17話:王都へ
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
ナザルが旅立ってから、季節は駆け抜けるように過ぎ去り、暦は新たな年を刻んだ。厳しい冬の寒さが和らぎ、潮風に春の柔らかな匂いが混じり始めたある日。王都へと向かう大型客船の出航を控え、シュドーとメルティは港を見渡せるあの丘の上に立っていた。
本文
ナザルが旅立ってから、季節は駆け抜けるように過ぎ去り、暦は新たな年を刻んだ。
厳しい冬の寒さが和らぎ、潮風に春の柔らかな匂いが混じり始めたある日。
王都へと向かう大型客船の出航を控え、シュドーとメルティは港を見渡せるあの丘の上に立っていた。
そこは二人にとって、すべての物語が動き出した聖域だった。
八年前、何も知らなかった少年たちが、偏屈な老魔導士に導かれ、初めて魔法という名の「可能性」を杖の先から放った場所。
今、彼らの足元には、冬を越えて土に馴染んだ簡素な石造りの墓があった。
表面にはただ一言、『ナザル・コーウェン』とだけ刻まれている。
風が二人の髪を激しく揺らす中、シュドーはポケットに手を突っ込み、墓石を見下ろして低く呟いた。
「クソジジイ……勝手にくたばりやがって。
お陰であの後、こっちはどれだけ骨を折ったと思ってんだ」
墓石の下の老人に直接届けるように、シュドーは言葉を続ける。
「葬式の手配に遺産の整理……ガキにやらせる仕事じゃねぇだろ。
死ぬ直前まで人をこき使いやがって。
あんな遺言書、いつの間に準備してやがったんだ」
ナザルはまるで自分の終焉を秒単位で悟っていたかのように、寝室の机に一通の遺言書を遺していた。
『この家にある財産一式、知識、ならびに生活備品のすべては、シュドー・クラフトとメルティ・アルフィリオの両名に譲渡する。
分配については当人同士の裁量に任せるものとする』
身寄りのない老人の最期は、シュドーの両親であるミーネやタバン、そしてメルティの父ガウディの手を借りて、静かに、だが温かみのある儀式として執り行われた。
それからの日々は怒涛の如く過ぎ去った。
大学への入学金の振り込み、煩雑な書類の手続き、ナザルから託された金の腕輪を換金するための交渉、そして住み慣れた家を離れるための荷造り。
やる事は山積みだった。
「ホント苦労したぜ…湿っぽくなる暇も無かった位にな。
あの腕輪、一銭も残さず使わせてもらったぜ、ジジイ。
でもな……百倍にして返すって約束は、まだ生きてるからな。
俺が大魔導士になった時、この墓を王国で一番豪華な魔導士の墓に作り替えてやる。それまでは、その小せぇ石ころで我慢してろ」
シュドーは懐から、長年愛用してきた練習用の木杖を取り出した。
取っ手の布が手垢で黒ずんだ杖は、あの日からナザルの死に呼応するように魔力を通さないただの枯れ木となった。
手の中のカサカサとした肌触りと吹けば飛ぶような軽さがそれを物語る。
「シュドー……そろそろ時間だよ。船が出ちゃう」
メルティが優しく声をかける。
彼女の瞳は潤んでいたが、そこには以前のような脆さはなく、前を見据える決意の光が宿っていた。
「ああ……わかってる」
二人は示し合わせたように、墓標の前に跪いた。
かつて自分たちの未熟な魔力を支え続けた練習用の杖を、恩師への供物として墓の前に横たえる。
「……行ってくるぜ、クソジジイ」
「行ってきます。おじいちゃん。見ててね」
二人は一度だけ深く頭を下げ、未練を断ち切るように背を向けて歩き出した。
なだらかな坂道を下る途中で、主を失ったナザルの小屋が目に入る。
中はすでに片付けられ、あの日々の喧騒を物語る薬草の匂いも、積み上げられた古い魔導書も今はもうない。ただの空っぽな木の箱となったその場所を、シュドーは一瞬だけ立ち止まって見つめたが、すぐに視線を港へと戻した。
港では、町を挙げての見送りが行われていた。
タバンは無言でシュドーの肩を叩き、ガウディはメルティを壊れ物を扱うように抱きしめている。
「まさか、あんたが本当に魔導士になるなんてねぇ。このコタンから王都の大学生が出るなんて、町の歴史がひっくり返る大騒ぎだよ」
ミーネがシュドーの前に立ち、その襟元を乱暴に整えた。
「いいかい、シュドー。ご飯は三食ちゃんと食べるんだよ。
それと、夜更かししないでちゃんと寝る事。あんたはただでさえ小さいんだから、これ以上無理してると、身体が縮んでなくなっちゃうわよ?」
「縮むわけねーだろ!
つーか、いちいちうるせぇよ、こっちはもうガキじゃねぇっての!」
反抗的な態度で言い返すシュドーに、ミーネは一瞬、寂しげな、けれど心底誇らしげな微笑を浮かべた。
「……そうだね。あんたはもう、喚いているだけのガキじゃない。
自分の手で、ちゃんと自分の運命を掴み取ったんだものね」
「お袋……」
「ま、見た目は相変わらず豆粒みたいに小さいけどね!」
「うるせーよ!! これからデカくなるんだよ! 伸び代しかねぇんだよ!」
「はいはい、威勢だけは一人前だこと。ほら、行っといで、バカ息子!」
ベシッ、と子供の頃から変わらない強さで頭を叩かれ、シュドーは「いってぇな!」と笑いながら涙を堪えた。
隣ではメルティがガウディの胸に顔を埋めていた。
「メルティ……辛くなったら、いつでも帰ってきなさい。無理をして、またあの時のように倒れたりしないでくれ」
「お父さん……大丈夫。僕は、もう一人じゃないから。
ちゃんとシュドーと一緒に、僕も立派になるから。絶対、手紙書くからね!」
やがて、港全体を震わせるような重厚な汽笛が鳴り響いた。
「よし、行くぞメルティ」
「うん!」
二人は荷物を背負い直し、タラップを駆け上がった。
船がゆっくりと岸壁を離れ、コタンの街並みが少しずつ遠ざかっていく。
「行ってきまーす!」
メルティが身を乗り出して大きく手を振る。シュドーもまた、照れくさそうに、けれど力強く手を振り続けた。
船が沖へ出ると、あの丘の上が見えた。
ナザルの墓がある場所。二人が血を吐くような努力を重ねた場所。
もう、長年馴染んだコタンの喧騒も、潮の匂いもしてこない。
その光景が水平線の彼方に溶けて見えなくなるまで、二人は潮風に吹かれながらずっと立ち尽くしていた。
反対の水平線からは、王都の輝く城の先端が見え始めていた。