星の狩人(三)
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
一話完結・オムニバス(好きな所からお読みください)
本文
星の狩人(三)合わせ鏡の罠
補給ステーションは、古かった。
外壁の塗装が剥げ、増設を繰り返した通路がいびつに伸びている。民間運営の小規模ステーションによくある、継ぎ接ぎだらけの生き残り方だ。純はナイトホークを接岸させながら、その古さを悪くないと評した。古いものは、余計な電子系統が少ない。罠を仕掛けにくいのが利点だった。
隣のドックに、小型船が滑り込んできた。
細身で、エンジン部分だけ不釣り合いに大きい。あの逃げ足の速さは、そういうことだったか、と純は得心した。船は操縦士に似る。無駄を削ぎ落として、必要なものだけを残した形をしていた。
エアロックが開いた。
女が出てきた。
中背で、動きに無駄がない。ヘルメットを脱いだ顔は、純が漠然と想像していたものより若く、そして思っていたより目が鋭かった。品定めするような視線が純に向く。一秒ほど、二人はそのまま互いの存在を測り合った。
「思ったより普通ね」
「お前もだ」
「失礼ね」
「褒めたつもりだ」
彼女は片眉を上げたが、それ以上は追及してこなかった。純も言葉を重ねる気はなかった。
「送信設備を借りる。管理室はどこ?」
「ついてきて」
二人は古い通路に足を踏い入れた。
管理室は狭かった。端末が三台、うち一台は電源が入っていない。彼女は使えそうな端末の前に座り、データキャリアを接続した。純は扉の近くに立って、通路の気配に耳を澄ませる。
「送信する」
「ああ」
キーを叩く音が狭い部屋に響いた。
そして、不意にそれが止まった。
「……おかしいわ」
純は振り返った。画面に赤いテキストが浮かんでいる。
『認証コード不完全。送信不可。』
「どういうことだ」
「データは完全なはずなのに。認証が通らない。コードが……半分しかない」
純は黙って依頼書を取り出した。あの薄い電子紙。ハンターとして二十年、依頼書は仕事が終われば捨てるのが常だった。だが今回はまだ手元に残してあった。最初から、依頼人を信用していなかったツケがここで回ってきた形だ。
端末にかざした。
スキャンが走る。
依頼書の余白に、不可視インクで埋め込まれたコードが浮かび上がった。
「……」
彼女が立ち上がり、背後から画面を覗き込んできた。肌が触れそうな距離で、しばらく沈黙が流れた。
「最初から、二人を揃える気だったのね」
「ああ」
「私のデータと、あなたの依頼書。二つが揃って初めて送信できる。一人では何もできない仕組みだったわけ」
「俺たちをこの場所に集めて、まとめて始末する」
純は口にしながら、すでに扉の外の気配を完全に捉えていた。ステーションの古い空調の音に混じって、足音が忍び寄る。複数。急いでいない。包囲を完成させようとする老獪な足取り。
「来ている」
「何人?」
「四人は確実。もっといるかもしれない」
彼女は端末に向き直った。その背中がわずかに緊張に強張る。
「送信する時間はある?」
「やってみろ。俺が稼ぐ」
「あなた一人で?」
「文句があるなら手伝え」
「……両方やるわ」
純は少し意外に思ったが、表には出さなかった。
彼女は指を滑らせながら、低く囁いた。
「このステーション、古い外部通信回線がある。メインが塞がれても、非常用の旧回線から送れるはず。時間を頂戴」
「何分だ」
「三分」
「わかった」
純は扉を開け、暗がりに身を投じた。
古いステーションは、純に味方した。
通路が狭い。一度に複数が動けない。角が多い。死角が多い。純は二十年で培った空間把握をフルに使い、相手の動きを先読みしながら通路を制していった。派手な戦いではない。静かで、速く、確実な、息の根の止め方だった。
三分が、ひどく長く感じられた。
通信が入った。ナイトホークの暗号回線を経由した彼女の声が、耳元で小さく弾む。
「送れた」
「確認は」
「受信確認が返ってきた」
純は短く息を吐いた。胸の奥の熱が、少しだけ冷めていく。
「今から合流する。船に戻れるか」
「戻れる。ルートを教えて」
「来た道を戻るな。右の通路、突き当たりを左だ」
「了解」
二人は一度、それぞれの愛船に戻った。
メインシステムを起動し、いつでもドックを離脱できる状態にしてから、純は最低限の警戒を維持しつつ、再び船外へと足を踏み出した。
純はドックを出る際、ステーションの管理室へと立ち寄った。それが純の流儀。巻き込んだ側が筋を通す。管理者は呆れた顔をしていたが、純が置いていった補償額を見て、まあいいかという顔に変わった。
純は彼女の船に通信を入れた。
「ステーション内にバーがあった」
「見たわ。古そうだったけれど」
「古い店は、だいたい酒が悪くない」
短い沈黙が、回線越しに横たわった。
「……おごりなら」
「割り勘だ」
「ケチね」
「倹約家だ」
バーは、思っていたより悪くなかった。
カウンターが六席。他に客は二人だけで、互いに関心を持たない類の人間。純はバーボンを頼んだ。彼女はしばらくメニューの文字を追っていたが、結局同じものを口にした。
「合わせたのか」
「たまたまよ」
グラスが運ばれてきた。二人は黙って一口、琥珀色の液体を喉に流し込んだ。
「ルナよ」と彼女は切り出した。聞かれてもいない名前を、ぽつりと言い落とすように。「一応ね」
「純だ」
「知ってる。依頼書に書いてあったから」
「本名か」
「今はそれで通してる」
純はそれ以上、踏み込まなかった。ルナは少し意外そうな目を向けた。
「聞かないのね」
「聞いてどうする」
「……普通は気になるものじゃない?」
「俺は普通じゃないとよく言われる」
ルナが小さく笑った。グラスを傾ける手元が、わずかに揺れる。
「元はどこかにいたんだろう」純は正面を向いたまま、静かに水を向けた。「あの腕は、独学じゃない」
「……買いかぶりよ」
「事実を口にしただけだ」
ルナはしばらく黙り込んだ。グラスの氷を、じっと見つめている。
「昔、いたところがあったわ。もう、ないけれど」
「辞めたのか」
「……まあ、そんなところ」
純はそれ以上追及しなかった。ルナも言葉を続けようとはしなかった。その隙間の多い沈黙が、今の二人にはちょうどよかった。
「あなたは」ルナがグラスの縁を指でなぞりながら尋ねた。
「ハンター以外の生き方、考えたことある?」
「ない」
「即答ね」
「考えたことがないから、そのまま出た」
「本当に?」
純はグラスに視線を落とした。バーボンの色が、カウンターの低い照明を受けて、どこか寂しげに揺れている。
「この仕事しか知らない。だから、ただ続けている」
「それだけ?」
「それだけだ」
「私は」ルナは自分のグラスを見つめた。
「選んでこうなったわ。あなたとは違う」
「どちらがいいかは、誰にもわからない」
「そうね」
二人は再び黙り込んだ。悪い沈黙ではなかった。古いバーの空調が、二人の間で低く、頼りなく唸り続けている。
グラスが空になった。
純は腰を浮かせた。
「そろそろ行く」
「そうね」
会計を済ませた。純が出した金額はきっちり半分だった。ルナは何も言わず、ただそれを見つめていた。
ドックへ向かう通路で、二人は並んで歩いた。互いの靴音が、冷たい床に重なって響く。
それぞれのドックへの分岐点で、自然と足が止まった。
「また面倒なことになったら」ルナが、純の横顔に視線を向けた。
「呼んでもいい?」
純はしばらく、宇宙の闇を睨むように間を置いた。
「……考えておく」
「それ、いいってことね」
「考えておく、と言っただけだ」
ルナが笑った。今度は吐息を漏らすように、短く、微かに。
「じゃあね、純」
「ああ」
純は自分のドックへ足を向けた。一度も振り返ることはなかった。
二隻が補給ステーションを離れたのは、それから十五分後だった。
ナイトホークのエンジンが重く唸りを上げた。接岸ロックが外れ、船が漆黒の宇宙へ滑り出していく。計器盤の淡い光が、純の顔を青白く照らし出した。レーダーの端に、あの細身の小型船の反応が映る。それは一瞬の後、光の尾を引いてワープの彼方へ消え去った。
速い。
純は小さく鼻を鳴らした。
次の依頼の座標を入力する。いつもと同じ、冷え切った仕事。変わったことは何もない。
ただ、ルナの通信チャンネルだけは、データから削除しなかった。
自分自身、なぜそうしたのかはあえて考えないことにした。
星の海は、今日もただ、静まり返っている。