第6話 ミリアを背負う
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
<p> 怪我人を背負って迷宮を歩くのは、思ったより骨が折れる。</p><p> 骨が折れるというのは物の例えであって、本当に折れたら困る。わたしの骨ならまだいいが、背中のミリアの骨が折れたら、回復術師を助けたのか壊したのか分からなくなる。</p><p> ミリアは軽かった。</p>
本文
怪我人を背負って迷宮を歩くのは、思ったより骨が折れる。
骨が折れるというのは物の例えであって、本当に折れたら困る。わたしの骨ならまだいいが、背中のミリアの骨が折れたら、回復術師を助けたのか壊したのか分からなくなる。
ミリアは軽かった。
軽すぎると言ってもいい。背負ったとき、わたしは少し驚いた。人間というより、洗濯物を一山かついだような重さだった。白い服の下の肩は細く、腕も頼りない。こんな娘を迷宮へ連れて来る者の気が知れない。もっとも、気が知れない人間など世の中にはいくらでもいる。父の親戚だけでも十人はいた。
背中のミリアは、最初ほとんど体重を預けなかった。
遠慮しているのだろう。だが、遠慮というものは時と場合を選ばないと、かえって相手の手間を増やす。背負われているのに浮いていようとする人間は、荷物としてはたいへん扱いづらい。
「すみません、重くありませんか」
背中でミリアが小さく言った。
「重くない」
「でも」
「串肉二本分くらいだ」
「それは、人として大丈夫なのでしょうか」
「大丈夫ではない。帰ったら飯を食え」
ミリアは黙った。
少し言いすぎたかと思ったが、謝るほどでもない。飯を食えという言葉は、たいていの場合、正しい。正しすぎて腹が立つこともあるが、腹が立つのは空腹だからである。
ミリアの息は浅かった。
痛いのか、怖いのか、両方か。たぶん両方だ。迷宮の通路は冷たく、青白い苔が壁を照らしている。足元にはゴブリンの血と、罠で削れた石屑が落ちている。こんな場所で平気な顔をしていられる方がおかしい。
「痛いなら言え」
「大丈夫です」
「大丈夫ではないだろう」
「……慣れています」
その言い方が気に入らなかった。
慣れている、という言葉は便利だ。痛みに慣れている。空腹に慣れている。寒さに慣れている。馬鹿にされるのに慣れている。言えばそれで話が終わる。だが、終わらせていい話ばかりではない。
「慣れていても痛いものは痛い」
「そう、ですね」
ミリアは少しだけ腕に力を込めた。
後ろではガントたちが、ずるずるとついて来ていた。
ガントは肩から血を流している。わたしがやったわけではない。罠がやった。罠を踏んだのはガントである。踏ませたのは、まあ、わたしである。しかし最初に押したのはガントだ。世の中、順番というものは大事である。
「おい、ルカ」
ガントが低い声で言った。
「何だ」
「その女を背負って帰る気か」
「見れば分かる」
「置いていけ。治癒師なら自分で治せるだろ」
「杖が折れてる」
「なら役立たずだ」
わたしは足を止めた。
迷宮の通路は狭い。石壁には青白い苔が光り、足元にはさっきの小鬼どもの足跡が濡れた泥に残っている。奥から風が吹いた。冷たい風だ。だが、腹の中は熱くなった。
「もう一度言ってみろ」
ガントは口をつぐんだ。
学習が早い。さっきから何度も感心している。
「役に立つから連れて行くんじゃない。置いていくと寝覚めが悪いから連れて行くんだ」
「迷宮で甘いこと言ってると死ぬぞ」
「卑怯なことをしても死にかけている奴が言うと、なかなか味があるな」
ガントは歯を食いしばった。左右の二人は目をそらした。よろしい。目をそらすくらいの良心があるなら、まだ壁の苔よりは人間に近い。
背中のミリアが、小さく言った。
「私、役に立てます」
「今は黙って背負われていろ」
「でも」
「役に立つかどうかは、地上に戻ってから考えればいい。今は生きて帰る」
ミリアはまた黙った。
その沈黙は、さっきより少し違った。叱られて縮んだ沈黙ではない。何かを胸の中で持ち直すような沈黙だった。
わたしは歩き出した。
背中に人を負っていると、足音が変わる。自分だけなら飛び越える石も、一歩置いて越える。自分だけなら踏む浅い水たまりも、避ける。自分だけなら腹立ちまぎれに蹴る小石も、蹴らない。背中の怪我人に揺れが伝わるからだ。
面倒である。
面倒だが、悪くない。
ミリアが折れた杖を胸に抱えているせいで、時々その硬い先がわたしの肩に当たった。痛くはない。だが、折れた杖というものは見ていて気分が悪い。道具が折れていると、持ち主まで折れたように扱われることがある。わたしはそれが嫌いだ。
「その杖は捨てるな」
「え?」
「地上で直せるかもしれない」
「古いものですし、たぶん」
「たぶんで捨てるな」
ミリアは小さく「はい」と言った。
折れたものでも、すぐ捨てる必要はない。直るものもある。直らなくても、次に何を買えばいいか教えてくれることはある。
ガントたちは後ろでぶつぶつ言っていた。
「お人好しが」
「あんなの連れてたら魔物に追いつかれる」
「先に行っちまうか」
全部聞こえている。
聞こえているが、振り返ると背中のミリアが揺れる。だから振り返らなかった。振り返らずに言った。
「先に行けばいい」
足音が止まった。
「ただし、次の角に罠があっても知らない。ゴブリンの巣があっても知らない。お前らがまた誰かを押しても、その誰かはもういない」
後ろが静かになった。
よろしい。
脅しではない。忠告である。脅しはもっと短い。もっとも、ガントたちには区別がついていないかもしれない。区別がつかなくても、黙れば十分だ。
ミリアが背中で小さく息を吐いた。
「すみません」
「何が」
「私のせいで、遅くなって」
「お前のせいではない。お前を置いていった奴らのせいだ」
「でも、私がもっと強ければ」
「強ければ、置いていかれなかったか」
「……分かりません」
「なら今は考えるな」
ミリアはまた黙った。
考えるなと言われて考えないでいられる人間は少ない。わたしもそうだ。考えるなと言われると、たいてい考える。だが、考えすぎると足が止まる。迷宮で足が止まるのはよくない。
「強くなりたいなら、地上で飯を食ってから考えろ」
「また飯ですか」
「飯は土台だ」
「土台」
「土台がない家は倒れる」
「ルカさんは、時々まともなことを言いますね」
「時々とは何だ」
背中で、ミリアがかすかに笑った。
よし。
笑う力があるなら、まだ大丈夫だ。
たぶん、誰かを背負うというのは、こういうことなのだろう。自分の歩幅が少し変わる。歩幅が変わると、見えるものも少し変わる。
壁の苔が、さっきより青く見えた。
途中、細い横穴から冷たい風が吹いた。
ミリアがわずかに震える。外套は彼女の肩にあるが、布一枚で迷宮の冷気が全部防げるわけではない。わたしは少しだけ歩く速度を上げた。
「揺れます」
「寒いよりましだ」
「はい」
素直な返事だった。
背中の体温が、さっきより近い。最初は遠慮して浮いていたミリアが、今はきちんと掴まっている。人に頼るのが下手な者が、少し頼る。それは大したことではないようで、たぶん大したことだ。
わたしはそれを、落とさないように歩いた。
出口はまだ遠い。
腹は減っている。
だが、帰って飯を食わせる相手が一人増えた。
それは、迷宮で拾ったものとしては、魔石より面倒で、たぶん魔石より値打ちがある。
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