。

 文江は布巾を膝にのせたまま、何も言わない。

 そこへ、大地と奏多が門から顔を出した。

「湊」

「おい」

 二人とも、庭へ入るなり赤いボールを見た。

 見て、少し止まる。

「それ、どしたの」

 奏多が聞く。

「ある」

 湊が言う。

「見ればあるのは分かる」

「でも、知らん」

 大地が言った。

 その返しで、ひなの背中にまた少しだけ引っかかりが戻る。

 大地たちのでもない。

 じゃあ、誰のだろう。

 庭石のあいだに赤いボールだけがある。

 大地たちはそこから先を気にしなかった。

 奏多はすぐにボールを一度だけ足でつつき、

 大地は「弾まねえな」と笑った。

 それで終わる。

 子どもの遊び場の温度が、変なところをそのまま薄めてしまう。

 湊は赤いボールを抱えたまま、大地たちの横へ立った。

 庭石のあいだに置いたり、持ち上げたり、犬の前へ持っていったりする。

 そのたびに、縁側の下のサンダルの位置が少しだけ変わる。

 さっき気になった「一つ多い感じ」は、その動きの中へ混ざっていく。

 文江はその様子を見て、湯のみを一つ受け取るみたいに静かに言った。

「遊べるねえ」

 それで話は足りた。

 大地がうなずく。

「遊べる」

「でも、何か変」

 ひなが思わず言うと、奏多が振り向く。

「何が」

「……いや」

 そこでひなはやめた。

 夕方前、赤いボールは本堂前の籠の横へ置かれていた。

 大地たちが帰る時に「ここでいい」と湊が決めたらしい。

 籠の中の石。

 その横の赤い丸。

 文江が縁側から言った。

「入るよ」

「はい」

 ひなが返す。

 茶の間へ戻ると、湯のみの音がして、障子の向こうから味噌の匂いがくる。

 庭はそのまま外へ残り、赤いボールも籠の横でしれっとしていた。

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