猫の通り道
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
それは、彼方から届いた、ちょっと不思議な物語。ショートショート
本文
猫の通り道
その日の午後、いつもの帰り道で、女性は一匹の猫と目が合いました。
三毛猫は、電柱の陰から顔を出すと、女性をじっと見つめてから、するりと路地の奥へ入っていきました。
「あら」
なんとなく気になって、女性は普段通らない小道へと、足を踏み入れました。
猫は急ぐでもなく、時々振り返りながら歩いていきます。まるで、ちゃんとついてきているか、確かめているようでした。ついていくうちに、女性は、見慣れたはずの近所に、こんな道があったのかと、少し驚きました。細い路地の両側には、鉢植えがいくつも並び、どこからか、夕餉の支度をする匂いが漂ってきます。
---
小道の途中には、小さな花壇がありました。色とりどりの花が、狭い敷地いっぱいに、こぼれんばかりに咲いています。
「こんなところに、こんなに綺麗な花壇が」
思わず足を止めて見とれていると、水やりをしていた老人が、顔を上げました。
「おや、その猫についてきたのかい」
「あ、はい。なんとなく、気になってしまって」
老人は、くすりと笑いました。
「その猫は、よくこの道を通るんだよ。気まぐれでねえ、誰かを連れてくることもあれば、素通りすることもある」
「今日は、私を連れてきてくれたみたいです」
「そりゃあ、運がいい」
老人は花壇を指差しながら続けました。
「これはね、家族が大事にしてた花壇なんだ。今は私が、世話をしていてね」
「素敵ですね」
「通りかかる人に、少しでも喜んでもらえたらって思ってね」
猫は、そんな二人のやり取りを気にする様子もなく、花壇の隅で丸くなり、日向ぼっこを始めていました。女性はしばらく、その花の一つ一つを、名残惜しそうに眺めていました。
---
女性はしばらくして、また猫の後を追って歩き出しました。小道は緩やかに曲がりながら続いていて、古い木造の家々が、静かに軒を連ねています。
途中、開け放たれた窓から、誰かの弾く三味線の音が、ぽつりぽつりと聞こえてきました。
「あら、素敵な音」
足を止めて耳を澄ませていると、窓辺に、年配の女性が顔を出しました。
「あら、聞こえてしまったかしら。お恥ずかしい」
「いえ、とても素敵でした。この辺りに、こんな音色が流れているなんて、知りませんでした」
「毎日、この時間に練習しているのよ。下手だけど、聞いてくれる人がいると嬉しいものね」
女性は微笑みながら、頭を下げました。
「また、聞かせてください」
「ええ、いつでも」
猫は、いつの間にか少し先に進んでいて、女性を待つように、こちらを振り返っていました。
---
小道の終わりには、小さな公園がありました。ブランコと砂場だけの、こぢんまりとした公園です。ベンチには、買い物帰りらしい主婦たちが数人腰掛けて、世間話に花を咲かせていました。
猫は、その公園の真ん中で、大きく伸びをすると、ベンチの下に潜り込んで、そのまま丸くなってしまいました。
「あら、あんたの猫かい」
ベンチの一人が、女性に声をかけました。
「いえ、この子について、たまたまここまで」
「そうかい。その子はねえ、この辺りの、人気者なんだよ」
「人気者、ですか」
「ふらふら歩いて、色んな人のところに顔を出してねえ。おかげで、この辺りは、猫を通じて、みんな顔見知りになったようなもんさ」
主婦たちは、笑いながら、女性に場所を空けてくれました。
「あんたも、少し座っていきなよ」
女性は、勧められるまま、ベンチの端に腰を下ろしました。
会話に加わるでもなく、ただ隣に座っているだけでしたが、それだけで、なんだか自分もこの場所の一部になったような、不思議な心地よさがありました。
---
夕暮れが近づく頃、女性はベンチから立ち上がりました。
「そろそろ、帰りますね」
「また、いらっしゃいな」
「はい、また来ます」
猫は、ベンチの下でまだ眠ったままでした。女性は、その丸まった背中を、そっと一撫でしてから、公園を後にしました。
---
いつもの大通りに戻ると、見慣れた景色が広がっていました。けれど、女性の目には、その景色が、少し違って見えました。
この道の先には、あの花壇があり、三味線の音が流れる家があり、あの人気者の猫がいる公園がある。今まで、何年も同じ道を歩いていたはずなのに、すぐ隣に、こんなに豊かな世界が広がっていたことに、今日まで気づかずにいました。
「今度から、たまに違う道も、歩いてみようかな」
女性はそう呟きながら、夕焼けに染まる道を、ゆっくりと歩いていきました。
---
それから数日後のことでした。
いつもの大通りを歩いていると、電柱の陰から、見覚えのある三毛猫が、ひょっこりと顔を出しました。
「あ……また、あなたね」
猫は、女性をじっと見つめると、するりと、また別の路地の奥へと入っていきました。
女性は、思わず微笑みました。
「今日は、どこに連れて行ってくれるのかな」
そう呟きながら、女性は迷わず、猫の後を追って歩き出しました。
猫が見せてくれる道は、いつも同じではありません。けれど、ふと気まぐれに現れては、また新しい景色へと、そっと案内してくれるのでした。
作品統計
📚 本を探すなら「よみどき」(あいぺんが運営する本の発見サイト)
130万冊を超えるコミック・小説・書籍の順位と値段を毎日みて、いま読むものを決められます。