5話:呪いが降り注いだ日
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
「なんなんだよ、ったくあのジジイ……。急に追い出しやがって」丘の道を下りながら、シュドーはなおも納得のいかない様子で、道端の小石を乱暴に蹴飛ばした。その日の夕方は潮風が止み、不気味なほどに静まり返っていた。
本文
「なんなんだよ、ったくあのジジイ……。急に追い出しやがって」
丘の道を下りながら、シュドーはなおも納得のいかない様子で、道端の小石を乱暴に蹴飛ばした。
その日の夕方は潮風が止み、不気味なほどに静まり返っていた。
「でも、知らなかったなぁ……。なんとなく一級魔導士はすごいってことは知ってたけど、二級魔導士もすごいんだね」
メルティが隣で、感慨深げに呟く。 その言葉に、シュドーも不承不承ながら頷いた。ナザルが語った、命を削るような迷宮探索の断片。
幼い頃に夢見ていた英雄とは違う、身近でありながらも今の自分達よりも遥かな高みを見た事にシュドーの目に光が灯る。
「……まぁ、楽になれるとは思ってねぇけどよ。
けど、大魔導士になるって目標は変わらねぇ。そうだろ、メルティ!」
「うん! そうだね、シュドー!一緒にがんばろ!」
メルティが花が咲くような笑顔を見せ、明るい声を上げた、その瞬間だった。
世界から、色彩が消えた。
まるで巨大な蓋で覆われたかのように、辺りは真夜中のような闇に包まれる。
驚いて二人が空を見上げると、そこには目を疑う光景が広がっていた。
先ほどまで夕焼けに染まっていたはずの天空を、粘り気のあるドス黒い雲が瞬く間に埋め尽くし、太陽の残光すらも無慈悲に飲み込んでいた。
「なんだ……? 何が起きてやがる……」
シュドーの喉が引き攣る。
暗雲は不気味にうごめき、やがて内側から毒々しいピンク色の光を放ち始めた。空一面が、吐き気を催すような妖しい桃色に染まり、世界を塗り潰していく。
港で網を繕っていた漁師も、家路を急いでいた女たちも、誰もがその場に縫い止められたように立ち尽くし、天を仰いでいた。
「シュ、シュドー……」
メルティが怯えたように、シュドーの服の裾を強く掴む。
自身に交じる獣の本能が強く警鐘を鳴らしていた。
シュドーは何も答えられなかった。
ただ、全身の産毛が逆立つような、本能的な恐怖が背筋を駆け抜ける。
あれは、ただの自然現象ではない。
この世の理(ことわり)を外れた、巨大な「呪い」の気配だ。
直後――。
ドカァァン!!
鼓膜を突き破らんばかりの轟音が、町の遠方で炸裂した。
天を割って、極彩色の光を帯びたピンク色の稲妻が、地上へと降り注ぐ。
「――逃げろ!!」
シュドーの叫び声が、凍りついた町の沈黙を打ち破った。
彼はメルティの手をひったくるように掴み、全力で走り出す。
それを合図にしたかのように、町の人々も正気に返り、悲鳴を上げて屋内に逃げ込み、怒号が路地裏に満ち溢れた。
空が、激しく明滅する。
逃げる二人の背後へ、天から死の槍のようなエネルギーの奔流が迫っていた。
シュドーの視界の中で、時間が引き延ばされる。
死を予感したその瞬間、
どんっ
横にいたメルティが、信じられないほどの力でシュドーの背中を横へと突き飛ばした。
「メルティッ!?」
突き飛ばされたシュドーが地面を転がるのと同時、逃げ遅れたメルティの頭上から、巨大な光の柱が直撃した。
ドカァァァン!!
「あああああぁぁぁ!!」
全身の細胞を焼き尽くす様な衝撃。
ピンク色の稲妻に貫かれたメルティの巨体が、糸の切れた人形のように膝から崩れ落ち、地面に叩きつけられた。
直後、空を覆っていた禍々しい雲は、何事もなかったかのように霧散し、世界には再び元の穏やかな夕焼けが戻っていた。
あまりの出来事に、シュドーは数秒の間、呆然と立ち尽くした。
だが、砂埃の中に倒れる白い背中を目にした瞬間、心臓が爆ぜるような衝撃とともに正気を取り戻す。
「メルティィィィ!!!」
喉が裂けるほどの絶叫。
シュドーは必死に地面を這い、メルティの元へと駆け寄った。
「メルティ! おい、メルティ!? 起きろ! 返事しやがれ!!」
荒い呼吸を繰り返しながら、メルティの身体を抱き起こす。
一見して、外傷はなかった。服に焦げた跡すらなく、火傷の痕跡も見当たらない。
だが、腕の中に抱えたその身体は、まるで溶鉱炉のように異様な熱を帯びていた。
メルティの額からは滝のような汗が噴き出し、苦しげに顔を歪ませている。
「シュ、シュドー……」
長い睫毛に縁取られた瞳が、弱々しく開いた。
「シュドーは……だいじょうぶ……?」
その声は震え、途切れ途切れだった。
極限の苦痛の中にありながら、メルティは自分を貫いた光からシュドーを守れたかどうか、それだけを案じていた。
「あぁ、俺は大丈夫だ! 掠ってもいねぇ!
それよりメルティ、お前は!?」
シュドーは震える手で、メルティの汗を拭う。
「よかった……シュドーが……無事で……」
メルティは微かに微笑むと、そのまま全ての力が抜けたように目を閉じ、意識を手放した。
「メルティ!? メルティ!!」
何度呼びかけても、相棒が目を開けることはなかった。
ただ、その浅い呼吸と高熱だけが、彼の命がまだ繋がっていることを示していた。
「くそっ!! 頑張れよ、メルティ!
もうちょっとで家に着くからな、絶対助けてやるからな!」
シュドーは自分より遥かに大きなメルティの体を背負い、小さな身体を軋ませながら立ち上がった。
かつて泣き虫な彼の手を引いて歩いたあの日と同じように、今度はその重みに押し潰されそうになりながらも、シュドーは夕闇に沈む我が家を目指して、一歩、また一歩と震える足を踏み出した。
◇
シュドー達が集まった寝室には、苦しげなメルティの呼吸の音だけが響く。
高熱に浮かされるメルティの肌は、触れれば火傷しそうなほどに熱く、絶え間なく溢れ出す汗がシーツをぐっしょりと濡らしている。
シュドー親子が見守る中、メルティの父ガウディは力なく膝をつき、息子の手を握りしめていた。
ナザルは、メルティの脈を計り、その胸元に手をかざして魔力を流し込んでいたが、やがて力なくその手を下ろした。
「……すまん。ワシには、どうすることもできん。
これほどまでに悍ましい、底知れない魔力を含んだ強力な呪いは、今まで見た事も聞いた事もない」
ナザルの言葉が部屋全体を重く包む。
シュドーが半狂乱でナザルの胸倉を掴みかかるのを父タバンが制する中、ガウディも涙ながらに叫んだ。
「おい、ふざけんなよジジイ!!
ジジイは二級魔導士で、国家が認めた一人前の魔導士だって自分で言ってただろうが!!だったらなんとかしてみせろよ!!!」
「なんとかならないのですか!?
妻が亡くなって、私には…もうこの子しか、メルティしかいないんです!!」
二人の叫びに黙って目を閉じ俯くだけのナザル。
無力な者達の叫びが、夜の闇に空しく響いた。
◇
目を閉じても開いても変わらない無限の暗闇。
気が付けばメルティは浮かんでいた。
(ここは……どこ? 僕…どうなったの?)
頭がぼんやりとする。
メルティは遠い場所から誰かが自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。
(シュドー…)
すぐに彼の元に駆け寄りたかった。
僕は大丈夫、と言ってあげたい。
だが体に力が入らない。
その時、闇の向こうから得体の知れない「何か」が、猛烈な勢いでメルティの内に流れ込んできた。
蜂蜜の甘い香りと肉が腐った様な匂いが入り混じった不快な存在感。
(なにこれ……やだ……怖いよ……助けて、シュドー……!)
熱く、粘り気のある意思を持ったエネルギーが血管を焼き、骨の形を軋ませ、内側から自分が作り変えられていく恐怖の中で、意識はやがて闇に溶けていった。
◇
窓から差し込む、朝の澄んだ光が寝室を照らす。
メルティの瞳が、重い瞼を押し上げるようにしてゆっくりと開かれた。
最初に見えたのは、見慣れたシュドーの家の天井。
シーツに染み込んだ汗の匂いとお日様の香りが鼻をくすぐる。
昨日までの、身体を焼き尽くさんばかりの熱や不快感は嘘のように消え去り、代わりに奇妙なほどに身体が軽く、そして、ひどく冷えていた。
(あれ……僕……)
思考がまだ霞の中にあった。
頭が目覚めるにつれて手から安心する温かい感触が伝わる。
ふと横を見ると、自分の右手をしっかりと握ったまま、ベッドの縁に顔を埋めて眠っているシュドーの姿があった。
壁際では、ミーネやタバン、そしてガウディやナザルも、疲労困憊した様子で床に座ったまま眠りに落ちている。
「シュドー……」
不意に口を突いて出た自分の声に、メルティ自身が息を呑んだ。
(え?今の…僕の声?なんか、変……)
耳に届いたのは、かつての自分の少年らしい声ではない。
鈴を転がすような、けれどどこか艶を含んだ、高く、柔らかな響き。
「ん……」
身じろぎしたシュドーが、微睡みから引きずり出されるように目を開けた。
正面に座るメルティと視線がぶつかり、シュドーの黒い瞳が限界まで見開かれる。
「メルティ……? おい、起きたのか!?」
その大きな声に、ナザルたちが弾かれたように目を覚ます。
「シュドー、僕……」
言いかけて、メルティはゆっくりと上身を起こした。
その瞬間、部屋の中にいた全員が、息をすることさえ忘れたかのように硬直した。
「メ、メルティ……!?」
ガウディが、震える指先で息子――だったはずの存在を指差す。
「お父さん……?」
「お、おい、メルティ…その体……!」
シュドーの声が、上ずっていた。
メルティは、自分の身体を包む異様な違和感に、ようやく意識を向けた。
シーツが滑り落ちた胸元。
昨日まで平坦だったはずのそこには、チュニックを丸く、豊かに押し上げる、柔らかな膨らみが二つ、重たげに鎮座していた。
「え……? なに、これ……?」
震える指先で、その膨らみに触れる。
指先から伝わるのは、紛れもない、自分自身の肉の感触。吸い付くような柔らかさと、微かな弾力。
さらに、下半身に覚える喪失感。
メルティは恐る恐るシーツの中でズボンの中に手を差し入れ、そこを確認した。
ない。
昨日まで、自分が男の子である証としてそこにあったはずの器官が、綺麗さっぱり消え失せている。
代わりにあったのは、ひっそりと湿り気を帯びた、未知の、窪みだった。
「シュ、シュドー…………僕…………」
メルティの声が、絶望と困惑に震える。
潤んだ大きな瞳から、大粒の涙が溢れ出した。
「僕…………お、女の子に、なっちゃった…………」
その告白と同時に
ボゥゥゥ…
シュドーやナザルが一目で分かるほどの巨大な魔力の奔流が淡い光となってメルティの全身から静かに湧き上がっている。
昨日までの相棒が、女に。
そして、膨大な魔力を持った存在に。
昨日のメルティがもういない。
「シュドー…!僕、僕、どうしたら……!」
縋りつく様にシュドーを見るメルティ。
だが、シュドーは言葉も出ず、ただ口をパクパクさせるしか出来なかった。
(どうすりゃ…いいんだ?これ…)
シュドーの辛うじて働いた頭がそう呟く。
その日、なにもかもが変わってしまった。