13話:魔法大学受験⑤ 卒業
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
ナザルの小屋の中は、耳の奥が痛くなるほどの、底冷えのする静寂に包まれていた。ベッドの傍らで、シュドーとメルティは手にした合格通知の紙を指先が白くなるほど握りしめたまま、彫像のように動けずにいた。「おい……ジジイ……?」
本文
ナザルの小屋の中は、耳の奥が痛くなるほどの、底冷えのする静寂に包まれていた。
ベッドの傍らで、シュドーとメルティは手にした合格通知の紙を指先が白くなるほど握りしめたまま、彫像のように動けずにいた。
「おい……ジジイ……?」
シュドーの喉から、掠れた、今にも消え入りそうな声が漏れる。
彼は磁石に引き寄せられる鉄屑のように、ふらふらとした足取りでベッドへと歩み寄った。
その後ろでは、メルティが大きな身体をさらに小さく丸めるようにして震わせている。彼女の瞳には、こぼれ落ちそうなほどの涙が溜まり、月光を反射して銀色に輝いていた。
「おい……ジジイ……起きろよ。まだ寝る時間じゃねえだろ。
返事しろよ……なぁ、ジジイ……ジジイッ!!」
耐えきれなくなったシュドーが、ナザルの細い肩に縋り付き、なりふり構わずその身体を激しく揺さぶった。
その瞬間。
「やかましい!! 耳元で叫ぶなっちゅ-に!!」
突如として、死んだように静かだった老人が弾かれたように跳ね起き、雷鳴のような怒声を張り上げた。
「うおっ!?」
シュドーは心臓が口から飛び出しそうなほど驚き、無様に尻餅をついて仰け反った。
「な、なんだよ生きてんじゃねぇかジジイ!!
死んだと思ってマジで焦ったんだぞ!!」
「勝手に殺すな! こっちは久しぶりに大仕事を終えて、折角気持ちよく眠っておったところを叩き起こされたんじゃぞ!」
ナザルは乱れた髭をむんずと掴んで整えながら、いつもの忌々しげな、しかし活力に満ちた表情で弟子を睨み据えた。
そのあまりに普段通りな様子に、メルティの目から溢れかけていた涙が、行き場を失ってぴたりと止まる。
「そ、そうだ……おじいちゃん、見て! 見てよこれ、僕たち合格したんだよ!」
メルティは鼻を啜りながら、手にした合格通知書を誇らしげに、そして壊れ物を扱うように広げて見せた。
「お、おう!ほら見ろジジイ!!」
シュドーもまた、立ち上がりながら自分の通知書をナザルの目の前に突き出す。
「……そうか。本当に合格したのか」
ナザルは差し出された二枚の紙を、眩しそうな、それでいて深い慈しみを湛えた目で見つめた。
刻まれた深い皺がわずかに緩み、彼は満足げに何度も頷く。
「よくやったな、二人共。……これで、ようやくクソガキ共から、ヒヨッコどもの仲間入りじゃな」
「ヒヨッコって……もっとマシな褒め方出来ねーのかよ、クソジジイ」
シュドーは悪態を吐いたが、その耳たぶは赤く染まっており、声は喜びを隠しきれずに震えていた。
「どれ、ヒヨッコ共の誕生を祝って、一つ餞別をくれてやろう」
ナザルはよろよろとした足取りでベッドを抜け出し、暖炉に薪を足すと、シュドー達に背を向け棚の奥深くに隠されていた古びた木箱を漁り始めた。
暖炉の穏やかな火に照らされた彼の背中は以前よりもずっと小さく、薄くなっているように見えた。
薪の匂いが満ちた小屋の中で、ナザルは何かを握りしめ二人の前に立つ。
「手を出せ」
不思議に思いながらも、二人はナザルの前に掌を差し出した。
老人は二人の手を取り、それぞれの掌の上に、鈍い光沢を放つ植物の種子のようなものを一つずつ置いた。
「なんだこりゃ……種か?」
「軽く握って、魔力を込めてみろ」
ナザルの言葉に、二人は顔を見合わせながら、訝しみつつも掌の中の「種」に意識を集中させた。
七年間の鍛錬で練り上げられた魔力が、指先を通じて種へと流れ込んでいく。
ドクンッ
途端、シュドーの拳の中で「命」が躍動するような、不思議な鼓動と熱が伝わってきた。
手を開くと、種子から目も眩むような光が溢れ出し、芽吹くように枝を伸ばし、一瞬にして三十センチほどの漆黒の短杖へと姿を変えた。
隣のメルティの手元では、清廉な白さを湛えた白木の杖が、彼女の柔らかな魔力を吸い込んで静かに発光していた。
「いつまでも、手垢まみれの練習用の杖では格好がつかぬじゃろ。
その杖は、お前たちの魂と魔力そのものから編まれた依代(よりしろ)じゃ。
この世に二つとない、たった一本のお前たちだけの杖じゃ」
ナザルは、慈しむように二人の武器を指し示した。
「『魔導士は杖と使い魔が語る』という諺がある。
お前たちが成長し、高みへと登るにつれて、その杖もまた形を変えていく。
お前たちは今、名実ともに魔導士の雛となったのじゃ」
「これが……俺の……」「僕だけの、杖……」
二人は、自分の手の中で微かに脈動する新たな相棒を、夢見心地で眺めていた。
軽いが、確かな質量が今、自分達の手元にある。
「そして――」
ナザルの声が、部屋の空気を再び引き締める。
「これをもって、お前たち二人の卒業の証とする」
シュドーとメルティは息を呑み、顔を上げた。
「ワシが教えてやれるのは、魔導士としての基礎の基礎のみ。
そしてお前たちは、それをもう十全に使いこなせるようになった。
……ワシという枯れ木から吸い取れる知識は、もう何も残っておらん」
「ジジイ……」
「おじいちゃん……」
二人の瞳に、感謝と別れの予感が混じり合った複雑な色が浮かぶ。
「そして、これも忘れるな」
ナザルは、かつて自分が迷宮の果てで手に入れた「栄光」の象徴である金の腕輪を、再び二人の手に握らせた。
ひんやりとした金属の感触が、老人の手の温もりと共に二人の掌に伝わる。
それと共に、ズシリと確かな質感と重みも感じた。
「ワシがお前たちにしてやれることは、これで最後じゃ。
……後はお前たち自身が、その杖で、その足で、道を切り開け」
ナザルの言葉の一つ一つが、二人の胸の奥底まで染み渡っていく。
初めて魔法を教わった日、小石を投げつけられて泣いた日、難解な理論に頭を抱えた夜……。
七年という、人生の半分近い歳月の思い出が走馬灯のように駆け巡り、胸を熱くさせた。
「さぁ! もう夜も更けるぞ。明日からは王都へ向かうための旅支度で忙しくなる。
ガキ共はさっさと帰って寝ろ。ワシも、もう眠くてかなわんわい」
努めて明るい口調で、ナザルは二人を玄関へと促した。
シュドーとメルティは、何度も振り返りながらドアを開ける。
冷たい夜気が小屋の中に流れ込み、暖炉の残火を揺らした。
「シュドー、メルティ」
去り際、ナザルの穏やかな呼びかけに、二人は同時に足を止めた。
視線の先、使い古された安楽椅子に深く腰を下ろした老魔導士が、月光を背に受けて微笑んでいた。
「……ありがとうな。ガキ共。退屈な余生を、少しばかり賑やかにしてくれた」
その言葉は、師としてではなく、一人の老人としての、飾りのない本音だった。
「……あぁ、ジジイ。行ってくるぜ」
「……はい! おじいちゃん、大好きだよ!」
バタン、と静かに扉が閉まる音が響いた。
小屋の外からは、二人が高揚した声で何かを話し合いながら、丘を駆け下りていく足音が聞こえてくる。
ナザルは、しばらくの間、二人が消えていった扉をじっと見つめていた。
やがて、「ふぅ……」と、重荷を下ろしたような、どこか誇らしげな、深い、長いため息をつき、安楽椅子に深く身を沈める。
パチパチ、と暖炉の中の薪が小さく爆ぜる音だけが響く。
炎は、静かに消えようとしていた。