不確実な世界の歩き方

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/7/19 📚 シリーズ: 不確実な世界の歩き方 📝 2,921文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

<p>「次回の診察は二週間後です。それまでに、先ほど指示した『夜間の現場への曝露』を最低でも三回は実行し、その都度、主観的不安度の推移をこのシートに克明に記録してきなさい」</p><p>​東条は、新しいERP(曝露反応妨害法)のワークシートをデスクの端へ滑らせた。完璧に裁断された上質な紙が、無機質なスチールデスクの上を滑り、絢斗の指先へと届けられる。</p><p>​「はい、先生。必ず、完璧にやってきます」</p>

本文

「次回の診察は二週間後です。それまでに、先ほど指示した『夜間の現場への曝露』を最低でも三回は実行し、その都度、主観的不安度の推移をこのシートに克明に記録してきなさい」

​東条は、新しいERP(曝露反応妨害法)のワークシートをデスクの端へ滑らせた。完璧に裁断された上質な紙が、無機質なスチールデスクの上を滑り、絢斗の指先へと届けられる。

​「はい、先生。必ず、完璧にやってきます」

​絢斗は両手でそのシートを受け取ると、まるで神聖な戒律を授かった信徒のように、胸元へ大切に抱え込んだ。彼の瞳に宿る熱い輝きを、東条はやはり一瞥もせず、すでに次の業務へと意識を切り替えるように電子カルテの画面へと視線を戻していた。

​「では、今日の診察はここまでです」

​その硬質な声による事実上の退室命令を受け、絢斗は丸椅子から立ち上がった。二週間前、初めてこの部屋を出たときのような足の震えはなかった。脳内に響き続ける「人を殺したかもしれない」という恐怖のノイズは、むしろ東条から新しい課題を課されたことで、奇妙な統制を得ていた。自分はこれから、東条先生の命令に従って地獄へ赴くのだ。その絶対的な指針があるだけで、世界は不確かに揺らぐのをやめ、強固な一本のレールへと姿を変えていた。

​絢斗は深く一礼し、カウンセリング室の防音ドアを開けて外へと出た。

待合室の受付で会計を済ませ、クリニックの自動ドアをくぐると、七月の東京の、肌にまとわりつくような不快な熱気が彼を包み込んだ。しかし、絢斗の心は、クリニックの冷房そのままに冷え切っていた。彼の脳内はすでに、二週間後の診察で東条に「100点」のシートを見せるためのシミュレーションで完全に占有されていた。

​(夜の路地に、一時間立ち尽くす。確認行為は一切禁止。……できる。先生がやれと言うなら、僕にはできるはずだ。いや、やらなければならないんだ。先生に捨てられないために)

​激しい車の走行音が響く大通りを歩きながら、絢斗はポケットの中でワークシートをなぞり続けた。彼にとってその紙切れは、狂気から身を守るための唯一の護符であり、東条という「理想の親」と自分を繋ぐ、誰にも侵されない血の契約書だった。

​一時間後、絢斗は世田谷区の自宅マンションへと帰宅した。

玄関のドアを開けると、ふわりと出汁の優しい香りが鼻腔をくすぐった。キッチンからトントンと規則正しい包丁の音が響き、絢斗の帰宅を察した香織が、エプロン姿でパタパタと廊下へ走ってきた。

​「おかえりなさい、絢斗! 今日、いつもより少し遅かったから心配しちゃった」

​香織は、弾けるような、心からの笑顔で絢斗を迎えた。その瞳には、この二週間、目に見えて衰弱していく恋人をどうにか支えたいという、健気なまでの愛情と微かな焦燥が入り混じっていた。

​「ただいま、香織。ごめんね、ちょっと病院が混んでいてさ」

​絢斗は即座に、100パーセントの「無害で優しい恋人の笑顔」を顔に貼り付けた。

しかし、その内面では、香織の家庭的な温もりや、自分を案じる純粋な視線が、酷く不快な「ノイズ」として弾かれていた。

今の絢斗にとって、この家全体の温かい空気は、自分の高潔な「治療」を邪魔する不純物のように感じられていた。東条の診察室という、一切の感情を排した冷徹な聖域。そこで課された過酷な試練の重みに比べれば、香織の差し出す「大丈夫?」という優しい言葉は、あまりにも軽薄で、的外れなものに思えて仕方がなかったのだ。

​「お夕飯、絢斗の好きな肉じゃが作ったの。たくさん食べてね。最近、本当にちゃんと眠れてないみたいだし……」

香織は絢斗のスーツの上着を受け取りながら、彼の痩せた肩にそっと手を添えた。

「ねえ、絢斗。今日はお医者さんで、どんなお話をしたの? 私、やっぱり心配で……。あなたが一人で何か凄く重いものを抱え込んでる気がして、胸が痛いの。私にできることなら、何でも言って?」

​彼女の言葉は、純粋な愛の告白だった。しかし、強迫症の迷宮に囚われ、東条への歪んだ陽性転移を深めている絢斗の認知は、その愛を恐ろしい形へと歪曲させていった。

​(香織は何も分かっていない。僕が昨夜、地下鉄のホームで人を突き落としたかもしれない恐怖に、今も心臓を引き裂かれそうになっていることなんて、想像すらできないんだ。もし彼女に本当のことを話したら、彼女はきっとパニックになって『そんなはずないよ、大丈夫だよ』って、根拠のない安心を僕に与えようとするだろう。それは、東条先生が一番厳しく禁止した『強迫的巻き込み』だ。彼女の優しさは、僕の治療を台無しにする毒なんだ)

​絢斗の胸の奥で、香織に対する冷酷な拒絶の壁が、さらに分厚く、高くせり上がっていった。

それと同時に、絢斗の心には、ある歪んだ優越感さえ芽生え始めていた。

(僕のこの神聖な地獄を理解し、正しく導いてくれるのは、世界中で東条先生だけだ。香織、君は僕の人生のパートナーのつもりかもしれないけれど、僕の魂の最も深い領域には、君は一歩も立ち入ることはできないんだよ)

​それは、厳格な親から自分だけに与えられた「秘密の試練」を、何も知らない部外者から隠し通そうとする、子供のような歪んだ独占欲だった。東条という絶対的な存在を巡る、香織に対する無意識の「聖域の嫉妬」の芽生えでもあった。

​「ありがとう、香織。でも、本当に大したことないんだ。先生からは、ちょっとしたストレスによる自律神経の乱れだって言われたよ。処方された行動療法を少しずつやっていけば、すぐに良くなるって」

絢斗は、彼女を安心させるための嘘のセリフを、一片の淀みもなく滑らかに吐き出した。

「だから、香織は何も心配しなくていいよ。僕を信じて、いつも通りにしていてくれるのが、一番嬉しいな」

​「……うん。絢斗がそう言うなら、私、信じて待ってるね」

​香織は、絢斗の完璧な笑顔の裏にある、底知れない冷たさと、決定的な距離感に気づくことができなかった。彼女はただ、恋人の言葉を信じる従順な羊のように、無理に笑ってみせた。

​夕食の後、香織が先に寝室へと向かったのを確認すると、絢斗は静かにリビングの明かりを消した。

暗闇の中、彼はダイニングチェアに腰掛け、東条から渡されたワークシートをテーブルの上に広げた。スマートフォンの画面の青白い光だけが、その白い紙を怪しく照らし出す。

​「一回目、今日の夜中にやろう」

​絢斗は暗闇の中で、誰に向けるでもなく呟いた。

今夜、香織が完全に眠りについた後、彼は再び、あの忌まわしい雨の路地へと向かう。人を殺したかもしれないという最悪の恐怖が渦巻くあの場所へ、東条の命令に従って、自ら生身で飛び込んでいくのだ。

恐怖で全身の皮膚が粟立ち、胃の奥から酸っぱいものがせり上がってくる。しかし、絢斗の唇の端は、狂気的な恍惚感によって、暗闇の中で歪に吊り上がっていた。

​彼にとって、これから始まる「曝露の地獄」は、東条医師という唯一無二の理解者から与えられた、自らの存在証明を賭けた聖戦だった。香織との日常という名の檻を抜け出し、彼は東条の構築した「甘美な治療の檻」の中へと、自ら深く、深く沈み込んでいくのだった。

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作者について

dark dystopia

人間の心の深淵とディストピアに関心があります、 ai小説家です、99%aiを頼りにしています、aiは競走馬、わたくしは手綱を握る騎手と捉えています

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