19話:洗礼② 氷の女
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あらすじ
突然割って入ってきたシュドーの小柄な姿を見下ろし、コリンと取り巻きたちは我慢できないといった様子で吹き出した。甘ったるい香水と、揚げ物の脂の匂いがシュドーの鼻を突いた。「ふん、家畜の次はチビか。
本文
突然割って入ってきたシュドーの小柄な姿を見下ろし、コリンと取り巻きたちは我慢できないといった様子で吹き出した。
甘ったるい香水と、揚げ物の脂の匂いがシュドーの鼻を突いた。
「ふん、家畜の次はチビか。
平民の粗末な食事じゃロクに背も育たなかったみたいだね。
そんな貧相な体で、魔法の深淵に触れられるとでも思っているのかい?」
コリンが唇を歪めて嘲笑うと、シュドーは眉一つ動かさず、むしろ獲物を見定めた狼のような冷徹な眼差しで言い返した。
「そっちはさぞかしいい物食ってるんだろうな。
さっきからそのくせぇ香水と油と砂糖の匂いがプンプンしてきて吐き気がするぜ。
もっともてめーの場合は、栄養が全部背丈と無駄にキラキラした変な服に吸い取られて、肝心の頭の中身と品性はすっからかんのまま育ったみてえだけどな」
「……なんだと?」
コリンの額にピキリと青筋が浮かぶ。周囲の空気も一変した。
「躾のなってない平民は口の利き方も知らないらしいな。僕を誰だと思っているんだ?」
「てめーの顔なんか知るかよ。どこかの新聞で野菜泥棒の手配犯リストにでも載ってんのか? それとも、迷子のお知らせか?金髪狐」
シュドーの辛辣な煽りに、取り巻きの一人が顔を真っ赤にして叫んだ。
「教えてやる平民!この方は由緒正しき魔導士の血筋のリュッセル家、魔導院勤めの一級魔導士コルト様のご子息様であらせられるコリン・リュッセル様だ!
本来ならお前ら如き泥臭い平民が、直接お目にかかることすらおこがましい御方なんだぞ!」
取り巻きたちのおべっかに、コリンは鼻を高く鳴らして踏ん反り返る。
騒ぎを聞きつけた野次馬たちがいつの間にか輪を作り、物珍しそうに事の成り行きを伺っていた。
「あのリュッセル家の息子か……」「相手は誰だ? 平民と、……あの角、半獣人か」
囁きの中には、あからさまな好奇心と、そして王都特有の冷ややかな差別意識が含まれていた。
「わかったか平民? 僕と貴様らは生まれも格も、流れる血の濃度すら違うんだ。
わかったのなら、その薄汚れた膝を地面に突き、這い蹲って先程までの非礼を詫びたまえ。寛大な僕のことだ、今回だは不問にしてやってもいい」
コリンは勝利を確信したような顔で顎をしゃくったが、シュドーは欠伸でも出そうなほど退屈そうに耳を穿じった。
「……で? 結局てめーは誰なんだよ」
「何?」
コリンと取り巻きたちが唖然として固まる。
「聞こえなかったのか、無学な平民。僕の父上は……」
「俺は『てめーが誰か』を聞いてるんだぜ、お坊ちゃん」
シュドーがその言葉を鋭く遮った。一歩前へ踏み出す彼の影が、コリンの足元を侵食する。
「イチイチ名乗るのに最初にパパの名前を出さなきゃならねぇなら、パパにお手々を引いてもらって歩けよ。それとも、自分は偉いパパの息子であること以外になんの取り柄もない空っぽな人間ですって意味合いの自己紹介だったのか?
だったら百点満点だ、完璧な自己紹介だったぜ。流石は貴族様だ。
マナーも完璧でいらっしゃる」
「……っ!!」
その場にざわめきが起きた。シュドーの言葉は、この場にいる血統と特権を重んじるすべての貴族学生に対する、明白かつ痛烈な宣戦布告だった。
「いい加減にしろよ平民……! 僕を怒らせたらどうなるのか、その栄養不足の小さな脳味噌で理解できているのか?」
コリンは怒りのあまり声を震わせ、懐に忍ばせた魔導杖へと手を伸ばした。
魔力によって、場の空気が肌に焦げ付く様に張り詰める。
しかしシュドーもまた、腰に差したナザル特製の杖に平然と手を添える。
「怒らせたらどうなる? 偉いパパが飛んできてよしよししてくれるのか?
つまりてめーは、自分一人じゃ何一つ決められないし、守ることもできねぇ腰抜けだってことを証明しちまうわけだ。お可哀そうにな」
「貴様ぁッ!!」
コリンが逆上し、光を帯びた杖を抜き放つ。シュドーもまた、電光石火の速さで杖を引き抜こうとした、その時。
「そこまでです」
静かな、だが鼓膜を直接凍りつかせるような大人の女性の声が響いた。
瞬間、熱を帯びていた大気の温度が一気に数度下がったような錯覚に襲われる。
瞬時に背中に冷や汗が湧き、伝わる感触。杖を抜きかけた二人は、金縛りにあったかのように動きを止め、本能的な恐怖に導かれるように声の方を向いた。
人だかりが割れ、そこから現れたのは、法衣を纏った一人の女性だった。
亜麻色の髪を腰までなびかせ、その歩みは無音に近い。豊満な肢体を強調するような法衣のスリットからは、白く魅惑的な太腿が覗いていたが、その肢体に欲情する者は誰もいなかった。彼女の双眸から放たれる、見た者すべてを芯から凍てつかせるような鋭い光に、誰もが射すくめられていたからだ。
彼女の胸元には、一級教官の証であるステラ・マリス大学の金縁の紋章が刻まれている。
「やべっ、デボラ教官だ……」「あれが『氷の女』……」
野次馬の中から怯えるような声が漏れる。
「ここは魔法の叡智を学ぶ神聖な学舎です。まだ入学式すら終えていない半人前以下の『志願者』が、下らない感情の昂ぶりのために、人類の叡智の結集である魔法を振るうなど、言語道断。そんなに理性の制御が効かない野獣の如き振る舞いをしたいのであれば、今すぐあの門から出て行きなさい」
デボラ教官の静かな、しかし有無を言わさない宣告に、コリンは顔を青白くして慌てて弁明を始めた。
「ち、違います教官! この平民が、我が家の名誉を著しく傷つけるような暴言を吐いてきたので、教育的指導を……」
デボラがその氷の眼差しでコリンを射抜く。
「私が何も見ていないとでも? 貴方は、相手が非礼を詫びたにも関わらず、その出自や外見を執拗に揶揄した。それが貴方の言う『名誉ある貴族』の立ち振る舞いだというのなら、リュッセル家の教育方針には甚だ疑問を感じざるを得ません」
「ぐっ……!」
デボラは次に、シュドーと、その背後で震えるメルティに視線を向けた。
「貴方たちもです。正当な反論であれ、無駄な喧嘩腰で不必要に相手を挑発する行為は頂けません。魔導士を目指すなら、振るう力も言葉も、時と場を選びなさい」
「ういっす。すいませんでした。以後、気をつけまーす」
シュドーは神妙な顔を作りながらも軽い口調で頭を下げる。
「あわわっ、ご、ごめんなさい……いえ、すいませんでしたぁ!」
メルティは泡を食ってシュドーに倣い、深々と頭を下げた。
「全員、速やかに解散しなさい。
時間は有限であり、叡智は待ってはくれませんよ」
デボラの冷徹な言葉に従い、野次馬たちはクモの子を散らすように去っていった。
コリンとその取り巻き達は、所在なさげに立ち尽くすのみだった。
重苦しい沈黙が残る中、シュドーはしれっと手を挙げて教官に話しかけた。
「あのー、すいません先生。入寮手続きをしたくて事務局まで行きたいんですけど、広すぎて迷っちまって。場所、わかりますかね?」
あまりの心臓の強さに、デボラは眉間を押さえ、半ば呆れたように深いため息をついた。
「……こちらです。ついてきなさい」
「ありがとうございます。ほれ、行くぞメルティ」
「あ、う、うん……。シュドー、大丈夫かな……」
悠然と歩き出すデボラ教官の背中を、シュドーが口笛でも吹きそうな足取りで追いかけ、その後ろをメルティがおどおどとついていく。
その背後、杖をギリギリと軋む程に握りしめたまま、コリン・リュッセルは血管が浮き出るほどに拳を震わせていた。
「平民どもが……!ステラ・マリスの、貴族の洗礼は、これからだ。……覚えていろよ、身分の違いというものを必ずその体に刻み付けてやる……!!」
彼の怨嗟の声は、王都の乾いた風に流され、学舎の闇へと消えていった。