38話 美琴の回収
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あらすじ
風待町シリーズ ~寺~ - 38話 美琴の回収
本文
山門の木箱の上で、小さい器がこ、と鳴った。
風で鳴ったというより、置き直した指先が離れた時の音だった。志波智明はその音で足を止めた。山門の内側、犬の張り紙の下。木箱の隅に、白地に薄い青の入った小皿が一つ置かれている。
中には、洗濯ばさみが二つ。
短い鉛筆が一本。
なぜか飴の包み紙まで入っていた。
「何でここにあるんだ」
言ってから、智明は犬を見た。犬は水皿の前で鼻先を上げただけで、別に知らない顔をしている。張り紙はいつものまま。木箱も前からある。なのに小皿だけが、家の中から半歩ずれて、門の番みたいな顔でそこに乗っていた。
智明は皿を持ち上げた。
指に当たる肌は少しひんやりして、底には木箱の粉がうっすらついている。皿の中の洗濯ばさみが、持ち上げた拍子にから、と軽く鳴る。
「美琴」
呼ぶと、勝手口のほうからすぐ返事が来た。
「はい」
声だけ先に来て、次に美琴が出てくる。手には、何も持っていない。何も持っていないのに、智明の手の中の小皿を見た瞬間、もう次の順番が見えている顔だった。
「あら」
「何で門に小皿がいる」
「回収ですね」
返事が早い。
「回収って何だ」
「家のものが、ちょっと外へ行ったやつです」
そう言って、美琴は台所から小さい盆を一枚持ってきた。最初からそれを取りに戻るつもりだったみたいな速さだった。智明が皿をのせる。こ、と木に当たる。洗濯ばさみと短い鉛筆が少しだけ転がる。
「これ、誰が置いたんだ」
「たぶん、誰かがちょっとだけ借りて、そのままです」
「雑だな」
「でも、分かるでしょう?」
美琴は笑った。
「そこが門の『ちょっと置き』になってるの」
たしかにそうだった。張り紙の下の木箱は、札や紙を一時的に受ける顔をしている。そこへ小皿が一枚混ざれば、洗濯ばさみくらいは入れたくなる。よくないが、分からなくはない。
美琴はそのまま山門から茶の間へ戻る。智明もついていく。ついていくあいだに、茶の間の柱のところで今度は布の端が目に入った。
「これもか」
座布団の陰に、台所の布巾が半分だけはみ出している。濡れてはいないが、折ったまま置きっぱなしにされた顔だ。美琴はそこで足を止めず、盆を片手で持ったまま、空いた手で布巾を拾った。
「これもですね」
「何でそんなに早いんだ」
「見つけた順に持つだけですよ」
言いながら、布巾を盆の端へ重ねる。
皿。布巾。洗濯ばさみ。鉛筆。包み紙。
まだ大した量ではないのに、盆の上だけ見ると、もうちゃんと「回収」の顔になっている。
茶の間の卓の端には、湯のみが一つ残っていた。さっきまで誰かが飲んでいたらしい、藍の線の入ったやつだ。中は空。底にだけ、茶のしずくがうすく残っている。
智明がそれを見るより先に、美琴が言う。
「それも」
「分かってる」
今度は智明が自分で持った。
湯のみの肌はまだ少しぬるい。
空なのに、さっきまでここに手があった感じだけが残っている。
それも盆へ足す。器が器に軽く触れて、ちんと細い音がした。
「増えるなあ」
智明が言う。
「増えるというより、散ってますねえ」
文江が縁側からその盆を見た。
「回るねえ」
ひと言で済ませた。
「回収です」
美琴が答える。
文江はうなずいて、それ以上は何も足さない。ただ、茶の間の隅を一度だけ見た。そこには赤い缶の横へ、犬のブラシがいつの間にか立てかけてある。前は小さい器に入っていたはずの白い引換札が、その下へ半分だけ潜っていた。
美琴もそれに気づく。
「あ、そこもですね」
盆を一度卓へ置いて、ブラシを抜く。札を拾う。札の角が棚板に触れて、ちり、と紙らしい音がした。
「何でそこへ入るんだ」
智明が言う。
「手が空いてた人が、ひとまず差したんでしょうねえ」
「ひとまず、が強いな」
「強いです」
そこはすぐ認める。
そして認めたまま、札は小皿へ、ブラシはいつもの器へ戻る。
最後に残ったのは、山門から来た小皿だった。
洗濯ばさみは台所の紐のところへ。
短い鉛筆は棚の缶の横へ。
包み紙はごみ箱へ。
布巾は洗いへ。
湯のみは流しへ。
小皿だけが、まだ盆の真ん中にいる。
「これ、洗いますね」
美琴が言うと、智明はうなずいた。
「門の粉ついてたしな」
台所で小皿を水にくぐらせる。
水が表面をすべって、青い線が少しだけはっきりする。
文江はその横で、洗った湯のみを伏せる位置を少しずらした。
美琴が小皿の水を切って、乾いた布で縁だけをひと拭きする。
「美琴」
智明がそこで言う。
「何です?」
「おまえ、こういうの見つけるの早いな」
美琴は小皿を拭いたまま、少しだけ笑う。
「見つけるっていうか」
そこで一度、小皿を見た。
白い肌。薄い青。門の木箱の粉はもう落ちている。
夕方、茶の間へ湯のみが並ぶ頃には、昼のずれはもうほとんど見えなくなっていた。
小皿は棚のいつものところへ戻っている。
犬のブラシも器に立っている。
布巾は乾いた端を内にして畳まれ、洗濯ばさみは紐のところだ。
短い鉛筆は赤い缶の横。
白い札もちゃんと小さい器に入っている。
文江が棚の前を通って、小皿を一度だけ見た。
「戻ったねえ」
「戻りました」
美琴が言う。
「回収、終わりです」
その小皿へ、湯のみの底がふれないように横の器が少しだけ距離を取る。
美琴が最後にその並びを指先で直した。
そこでようやく、回収の顔になった。