となりの心配
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
大学2年生の橘ひなたは、ごく普通の女子大生。ある日、学校一のイケメンと噂される林武蓮と同じゼミになったことで、自然と彼を意識するようになる。 しかし蓮は恋愛に全く興味がなく、女の子から告白されても断り続けるクールな男。ひなたが話しかけても素っ気ない態度ばかり。 それでも一緒にいる時間が増えるうちに、ひなたは彼の不器用な優しさに少しずつ惹かれていく。 恋愛に無関心なイケメンが、初めて「恋の病」にかかるまでのドキドキラブコメ!
本文
その日、ひなたは講義室に入った瞬間、窓際の列に黒髪を見つけた。
また、いる。
先週は反対側に座って隣を避けられたけれど、今日はうまくいかなかった。教室に入るのが少し遅れたせいで、空いている席が窓際の一列しかなかったのだ。仕方なく、ひなたは林武の隣に腰を下ろした。
「……」
林武は何も言わなかった。いつもなら一瞬視線をくれるくらいはするのに、今日は全くこちらを見なかった。机に視線を落としたまま、ノートを開く動作も、いつもよりゆっくりだった。
ひなたはちらりと横目で確認した。
顔色が、いつもより白い気がする。普段から色白な方ではあるけれど、今日は明らかに違う。
頬のあたりに赤みもなく、唇の色も薄い。額にはわずかに汗のようなものが浮かんでいるようにも見えた。
寝不足なのかな?
そう思った瞬間、林武が小さく咳をした。一度だけ、抑えるように口元を押さえて。それからまた静かにペンを持ったが、その手の動きがどこかぎこちなかった。
鬼島教授が入室し、講義が始まった。ひなたはノートを開きながらも、意識の半分は林武に向いていた。
林武は普段、姿勢を崩さない。背筋がぴんと伸びていて、ノートをとる手も迷いがない。でも今日は、時々肩が小さく落ちているように見えた。ペンを持つ手も、いつもより重そうに見えた。
講義が30分ほど進んだ頃、林武がふっと深く息を吐いた。微かな音だったけれど、隣にいるひなたには聞こえた。
流石に声をかけるべきか、ひなたは迷った。でも下手に声をかけて「大丈夫」とでも言われたら、それで終わりだ。あの様子だと、心配されることを嫌がりそうな気もする。
それでも、気になって仕方なかった。
ノートに視線を落としながらも、ひなたは何度も横目で林武の様子を窺った。額の汗は、さっきより少し増えている気がする。呼吸も、いつもより浅いような気がした。
多分無理してるな。
ひなたの中で、確信に近いものが固まっていった。誰がどう見ても、本調子ではない。
なのに本人は、何事もないように振る舞おうとしている。それがまた、なんというか——らしいな、と思った。
講義の途中、教授が「では各自で問題を解いてみるように」と言って、教室がざわめいた。その隙に、ひなたは思い切って小声で声をかけた。
「……大丈夫?」
林武がわずかに顔を上げた。一瞬、驚いたような表情が浮かんだ。すぐにいつもの平坦な顔に戻ったけれど、ひなたは見逃さなかった。
「……何が」
「顔色、悪いから」
林武は少し黙った。それから、小さく答えた。
「…平気だ」
その声が、いつもより少しだけかすれていた。平気には到底聞こえないものだ。
ひなたは何か言おうとしたが、林武がすでにノートに視線を戻していたので、それ以上は言わなかった。これ以上踏み込んでも、突っぱねられるだけだろう。
それでも、気にならないわけがなかった。
講義の残り時間、ひなたはほとんど内容が頭に入らなかった。隣で静かに耐えている人がいる。それなのに、自分にできることが何もない。ただ隣に座っているだけ。
——別に、私が心配する必要なんてないはず。
そう思おうとしても、視線は何度も林武よ方に流れた。
講義が終わると、林武はいつもより少し遅れて席を立った。立ち上がる瞬間、わずかにふらついたように見えた。ひなたは反射的に手を伸ばしかけたが、林武はすぐに体勢を整え、何事もなかったように鞄を持った。
「……大丈夫だから」
ひなたの伸ばした手に気づいたのか、林武が小さく言った。視線は合わせなかった。
「誰も大丈夫って聞いてないけど」
「……そうか」
林武はそれだけ言って、いつもよりゆっくりとした足取りで教室を出ていった。
ひなたはその背中をじっと見つめた。普段の静かな存在感とは違う、なんだか頼りない後ろ姿だった。
廊下に出ると、さくらが小走りで追いついてきた。
「ひなた、今日も隣だったね」
「うん」
「どうだった?」
ひなたは少し考えてから答えた。
「……なんか、体調悪そうだった」
「え、そうなの?」
「顔色悪かったし、咳もしてたし。本人は平気って言ってたけど」
さくらが眉をひそめた。
「無理してそうだね」
「うん。なんか、放っておけない感じだった」
口に出してから、ひなたは自分の言葉に少しだけ驚いた。放っておけない、と思っている自分がいることに。
「ひなた、心配してるじゃん」
さくらがにやりとした。
「心配じゃないよ。ただ……気になっただけ」
「それを心配って言うんだよ」
ひなたは何も言えなくなって、黙って歩き出した。窓の外を見ながら、もう一度さっきの横顔を思い出す。あの白い顔、かすれた声。
大丈夫じゃないくせに、大丈夫だと言い切る、その不器用さが——なぜか、頭から離れなかった。