4話:災厄の予兆
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
「よぉ、おチビとデカ羊」港での力仕事を終え、二人が数枚の銅貨を握りしめて歩き出した時、路地裏から三つの影が道を塞ぐ。かつての悪ガキの面影を残したまま成長したディック達が立っていた。
本文
「よぉ、おチビとデカ羊」
港での力仕事を終え、二人が数枚の銅貨を握りしめて歩き出した時、路地裏から三つの影が道を塞ぐ。
かつての悪ガキの面影を残したまま成長したディック達が立っていた。
「お前ら、まだあの偏屈ジジイのところで魔導士ごっこなんてやってるのかよ」
「…チッ」
露骨に顔を顰めるシュドー。
十五歳になったシュドーは、相変わらず百五十センチの小柄な体躯を黒い髪とともに揺らしている。だが、その顔立ちからは幼い丸みが消え、日々の修行と労働に裏打ちされた引き締まった精悍せいかんさが宿り始めていた。
対照的に、メルティの背丈は百八十センチに達し、肩幅も胸板も立派な大人の男としての厚みを備えている。しかし、中身は五歳の頃から何ら変わることなく、常にシュドーの影に隠れては大きな身体を丸めているのだった。
ディックが鼻で笑い、周囲の男たちと顔を見合わせた。
「まさか本気で大魔導士になれるなんて思ってねえよな?
平民と半獣人が魔法なんて、お笑い種だぜ」
「あぁ、あのジジイもお前らみたいな馬鹿を適当にその気にさせて、金を巻き上げてるだけだって町じゃ評判だぞ。いい加減目を覚ませよ、チビ」
悪意に満ちた嘲笑が、潮風に乗ってシュドーの耳を打つ。
ギリッ
シュドーは歩みを止め、懐の杖に触れようとする指先を硬く握りしめた。
瞳には昏い怒りの炎が宿り、言葉を返そうと唇を震わせる。
シュドーの右手が、激しい怒気とともに懐の杖を掴みかけた、その時だった。
「シュドー」
背後から、メルティの大きな掌がシュドーの肩を優しく、だがしっかりと制した。
彼の半獣人の嗅覚は、シュドーの怒りと、悲しみの匂いを捉えていた。
「だめだよ……。おじいちゃんとの約束、忘れたの?」
メルティの困ったような、悲しげな声。
修行以外の場所で、決して人に向けて魔法を使うな。
ナザルとの重い誓いが、シュドーの脳裏に警鐘を鳴らす。
ここで手を出せば、自分たちが積み上げてきた三年間の価値を自ら汚すことになる。
「…………わかってるよ。行くぞ、メルティ。
遅れたらジジイの小言がうるせえからな」
シュドーは吐き捨てるように言い、ディックたちに背を向けた。
「おいおい、逃げるのかよ!習った魔法はどうした!使ってみろよ!」
ギャハハハハ、とディック達の笑い声を背に受けながらシュドー達は歩き出す。
その途中で、シュドーは正面を向いたまま杖の先をディックのいる背後に向けた。
「………魔弾バレット」
囁くような声で放った極小の魔弾バレット。
それは丁度ディック達の真上にあった小粒な木の実の軸を断つ。
木の実がディック達の頭に落ち、べちょり、と潰れ不快なぬめりと果実の腐った臭いが彼らの顔を包んだ。
「ぎゃっ!?」「ぐわっ、く、くせぇ!」
周りを見渡し慌てふためくディックを尻目に歩き出すシュドー達。
「シュ、シュドー…だから人に魔法は使っちゃだめって…」
「…うるせー。人には当ててねぇからセーフだ」
心配そうに言うメルティにシュドーは憮然としたまま歩き続けた。
◇◇◇
薬草と古本の匂いに満ちたナザルの小屋の中。
二人は、いつものように古びたテーブルで分厚い魔導書と向き合っていた。
だが、今日のシュドーは一言も発さずただ黙々と紙に術式の理論を書き写している。
その不自然な静寂に、ナザルが怪訝そうに眉を上げた。
「なんじゃ、今日はえらく殊勝じゃな、シュドー」
「……別に。なんでもねえよ、ジジイ。いいからさっさとここの理論教えろよ」
刺々しい返答に気まずい沈黙が降りる。
メルティはおろおろと二人を見比べ、空気を変えようと必死に話題を捻り出した。
「ね、ねぇおじいちゃん。おじいちゃんの若い頃って、どんな魔導士だったの?」
その問いに、ナザルはふむ、と深く刻まれた眉間の皺を緩めた。
懐かしむような、どこか遠くを見る瞳で蓄えられた髭を撫でる。
シュドーもまた、書く手を止めて横目でナザルを見つめた。
「若い頃のワシか……。それなりに羽振りは良かったぞ。
二級魔導士として、王都の魔導院に席を置いていたこともある」
「二級? なんだよ一級魔導士じゃねえのか」
シュドーの呆れたような鼻鳴らしに、ナザルがムキになって身を乗り出した。
「なんだとはなんじゃい!
二級魔導士というのは、国家が認めた一人前の証なんじゃぞ!
確かに、一級はそれこそ、雲の上のエリートの存在じゃ。
だが二級さえ持っておれば、冒険者や護衛としても食いっぱぐれることはない。
魔導士としての実力を世間に示す、最も輝かしい勲章のようなもんじゃ。
ワシも当時は仲間と共に、未踏の迷宮へ潜ったものよ。その証拠に……」
ナザルは立ち上がると、戸棚の奥から古びた、だが大切に手入れされた小箱を取り出した。
蓋が開かれると、夕暮れの光を受けて、宝石の装飾が施された金の腕輪が眩い輝きを放った。
「うおっ!? なんだよこれ、本物か!?」
「わあ……すごい、綺麗……!」
田舎町の少年たちには縁のない、洗練された魔導工芸品の美しさに、二人は思わず身を乗り出した。
「ふふん、驚いたか。迷宮の地下三十階、数多の魔獣の群れと死線を超えた果てに掴み取った制覇の証じゃ。
売ればそれなりの額になるお宝じゃぞ」
自慢げに鼻を鳴らすナザルだったが、ふと、その瞳から輝きが消えた。
遠い過去の栄光から目を背ける様に、彼は静かに蓋を閉じた。
「……じゃが、それだけじゃ。ワシが魔導士としてこの世に残せたものは」
老魔導士の肩が、わずかに小さくなったように見えた。
「結局、ワシは魔導士として名を馳せず……何も成し遂げられんまま、今はこの辺境で朽ちるのを待つだけの身よ」
沈み込むような沈黙。
だが、ナザルはすぐに無理やり顔を上げ、明るい声を張り上げた。
「…ふぅ、くだらん昔語りをしてしまったわい! さあ、今日はもう終いじゃ!
日が暮れんうちに、とっとと帰れ!」
「おい、なんだよ。まだ全然暗くなってねえじゃねえか、ジジイ」
シュドーの疑問を無視し、ナザルは強引に二人の背中を押して外へと送り出した。
「今日は疲れたんじゃい! 年寄りを労われ! ほれ、帰った帰った!」
乱暴に扉が閉ざされ、シュドーはぶつくさと文句を言いながら、メルティと共に丘を下っていった。
一人残されたナザルは、小屋の窓から夕焼けに染まる空を見上げた。
雲一つない、透き通った赤。
だが、ナザルの内側では、かつての魔導士としての勘……錆びついていたはずの生存本能が、激しく警鐘を鳴らし続けていた。
肌を撫でる風が、不吉なほどに湿っている。
「……何も、起こらねば良いのじゃがな」
老人の独り言は、不気味に静まり返った丘の空気の中に、溶けるように消えていく。
その一言の後に、視線の片隅の空が黒く染まり始めていた。