第7話 帰路のクロウラー

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/7/14 📚 シリーズ: 『坊っちゃん』を読んだAIがテンプレダンジョン攻略を書いたら 📝 2,807文字 ✅ 全年齢

あらすじ

<p> わたしたちは来た道を戻った。</p><p> 迷宮の一階層は、道さえ覚えればそれほど複雑ではない。問題は道ではなく、道にいるものだ。角を曲がるたびに、何かがいる気がする。いる気がするだけならいいが、大抵本当にいる。</p><p> 背中のミリアは、時々小さく息を呑んだ。</p>

本文

 わたしたちは来た道を戻った。

 迷宮の一階層は、道さえ覚えればそれほど複雑ではない。問題は道ではなく、道にいるものだ。角を曲がるたびに、何かがいる気がする。いる気がするだけならいいが、大抵本当にいる。

 背中のミリアは、時々小さく息を呑んだ。

 足が痛むのだろう。揺らさないように歩いているつもりだが、迷宮の床は親切ではない。石畳は欠け、ところどころ湿って滑りやすい。階段でもないのに急に段差があり、段差でもないのに足を取る溝がある。迷宮というものは、歩く者の足首に恨みでもあるのかもしれない。

 少し進んだところで、床を這う大きな虫が三匹出た。

 胴は腕ほどの太さ。殻は黒く、足が多い。多すぎる。あれほど足があるなら、一本くらい貸してくれてもよさそうなものだ。

「クロウラーです」

 背中のミリアが言った。

「食えるか」

「食べる人もいるそうですが、おすすめしません」

「なら邪魔だ」

 わたしはミリアを壁際に下ろした。

 下ろす時、彼女の顔が少し歪んだ。足首に響いたのだろう。だが声は出さなかった。さっき、痛いなら言えと言ったばかりである。あとでもう一度言う必要がありそうだ。

「動くな」

「はい」

 短剣を抜く。刃こぼれはしているが、虫の足を払うには十分だ。向こうは三匹。こちらは一人。数だけ見れば不利だが、虫に数を誇られても困る。

 クロウラーは低く体を揺らした。

 気味が悪い。ゴブリンの方がまだ分かりやすい。あれはうるさくて臭くて刃物を持っている。敵として単純だ。虫は表情がない。どこを見ているのかも分からない。足が多すぎるせいで、次にどちらへ動くのかも読みにくい。

 一匹目が跳ねた。

 意外に速い。わたしは身をひねって避け、腹の柔らかいところへ短剣を突き込んだ。嫌な音がした。緑色の汁が飛ぶ。外套をミリアにかけておいてよかった。マーサの縫ってくれた外套に虫の汁が付いたら、迷宮の壁を全部削ってでも拭き取りたくなる。

 二匹目が足に絡みつこうとした。

 わたしは石床を蹴り、そいつの頭を踏んだ。殻が割れた。靴底に嫌な感触が残る。あとで洗いたい。水場があればよいが、迷宮の水を信用していいかは分からない。

 三匹目は、こちらではなくミリアの方へ向かった。

 よくない。

「そっちは駄目だ」

 わたしは床に落ちていたガントの短槍を拾い、投げた。

 短槍は虫の胴を貫いて壁に刺さった。思ったよりよく飛んだ。ガントを見ると、口を開けている。

「返してほしいか」

「いや」

「そうか」

 ガントは短槍を惜しむより、わたしが投げたことに驚いているようだった。自分の武器を他人にうまく使われるのは、どんな気分なのだろう。わたしなら少し腹が立つ。だが、今のガントに腹を立てる資格はあまりない。

 戦いが終わると、ミリアがふらつきながら立ち上がった。

「あの、傷を」

「わたしか」

「はい。肩から血が」

「虫の汁かもしれない」

「血です」

 断定された。

 ミリアは折れた杖を胸に抱え、目を伏せた。

「杖は折れていますが、簡単な治癒ならできます。少し、じっとしていてください」

「できるのか」

「はい。役立たずでは、ありませんから」

 その声が小さく震えていた。

 ガントの言葉が刺さっているのだろう。役立たず。便利な悪口だ。相手を全部まとめて捨てることができる。言った方はすぐ忘れるが、言われた方はなかなか忘れない。

 わたしはガントを見た。ガントはまた目をそらした。よくそらす男である。そのうち首が横向きに固まるかもしれない。

 ミリアはわたしの肩に手を当てた。

 白い光が灯る。

 温かい。

 傷口がむずむずした。痛みが引いていく。完全に塞がるわけではないが、血は止まった。腕を回してみる。動く。便利だ。いや、便利と言うとまた怒られるかもしれない。まだ怒られるほど親しくはないが、言葉は選んだ方がいい。

「助かった」

「いえ。こちらこそ」

「腹は減っているか」

「え?」

「治癒を使うと腹が減るのか」

「少し」

「なら帰ったら飯だ」

 ミリアは目を瞬いたあと、小さく笑った。

「はい」

 その笑い方は、泣くより頼りなかった。だが、泣くよりはいい。

 わたしはもう一度ミリアを背負った。

 今度は、さっきより少し素直に体重を預けてきた。ほんの少しだが、違いは分かる。人間は一度に変わらない。だが、三歩しか歩けなかった者が、背負われる時に少し力を抜く。それだけでも進歩である。

 ガントが肩を押さえながら、クロウラーの死骸を見た。

「魔石は」

「あとで取る」

「虫の素材も売れるぞ」

「詳しいな」

「迷宮に何度も入ってるからな」

 それを誇るなら、新人を罠に押す前に別のことを覚えればよかったのに、と思った。口には出さなかった。言うと長くなるし、今はミリアを背負っている。

 ガントの仲間の一人が、恐る恐るクロウラーへ近づいた。殻を剥がそうとして、緑の汁に顔をしかめる。

「臭え」

「ならやめろ」

「でも金になる」

「金は大事だ」

 わたしがそう言うと、男は妙な顔をした。わたしが金の大事さを認めると思っていなかったらしい。正義だけで飯は食えない。卑怯は嫌いだが、報酬は好きだ。そこは曲げる気がない。

 ミリアが背中で言った。

「クロウラーの殻は、薬の器にも使われます」

「そうなのか」

「はい。毒を通しにくいので」

「詳しいな」

「教会で、少しだけ」

 ミリアの声はそこで小さくなった。教会の話になると、彼女はすぐ自分の声を畳む。畳まなくていいのに、畳む癖がついている。

「地上に戻ったら、そういうことも教えろ」

「私が、ですか」

「わたしは知らない」

「でも、役に」

「今の話は役に立った」

 ミリアは黙った。

 役に立ったと言われ慣れていない者は、返事が遅い。シオンもそうだった。エリスもたぶん、別の形でそうだろう。人は案外、自分の値打ちに鈍い。

「ルカさん」

「何だ」

「帰ったら、本当に飯を食べてもいいのでしょうか」

「食え」

「私、お金を」

「あとで考える」

「でも」

「飯を食ってから考えた方が、考えは真っ直ぐになる」

 ミリアは背中で黙った。

 少しして、かすかな声で言った。

「真っ直ぐ、ですか」

「そうだ」

「いい言葉ですね」

 いい言葉だ。

 マーサがくれた言葉である。

 わたしは短く頷いて、出口へ向かった。

 帰り道の途中で、もう一度だけ魔物の気配がした。

 小さな影が壁の穴からこちらを覗き、すぐに引っ込む。ゴブリンか、別の小物か。追っては来なかった。こちらが怪我人連れでも、ガントたちがいても、クロウラーの臭いが残っていても、近づく価値はないと判断したのだろう。魔物にも考える頭はあるらしい。

「今のは?」

 ミリアが聞いた。

「見物だ」

「魔物も見物するんですか」

「たぶん、こっちを変な一団だと思ったんだろう」

「変、ですか」

「怪我人を背負った新人と、罠に引っかかった先輩と、虫の汁まみれの通路だ。わたしなら近づかない」

 ミリアがまた少し笑った。

 笑い方が、最初よりほんの少しだけ人間らしくなっていた。

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