3話:初めての『魔弾』
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あらすじ
ナザルに促されるまま、シュドーとメルティは潮騒が遠くに響く森の深部へと足を踏み入れた。そこは切り立った崖に面した開けた場所で、大小さまざまな岩が転がる、おあつらえ向きの修練場のようだった。湿った土の匂いと、時折吹き抜ける鋭い風。
本文
ナザルに促されるまま、シュドーとメルティは潮騒が遠くに響く森の深部へと足を踏み入れた。
そこは切り立った崖に面した開けた場所で、大小さまざまな岩が転がる、おあつらえ向きの修練場のようだった。
湿った土の匂いと、時折吹き抜ける鋭い風。
ナザルは崖の端で足を止めると、ゆっくりと振り返った。
「いいか、よく見ておれ。これが理を編み、現象を書き換える術…魔法じゃ」
老人が手にした古びた木の杖が、前方の巨大な岩へと向けられる。
刹那、空気が震えた。
シュドーとメルティは、ナザルの全身から立ち昇る、陽炎のような淡い光の奔流を目撃した。
肌を刺すような、ゾワリとした根源的な恐怖と高揚が二人の背筋を駆け抜ける。
「魔弾!」
鋭い言霊と共に、杖の先端から白銀の光弾が撃ち放たれた。
音を置き去りにするほどの速度で空間を裂いた光は、標的の岩へと着弾し、
バガァン!!
巨大な質量を持った岩石が、まるでおもちゃのように粉々に砕け散った。
「…………す、げぇ」
シュドーの口から、呆然とした呟きが漏れる。
メルティもまた、あまりの威力に言葉を失い、羊の角を小刻みに震わせていた。
「ふぅ……久々に使ったからちとしんどいわい」
ナザルは額に滲んだ汗を無造作に拭うと、興奮冷めやらぬ二人へ向き直った。
「今のが魔弾。己の魔力を体外へ放つ、あらゆる魔法の基礎の基礎じゃ。
これが出来ねば話にならん。ほれ、やってみろ」
「なっ、いきなりかよ!出し方のコツとかは!?」
「出し方なぞ無い。己の魔力を杖先に集め言霊と心で放つ。それだけじゃ」
放り投げられた、取っ手にボロ布の巻かれた練習用の杖。
シュドーはそれを両手で構え、渾身の力を込めた。
「んぎぎ……! 出ろ、出ろ……っ!」
顔が真っ赤に染まり、腕に血管が浮き出る。
だが杖の先からは、光の欠片ひとつ現れなずシュドーの杖を持つ手が震えるのみ。
(……やはり平民には、魔導の門は開かぬか)
ナザルが内心で諦めかけた、その時。
「シュドー! イメージだよ!」
メルティが叫んだ。
「小さい頃、二人でやった大魔導士ごっこ!
あの時みたいに、世界で一番かっこいい大魔導士になったつもりで!」
その言葉に、シュドーの脳裏へ鮮烈な記憶が蘇る。ボロ布のマント、木の棒の杖、根拠のない自信に満ちていたあの頃。
「そうか……かっこいい、俺……」
肩の力を抜き、意識を内側へ向ける。
出口を求めてうごめく熱い何かを、かつて夢見た英雄の姿に重ね合わせた。
「俺は、撃てる……撃つッ!」
身体の内部、腹の底から熱が生まれた。
シュドーはそれを、指先に、杖の先に集中させるイメージを作り出す。
指先に熱が篭り、眩い光が小柄な身体から溢れ出す。
「魔弾ッ!!」
放たれたのは、頼りなく放物線を描いて数メートル先の地面に落ちる、拳ほどの光弾。それでも間違いなく、理を捻じ曲げた魔導の産物だった。
「や、やった……使えた……! おいメルティ、俺にも魔法が使えたぞ!」
「やったぁ! シュドー、すごいよ!」
弾かれたように抱きついてきたメルティを、シュドーは慌てて引き剥がす。
「おい、抱きつくなって! ほら、お前もやってみろ!」
「あっ、う、うん……!」
ぎこちない手つきで杖を構え、メルティは目を閉じる。瞼の裏に焼き付けるのは、大好きな親友の背中だった。
「シュドーみたいに、シュドーみたいに……っ!」
純粋な憧憬が、内に眠る膨大な魔力の源泉を激しく揺さぶる。
シュドーの時よりもさらに濃密な光が、白い髪を逆立たせた。
「バ……魔弾ッ!!」
放たれた光弾は、シュドーのものより一回り大きく、狙いを外れて草むらへ突き刺さった。
「わぁ! 僕もできた、シュドー!」
歓喜に沸くメルティの陰で、ナザルはその場に釘付けになっていた。
(……信じられん。
この羊の小僧の魔力、黒髪のガキの倍近い…いや、それ以上の密度か。
これは磨けば途轍もない逸材かもしれん)
老人の視線がメルティに注がれる、その一瞬。
称賛でも嫉妬でもない、名状しがたい何かがシュドーの胸をちくりと刺した。
だが問い詰める間もなく、ナザルがわざとらしく咳払いをする。
「……お前ら、名前は?」
ナザルが初めて、一人の人間として彼らの名を問うた。
「……シュドー・クラフトだ。覚えとけ!」
「メ、メルティ・アルフィリオです……!」
ナザルはしばらくの間、沈黙して二人を見据えていた。
やがて、深く、長くため息を吐き出す。
「……前にも言ったが、ワシはもう魔導士をとうの昔に引退した身。
魔力も全盛期の半分にも満たん。
そんなワシが教えてやれるのは、魔導の深淵ではなく、泥臭い基礎だけじゃ。
それでも、本当にかまわんのか?」
「構わねぇよ! 大魔導士になる為の第一歩だ!」
「う、うん! 僕も! シュドーと一緒に、絶対に大魔導士になる!」
二人の迷いのない言葉に、ナザルの眼光が鋭く研ぎ澄まされた。
「……ならば、一つだけ約束をせい」
その異様な迫力に、シュドーとメルティは反射的に背筋を伸ばし、唾を飲み込んだ。
「魔法は、修行中の間は町中で絶対に使うな。
特に人に向けて放つなど言語道断。
もしこの約束を一度でも破れば、ワシは金輪際お前たちに何も教えん。
そして――」
ナザルは一歩踏み出し、二人の鼻先に顔を寄せた。
その双眸に宿る冷徹な殺気が、周囲の温度を凍りつかせたように感じられた。
「……事と次第によっては、ワシがお前たちを殺す」
「っ……!」
シュドーが息を呑んで後退り、メルティの大きな瞳からは今にも涙が溢れそうになる。
脅しではない。
それは、力を手に入れる者が背負わねばならない「責任」の重さを、老魔導士が魂を削って伝えているのだと悟らせるに十分な重圧だった。
「魔法は、人を殺そうと思えば容易く命を奪える力じゃ。
それを持つ覚悟がない者に、魔導の道を歩ませるわけにはいかん。
……この約束、守れるか?」
しばしの沈黙。 やがて、シュドーが震える拳を握りしめ、力強く頷いた。
「……あぁ、約束する。絶対に人には向けねぇ」
「ぼ、僕も……約束します。……約束、破りません」
ナザルはその答えを聞くと、ふっと殺気を解き、いつもの偏屈な老人の顔に戻った。
「……いいじゃろう。
弟子など取るつもりはなかったが、やれるところまでは付き合ってやる。
ただし、慈善事業ではないから明日からはちゃんと月謝を持って来い」
二人は顔を見合わせ、声を限りに喜びを爆発させた。
「よっしゃあ! ようやく魔導士への道が始まったぜ!」
「やったね、シュドー! 僕たち、頑張ろうね!」
手を取り合って飛び跳ねる二人の姿。
ナザルはそれを見つめながら、かつて自分が魔法を志したばかりの頃の、泥臭くも純粋な日々を思い出していた。
自嘲気味に口角を上げたが、すぐに声を張り上げる。
「よーしガキ共! 早速始めるぞ!
まずは肩慣らしに魔弾百発、今すぐ撃てるようになれい!」
「はぁ!? また魔弾かよ!?
もっとドカンとすごいやつを教えろよジジイ!」
「やかましい! たかだか一発撃てた程度で増長するな!
実戦になればそれ以上の数を呼吸するように放つことになるんじゃぞ!」
「わわ、ふ、二人とも喧嘩しないでぇー!!」
罵り合うシュドーとナザルの間に、メルティが慌てて割って入り、わちゃわちゃとした騒ぎが崖の上に広がった。
◇◇◇
それから二人の日常は一変した。港での駄賃稼ぎと、丘での修行。ナザルが叩き込んだのは魔弾だけではない。
防御の『盾』、加速の『疾走』、空を飛ぶ『浮遊』、近接の『打撃』――基礎という名の五つの型を、二人は泥に塗れながら体に刻んでいった。
「疾走!」
ギャギャギャギャ!
熱が足を伝わり、足裏から発する魔力が車輪の様に回り、自分の体を前に押し出す感触と風を切る速さを肌に感じる。
しかし、
「わ、わ、わ!」
メルティがその馬鹿力で制御を誤り、盛大に茂みへ突っ込んで草塗れになった。
口の中に草と土の味が満ちる。
「げほっ、げほっ……く、草が口に……」「アホ、勢いつけすぎだっつーの」
その過程で、ナザルの目にはある事実がますます鮮明になっていった。
同じ型を十回見せれば、羊の小僧は十回目には再現してみせる。
黒髪の小僧は二十回失敗する。
だが二十一回目には、誰よりも前へ出ようとする。
夕暮れ、身体を動かす実技が終われば、今度は座学が待っていた。
分厚い魔導理論書を前に、メルティは「頭が爆発しちゃう…」と机に突っ伏す。
だが、シュドーは対照的に知識には貪欲だった。
「あ……これ、お袋がよく採ってこいって言ってる草だ。
へー、この薬の材料にもなるのか……面白いな」
外見も、才能の在り方も、何もかもが対照的な二人の弟子を眺めながら、ナザルは髭の奥で一人、満足げに口角を上げていた。
そして、三年の月日が流れた。
潮風に晒され、陽に焼かれ、二人は少年から青年へと変わっていった。
その頃、コタンの空を見上げる者は、まだ誰もいなかった。