第4話 初迷宮と罠
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
<p> 迷宮の入口は、街の北側にあった。</p><p> 巨大な穴だ。</p><p> 地面に空いた穴というより、地下へ向かって口を開けた城門である。周囲には石造りの門柱が立ち、古い文字がびっしり刻まれていた。読めない。だが、読めなくても分かる。たぶん「入るなら勝手に入れ、死んでも知らない」といった意味だ。</p>
本文
迷宮の入口は、街の北側にあった。
巨大な穴だ。
地面に空いた穴というより、地下へ向かって口を開けた城門である。周囲には石造りの門柱が立ち、古い文字がびっしり刻まれていた。読めない。だが、読めなくても分かる。たぶん「入るなら勝手に入れ、死んでも知らない」といった意味だ。
黒い階段が下へ下へと続き、奥から冷たい風が吹いてくる。風には土と水と錆びた鉄の匂いが混ざっていた。
わたしは短剣の柄を握った。
刃こぼれしている。柄の革も古い。だが手には馴染む。マーサがこっそり鍛冶屋に頼んで、わたし用に直してくれたものだ。
「怖いか、お嬢ちゃん」
ガントが言った。
「ルカだ」
「はいはい。怖いか、ルカちゃん」
「その呼び方はもっと悪い」
「ははっ」
ガントの仲間たちも笑った。
その笑いは、肉を分け合う時の笑いではない。相手を小さくして、自分たちを大きく見せる笑いだ。屋敷にもよくあった。わたしの食べ方、歩き方、言葉遣い。何でも笑いの材料にされた。だが屋敷の者たちは、笑うだけだった。
ガントたちは違う。
こいつらは、笑いながら背中を押す種類だ。
階段を下りる。
一階層は、思ったより明るかった。壁に青白い苔が生えていて、通路をぼんやり照らしている。石畳は湿っているが、歩けないほどではない。遠くで水音がした。時々、何か小さなものが壁の隙間を走る。
足音が反響する。
自分の息が大きく聞こえる。
地上の喧噪が階段の上へ消えると、急に世界が狭くなった。前には通路、後ろにはガントたち。左右は石壁。逃げ場は少ない。だが、わたしは嫌いではなかった。屋敷の廊下より、こちらの方が正直だ。ここでは危ないものが、ちゃんと危ない顔をしている。
ガントたちは慣れた様子で進んだ。
約束通り、わたしが前を歩かされる。新人の経験になるだとか、前衛の適性を見るだとか、ガントはもっともらしいことを言っていた。だが後ろから聞こえる小声は、もっと素直だった。
「次の角だ」
「あそこに巣があったな」
「突っ込ませろ」
聞こえていないと思っているらしい。人をだますなら、せめてもう少し小さい声でやるべきだ。
角を曲がる直前、床の色が少し違うのに気づいた。
石板の隙間に、細い糸が張ってある。湿った空気の中で、その糸だけが妙に乾いて見えた。奥からは獣の匂い。腐った布と古い血の匂いも混じっている。
罠と魔物。
よろしい。
授業料としては上等だ。
「おい、どうした。早く行けよ」
ガントが背中を押した。
押したな。
その一瞬で、わたしの中の何かが静かになった。怒りはある。だが、怒りで目が曇るほどではない。むしろ頭の奥が冷える。相手が曲がったことをするなら、こちらはまっすぐ返すだけだ。
わたしは一歩踏み出すと見せかけて、横に跳んだ。同時に、ガントの腕を掴んで前へ引いた。
「なっ」
ガントが糸を切った。
天井から鉄の槍が落ちてきた。ガントは悲鳴を上げて転がり、槍は肩をかすめて床に突き刺さった。硬い音が通路に響く。
その音に反応して、通路の奥から緑色の小鬼が五匹飛び出してきた。
ゴブリンというやつだろう。
小さい。臭い。歯が汚い。手には錆びた刃物を持っている。こちらを見るなり、ぎゃあぎゃあと騒ぎ出した。わたしには言葉が分からない。だが「食える」「奪える」「弱そう」と言っている顔は分かる。
「てめえ!」
ガントが叫ぶ。
「罠を踏みたかったんだろう。踏ませてやった」
「殺すぞ!」
「順番を待て」
最初のゴブリンが跳びかかってきた。
わたしは短剣を抜き、そいつの刃物を弾いた。軽い。次に腹を蹴る。ゴブリンは壁にぶつかって落ちた。
二匹目が足元を狙う。わたしは踏み込んで、柄頭で頭を打った。三匹目の棍棒が肩に当たる。痛い。痛いが、腹が立つほどではない。屋敷の訓練場で兄の取り巻きに木剣で打たれた時の方が、よほど陰湿で痛かった。
わたしはそいつの耳を掴んで引き寄せ、膝を入れた。
骨が嫌な音を立てる。
奥で四匹目と五匹目が怯んだ。
「来い」
わたしは言った。
「正面から来るなら相手をしてやる」
言葉が通じたかどうかは知らない。だが、こちらの顔色は分かったらしい。二匹は逃げようとした。
後ろでガントの仲間が叫んだ。
「逃がすな! 魔石が!」
急に元気になったものだ。
わたしは床に落ちていた棍棒を蹴り上げ、逃げる一匹の背に当てた。もう一匹には短剣の柄を投げる。見事に後頭部へ当たって転んだ。刃を投げるほど馬鹿ではない。短剣は二本しかないのだ。
通路が静かになった。
わたしは息を吐いた。肩が熱い。腕も痛い。膝に汚れがついている。だが、体は軽い。さっきまでの空腹も、腹の底で燃えているように感じる。
怖くなかった、と言えば嘘になる。
槍が落ちた音も、ゴブリンの歯も、肩に当たった棍棒の重さも、全部体に残っている。けれど不思議なことに、震えは来なかった。屋敷で笑われていた時の方が、よほど手が冷えた。
ここでは、敵が前にいる。
前にいるなら、殴れる。
それだけで、ずいぶん公平に思えた。
ガントたちは呆然としていた。
「新人じゃ、ねえのか」
「今日登録した」
「何で戦える」
「知らない。昔から喧嘩は多かった」
「喧嘩でゴブリン五匹は倒さねえよ」
「では、いい経験になった」
わたしはゴブリンの胸から小さな石を取り出した。魔石だ。青黒く濁っているが、これが金になるらしい。血で滑るので、布で拭く。ガントたちはまだ動かない。
「分け前は等分だったな」
ガントが顔を歪めた。
「何言ってやがる。お前が勝手に罠を」
「お前が押した」
「あれは」
「押した」
わたしはガントの前にしゃがんだ。肩から血が出ている。死ぬほどではない。死なれても困る。証言してもらわなければならない。
「ガント」
「何だよ」
「わたしは曲がったことが嫌いだ」
「知るか」
「今知れ」
ガントは黙った。
「分け前は等分。罠に押したことはギルドで話す。もし途中でわたしを後ろから斬るなら、次は肩では済まない」
「脅しか」
「忠告だ。脅しはもっと短い」
わたしは立ち上がった。
通路の奥から、まだ冷たい風が吹いてくる。
迷宮は怖い場所だ。
だが、怖いだけではない。ここでは力を出せば、力として返ってくる。卑怯者を見つければ、卑怯者として扱える。屋敷のように、血筋や礼儀の布で包まれていない。
わたしは短剣を拾い直し、ガントたちを振り返った。
「進むぞ」
「はあ?」
「帰るにしても、まず魔石を回収する。金がいる」
「お前、何なんだよ」
「ルカだ。さっき言った」
ガントは、もう笑わなかった。
それでいい。
名前は、笑うためではなく呼ぶためにある。
わたしは魔石を革袋に入れ、通路の奥へ目を向けた。まだ一階層の入口にすぎない。けれど、胸の中で何かがはっきり音を立てた。ここなら、わたしはわたしのまま進める。そう思えるだけで、足は前へ出た。
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