夜の二人
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
大学2年生の橘ひなたは、ごく普通の女子大生。ある日、学校一のイケメンと噂される林武蓮と同じゼミになったことで、自然と彼を意識するようになる。 しかし蓮は恋愛に全く興味がなく、女の子から告白されても断り続けるクールな男。ひなたが話しかけても素っ気ない態度ばかり。 それでも一緒にいる時間が増えるうちに、ひなたは彼の不器用な優しさに少しずつ惹かれていく。 恋愛に無関心なイケメンが、初めて「恋の病」にかかるまでのドキドキラブコメ!
本文
部屋に戻って、しばらくひなたはぼんやりと天井を見つめていた。
足湯での会話が、まだ頭の中に残っていた。林武が過去のことを話してくれたこと。あんなに踏み込んだ話を聞いたのは初めてだった。
スマートフォンを見ると、十時を少し過ぎていた。明日のチェックアウトは十一時だから、まだ時間はある。でも、眠れる気がしなかった。
ぼんやりしていると、ドアがノックされた。
「……ひなた、起きてるか」
林武の声だった。ひなたは少し驚きながら、ドアを開けた。
林武が廊下に立っていた。浴衣姿のまま、手に文庫本を持っていた。
「どうしたの?」
「……眠れない」
「私も」
林武が少し間を置いた。
「……部屋に入っていいか」
ひなたは一瞬だけ驚いて、それからドアを大きく開けた。
「いいよ」
林武が部屋に入ってきた。ひなたはベッドに座って、林武に座布団を勧めた。林武は座布団に腰を下ろして、持っていた文庫本をテーブルに置いた。
「本、持ってきてたんだ」
「……旅行の時は持ち歩く」
「几帳面だね」
「……そうか」
二人でしばらく黙っていた。でも、不思議と気まずくはなかった。旅館の部屋は静かで、外から風の音だけが聞こえていた。
「さっきの話、ありがとう」
ひなたが言うと、林武が少し首を傾けた。
「……何が」
「過去のこと。話してくれて」
「……ああ」
「なんか、話しやすかった?今日」
林武はしばらく考えるような顔をした。
「……ここに来て、少し気が楽になった気がした。だから」
「そっか。よかった」
ひなたは窓の外を見た。山の夜空に、さっきと同じ星が広がっていた。
「林武くんって、旅行とか一人で行ったりするの?」
「……たまに。一人の方が気楽だから」
「一人旅好きなんだ」
「……嫌いではない。でも」
林武が少し止まった。
「……今日みたいなのも、悪くない」
ひなたは林武の顔を見た。林武は窓の外を向いたままだった。でも、その言葉が嬉しくて、ひなたは視線を逸らした。
「そう言ってもらえると、誘ってよかったなって思う」
「……誘ってくれてよかった」
また静かになった。ひなたはベッドの上で膝を抱えて、星空を眺めた。林武は座布団の上で、背筋をまっすぐに伸ばしたまま、同じ方向を見ていた。
しばらくして、ひなたが欠伸をした。
「眠くなってきた」
「……なら寝ろ」
「林武くんは?」
「……もう少し起きてる」
「そっか」
ひなたはベッドに横になった。毛布を引き上げて、目を閉じた。林武がそこにいる気配がする。それが不思議と落ち着いた。
「消灯していい?」
「……ああ」
ひなたは手を伸ばして、枕元のライトを消した。部屋が暗くなった。窓から星明かりがうっすらと入ってきて、林武の輪郭だけが見えた。
「おやすみ、林武くん」
「……ああ」
目を閉じると、足湯の温かさがまだ体に残っているような気がした。林武の気配が、静かに部屋にある。それだけで、ひなたは安心した。
どのくらい経っただろうか。うとうとし始めた頃、林武が動く気配がした。ひなたは薄目を開けた。
林武が文庫本を閉じて、テーブルに置いた。それからひなたの方を見た。ひなたが起きていることに気づいたのか、少し止まった。
「……起こしたか」
「ううん、まだ寝てなかった」
「……そうか」
林武が立ち上がろうとした。帰るつもりなのだろう。ひなたは思わず言った。
「ここで寝ていいよ」
林武が動きを止めた。
「……いい」
「布団、もう一枚あるから。押し入れに」
「……それでも」
「帰ったら一人でしょ。せっかくだから」
林武はしばらく黙っていた。ひなたは毛布の中で、林武の返事を待った。
「……じゃあ、押し入れの布団を借りる」
「うん」
林武が押し入れを開けて、布団を取り出した。ひなたのベッドから少し離れた場所に、静かに敷いた。その動作が、やけに丁寧だった。
「電気、このままでいい?」
「……ああ」
林武が布団に横になった。部屋にまた静けさが戻った。
「林武くん」
「……何だ」
「今日、楽しかった?」
少しの間があった。
「……楽しかった」
今日二度目だった。いつもなら「悪くない」で留めるところを、今日ははっきりと言ってくれた。ひなたは毛布の中で、小さく笑った。
「よかった。おやすみ」
「……おやすみ」
部屋が静かになった。林武の呼吸が、少しずつ落ち着いていくのがわかった。ひなたも目を閉じた。
好きな人が、同じ部屋で寝ている。それだけのことが、こんなに不思議な感じがするものなのか。胸がじんと温かくて、でも穏やかで、緊張というよりはただ幸せな感覚だった。
このまま時間が止まればいいのに。
そう思いながら、ひなたはゆっくりと眠りに落ちていった。
山の夜は深くて、静かだった。