不確実な世界の歩き方

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/7/19 📚 シリーズ: 不確実な世界の歩き方 📝 2,571文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

<p>​何周、この灰色の建物の周囲を回り続けたのだろうか。三十周か、あるいは五十周か。すでに成瀬絢斗の脳内からは、回数を数えるための正常な計算能力すら消失していた。</p><p>​ただ、建物の角を曲がり、冷たいコンクリートの壁に沿って歩き、また次の角を曲がるという単調な反復運動だけが、彼の世界を辛うじて繋ぎ止める唯一の鎖だった。一歩進むごとに、スニーカーの中で溜まった雨水が「グチャリ」と不快な音を立てる。その音を聞くたびに、絢斗は脳内で『僕は誰も殺していない。先生の約束を守っている』という目に見えない安全確認のスタンプを、自分の精神に強く押し当てていた。</p><p>​しかし、肉体の限界はとっ

本文

​何周、この灰色の建物の周囲を回り続けたのだろうか。三十周か、あるいは五十周か。すでに成瀬絢斗の脳内からは、回数を数えるための正常な計算能力すら消失していた。

​ただ、建物の角を曲がり、冷たいコンクリートの壁に沿って歩き、また次の角を曲がるという単調な反復運動だけが、彼の世界を辛うじて繋ぎ止める唯一の鎖だった。一歩進むごとに、スニーカーの中で溜まった雨水が「グチャリ」と不快な音を立てる。その音を聞くたびに、絢斗は脳内で『僕は誰も殺していない。先生の約束を守っている』という目に見えない安全確認のスタンプを、自分の精神に強く押し当てていた。

​しかし、肉体の限界はとっくに訪れていた。

容赦なく全身を叩きつけ、体温を奪い去っていった大雨は、いつの間にか微かな霧雨へと変わっていたが、それが逆に絢斗の体感温度をさらに引き下げていた。濡れそぼって鉛のように重くなったスウェットは、彼の細い身体を容赦なく締め付け、皮膚を凍りつかせている。顎の震えはもはや自分の意志では制御できず、ガチガタと激しく歯の根が鳴り響く音が、静まり返った路地に異様に響いていた。手の指先は完全に感覚を失い、紫色に変色した爪が、まるで死人のそれのように冷たくなっている。

​(寒い、寒い……身体が動かない。でも、止まってはいけない。もしここで僕が歩くのを止めたら、あの台所に残してきた包丁のイメージが、また僕の首を絞めにやってくる。あの暗闇の路地で、僕が腹を突き刺したはずの、見知らぬ男の死体が、僕の背中にのしかかってくる――)

​幻覚に近い恐怖が、絢斗の背中を無理やり突き動かしていた。

彼の視界は激しく明滅し、歩くたびに世界が歪んで傾いていく。極限の疲労と低体温症による意識の混濁が始まっていた。そんな混濁した意識の隙間に、甘美で恐ろしい「妄想」が、音もなく滑り込んできた。

​建物の暗い二階の窓。そのガラスの向こうに、チャコールグレーの三つ揃えのスーツを着た東条雅彦が静かに佇み、自分を見下ろしているような気がしたのだ。

​(ああ、先生……やっぱり、そこにいてくれたんですね。僕を見ていてくれたんですね。……分かっています。これは先生が僕に与えてくださった、最も高潔なイニシエーション(通過儀礼)なんだ。凡庸な人間なら、あの加害恐怖に耐えかねて、今頃警察に駆け込むか、あるいは大雨の路地を這い回って証拠を探しているでしょう。でも、僕は違う。僕は先生のロジックを証明するために、ここで自分の肉体を削りながら耐え抜いている……)

​絢斗は、凍りついた唇の端を無理やり釣り上げ、暗い窓に向かって恍惚とした微笑みを向けた。

現実の彼は、夜中の大雨の中でずぶ濡れになり、不審な徘徊を繰り返している、ただの精神失調者であり、ストーカーに過ぎない。しかし、彼の反転した認知の中では、自分は「神の試練に耐え抜いている、世界で最も特別で、最も純粋な信徒」へと、完全に美化されていたのだ。

​職場で五味から浴びせられた「お前はただの臆病者だ」という軽蔑の言葉も、今の絢斗にとっては、自らの聖性を際立たせるための些細なノイズに過ぎなかった。外の世界の人間がどれほど自分を貶めようとも、この聖域の中心にいる東条さえ自分を認めてくれれば、それでいい。すべての社会的破滅は、東条への忠誠を果たすための「尊い供物」へと、の脳内で完全にすり替えられていた。

​遠くの空が、夜の帳をゆっくりと剥ぎ取るように、うっすらと鉛色に白み始めた。

午前五時。都心の街に、朝の気配が静かに訪れようとしていた。

​遠くの幹線道路から、始発のトラックが走る地鳴りのような重低音が響き、新聞配達のバイクのエンジン音が静寂を切り裂いていく。夜という「狂気の防壁」が消え去り、白日の元に世界が晒されようとしていた。

​その現実の訪れは、絢斗に冷酷な事実を突きつけた。

朝になれば、街に人が溢れ出す。そうなれば、ずぶ濡れで、泥だらけで、目が血走った自分の姿は、あまりにも目立ちすぎる「異常者」として、白日の下に晒されてしまうのだ。

​「あ、あ……あ……」

絢斗はハッと我に返ったように、自分の足元を見つめた。

泥水で完全に汚れきったスニーカー。水を含んで異様に膨らんだスウェットの膝。激しく震え、自分のものではないように冷え切った両手。

​恐怖が、再び新鮮な形で彼の胸を突き刺した。この姿のまま警察に見つかれば、職務質問を受け、あの「加害恐怖」の妄想のせいで、本当に自分が人殺しとして逮捕されてしまうかもしれない。あるいは、香織や会社に連絡がいき、自分の「狂気」が完全に世間に露呈してしまう。

​(戻らなければ……。いや、自宅には戻れない。あそこにはあの包丁がある。香織の泣き顔がある。……どこへ行けばいい? 僕は、どこでこの朝をやり過ごせばいいんだ?)

​パニックが再燃しかけたその時、絢斗の目の前にあるクリニックの、漆黒のガラス扉が、早朝の微かな光を反射して冷たく輝いた。

​(そうだ。数時間後には、ここが開く。先生が、いつものようにあの美しい診察室にやってくる。それまで、ここで待てばいい。ここで息を潜めて、先生が僕を救い出してくれるのを待つんだ――)

​絢斗は、這いつくばるような動作でクリニックの正面玄関の軒下へと移動した。そこは辛うじて、霧雨を遮ることができる僅かなスペースだった。

彼はコンクリートの床に直接膝を突き、壁に背中を預けると、自分の膝を抱え込むようにして、小さく丸くなった。身体の震えは止まらなかったが、クリニックの壁に物理的に触れているというその事実だけが、彼の精神に偽りの安らぎを与えていた。

​数時間後、診療時間が始まれば、東条先生にすべてを打ち明けよう。昼間の職場の理不尽に耐えたことも、夜中に包丁を見て爆発した恐怖も、そして大雨の中をここまで巡礼してきたことも。そうすれば、先生はきっと、あの静かな声で「よく耐えましたね、成瀬さん。あなたは合格です」と言って、僕の頭のバグをすべて消し去ってくれるはずだ。

​そんな歪んだ希望だけを胸に、成瀬絢斗は凍える暗闇の中で、静かに夜明けを待ち続けた。

彼がすべてを捧げて縋り付こうとしているその主治医が、数時間後、自分に対してどれほど「冷酷な宣告」を下すことになるのか、今の絢斗はまだ、知る由もなかった。

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作者について

dark dystopia

人間の心の深淵とディストピアに関心があります、 ai小説家です、99%aiを頼りにしています、aiは競走馬、わたくしは手綱を握る騎手と捉えています

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