天津風5
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
歳を取らない少女はいくつもの出会いと別れを経験してきた。 大切な人達との別れを経て変わっていった少女は、それでも大切な人達との約束を守り続ける。 これは百年以上を生きた少女、アマツの出会いと別れの物語。
本文
司令官の部屋
十一月。
外縁独立機動部隊司令部。
夕暮れ。
「先生。」
「なんでしょう。」
「司令官がお呼びです。」
「そうですか。」
「お忙しいところ申し訳ありません。」
「いいえ。」
「仕事ですから。」
アマツは静かに立ち上がった。
廊下を歩く。
すれ違う隊員たち。
皆、自然と敬礼をする。
アマツも微笑みながら会釈を返す。
そして。
司令官執務室。
「失礼します。」
「先生。」
若い女性司令官。
三十代前半。
黒髪。
凛々しい眼差し。
しかし。
その表情には疲れが見えていた。
「お忙しいところ。」
「申し訳ありません。」
「いいえ。」
「どうされましたか。」
司令官は少し困ったように笑った。
「相談です。」
「珍しいですね。」
「実は。」
「自信がなくなりまして。」
窓の外。
夕焼け。
「最近。」
「皆が優秀なんです。」
「それは素敵ですね。」
「はい。」
「ですが。」
「私なんかより優秀な人が沢山いて。」
「司令官として。」
「正しいのか。」
「分からなくなる時があります。」
アマツは黙って話を聞いていた。
「歴代司令官の写真を見ると。」
「なおさらです。」
「皆。」
「立派で。」
「強くて。」
「私は。」
「及びません。」
静かな部屋。
そして。
アマツは歴代司令官の写真へ視線を向けた。
「そうですね。」
「皆さん。」
「立派でした。」
「ですよね。」
「ですが。」
「悩んでいましたよ。」
司令官は目を丸くする。
「え?」
「悩んで。」
「迷って。」
「怒って。」
「泣いて。」
「そして。」
「部下を大切にしていました。」
「そんな風には。」
「見えません。」
「見せませんでしたから。」
「……。」
夕焼け。
赤く染まる歴代司令官たちの肖像。
「特に。」
「ヤマトは。」
「責任感の強い方でした。」
「全てを一人で抱え込もうとして。」
「よく怒られていました。」
「誰にです?」
「皆さんに。」
アマツは小さく笑った。
「ムスビさんに。」
「鈴華に。」
「私にも。」
「ヤマトにも。」
「頼る権利があります。」
「そう言っていました。」
司令官は思わず笑った。
「なんですか、それ。」
「ええ。」
「その通りですね。」
しばらく沈黙。
そして。
「先生。」
「はい。」
「私。」
「歴代司令官に恥じない司令官になれていますか。」
アマツは写真を見る。
白髪。
赤い瞳。
大城雪夏。
ヤマト。
厳しい顔。
そして。
目の前の若い司令官を見る。
責任感。
優しさ。
不器用さ。
どこか似ている。
しかし。
別人。
新しい時代を生きる人。
アマツは穏やかに微笑んだ。
「ええ。」
「立派ですよ。」
司令官の目が少し潤む。
「本当ですか。」
「はい。」
「ヤマトも。」
「きっと。」
「そう言うでしょう。」
夕陽。
珈琲の香り。
そして。
懐かしい声。
『アマツ。』
『あいつも不器用だな。』
『ふふ。』
『ヤマトも同じでしたよ。』
『やめろ。』
『思い出す。』
賑やかな笑い声。
「先生。」
「はい。」
「ありがとうございます。」
「いいえ。」
「私ではありません。」
「?」
「昔。」
「皆さんが。」
「私に教えてくれたことです。」
窓の外。
秋の風。
司令官は深く一礼した。
「また。」
「困った時は。」
「相談してもいいですか。」
「もちろんです。」
「先生ですから。」
その言葉に。
アマツは少し目を丸くした。
そして。
柔らかく微笑んだ。
「ええ。」
「先生ですから。」
夕焼けが。
静かに執務室を照らしていた。
まるで。
百年以上前と変わらぬ優しさで。
天津風が。
次の時代へと吹き抜けていくように。
ーーー
春を待つ人
二月。
外縁独立機動部隊記念資料館。
夕暮れ。
閉館時間も近づき、人影は少なくなっていた。
「先生。」
「なんでしょう。」
宮城琴音が書類を抱えながら微笑む。
「今年ももうすぐ春ですね。」
「ええ。」
「早いですね。」
「本当に。」
「最近、一年が早くて。」
「歳ですか?」
「失礼ですね。」
二人は笑った。
「先生。」
「はい。」
「春って好きですか?」
窓の外。
夕焼け。
「好きですよ。」
「どうして?」
アマツは少し考える。
「昔。」
「春が好きな人がいました。」
「へぇ。」
「桜を見ると。」
「必ず外へ出たがる人でした。」
「元気そう。」
「ええ。」
「とても。」
「それで?」
「甘いものが好きで。」
「新しいお店を見つけると。」
「すぐに行きたがりました。」
「絶対楽しい人。」
「ええ。」
「賑やかな人でした。」
琴音は笑う。
「先生。」
「その顔。」
「はい。」
「好きだったんですね。」
「ええ。」
「大好きでした。」
夕陽。
優しい光。
「もう一人。」
「いました。」
「優しい人で。」
「いつも。」
「皆の心配をしていました。」
「先生。」
「ちゃんと寝てください。」
「朝ご飯は食べましたか。」
「そう言って。」
「よく怒られました。」
「先生。」
「昔からなんですね。」
「ええ。」
「変わりません。」
「ふふ。」
二人は笑った。
「あと一人。」
「え?」
「厳しい人。」
「強い人。」
「でも。」
「誰よりも優しい人。」
「不器用でしたけど。」
「先生。」
「はい。」
「幸せだったんですね。」
春を待つ夕空。
「ええ。」
アマツは静かに微笑んだ。
「幸せでした。」
「いいなぁ。」
「そうでしょうか。」
「うん。」
「そんな風に。」
「百年以上経っても。」
「好きって言える人がいるの。」
「素敵。」
アマツは少し驚いた。
そして。
「そうですね。」
「素敵ですね。」
と小さく笑った。
帰り道。
琴音がふと振り返る。
「先生。」
「はい。」
「いつか。」
「その人たちのお話。」
「もっと聞かせてください。」
冬の終わりの風。
「ええ。」
「喜んで。」
「きっと。」
「皆さん。」
「話好きですから。」
「先生も?」
「そうでしょうか。」
「最近。」
「昔より少し。」
「お喋りになりました。」
「良いことです。」
「そうですね。」
「良いことですね。」
夕焼け。
静かな資料館。
館長室。
窓辺。
三つのカップ。
古い写真。
そして。
本棚の隅に置かれた、一冊のアルバム。
アマツはそっと手を伸ばす。
「鈴華。」
「ムスビさん。」
「ヤマト。」
「今年も。」
「春が来ますよ。」
「皆さん。」
「きっと。」
「好きでしたよね。」
返事はない。
けれど。
春を待つ風が。
どこか懐かしい優しさで。
静かにカーテンを揺らした。
アマツは目を細める。
「会いたいですね。」
少しだけ。
寂しそうに。
でも。
幸せそうに。
「でも。」
「大丈夫ですよ。」
「私は。」
「幸せでしたから。」
窓の外。
遠い空の向こうで。
春はもう、
静かに近づいていた。
ーーー
栞
四月。
桜は散り始めていた。
外縁独立機動部隊記念資料館の中庭には、淡い桃色の花びらが風に乗って舞い込み、石畳をゆっくりと流れていく。
閉館まであと一時間。
来館者も少なくなり、館内は静かな空気に包まれていた。
受付の奥では、宮城琴音が書類を整理している。
その向かい側。
窓際の椅子に座ったアマツは、一冊の古い本を膝の上に開いていた。
ページは少し黄ばんでいる。
何度も読まれた跡があった。
「先生。」
琴音が顔を上げた。
「その本。」
「よく読んでますよね。」
「ええ。」
アマツは静かにページを閉じる。
「好きなんです。」
「恋愛小説?」
「違います。」
「歴史書?」
「違います。」
「難しい本?」
「いいえ。」
「では。」
「なんでしょう。」
琴音は首を傾げた。
アマツは少しだけ微笑む。
「珈琲店の案内本です。」
「え?」
思わず琴音は吹き出した。
「先生。」
「可愛い。」
「そうでしょうか。」
「うん。」
「意外。」
窓の外。
春風が吹き抜ける。
桜の花びらが一枚、本の上へ落ちた。
「昔。」
アマツは花びらを指先で拾い上げた。
「新しいお店を見つけると。」
「必ず行きたがる人がいました。」
「その人ですね。」
「ええ。」
柔らかな陽射しが金髪を照らす。
その碧い瞳は、どこか遠くを見ていた。
「休みの日になると。」
「朝から大騒ぎで。」
「今日はここ。」
「来週はこっち。」
「そんな調子でした。」
「楽しそう。」
「ええ。」
「とても。」
琴音は微笑む。
「先生。」
「はい。」
「その人。」
「絶対元気。」
「そうですね。」
「時々。」
「我儘でした。」
「ふふ。」
「でも。」
アマツは小さく笑った。
「誰よりも遠くを見ている人でした。」
春の日差し。
窓辺。
穏やかな沈黙。
琴音は本に挟まれた古い栞に気付いた。
「先生。」
「これ。」
「綺麗。」
薄い紙で作られた栞。
小さな喫茶店のロゴ。
今はもう存在しない店の名前。
角は少し擦り切れていた。
「古いですね。」
「ええ。」
「百年以上前のものです。」
「百年!?」
「はい。」
「凄い。」
アマツは栞をそっと指でなぞった。
「これは。」
「母から貰いました。」
琴音は驚いた顔をした。
「お母さん?」
「ええ。」
「本を読む時に使いなさい。」
「そう言われまして。」
「優しい。」
「ええ。」
「とても。」
夕陽が差し込み始める。
赤く染まる館内。
本棚。
木の机。
積み重ねられた資料。
そして。
アマツの横顔。
「先生。」
「はい。」
「宝物ですね。」
「ええ。」
静かな返事だった。
「宝物です。」
少し間を置いて。
アマツは栞を本へ戻した。
「不思議ですね。」
「?」
「昔は。」
「失くすのが怖かったんです。」
「壊れるのが。」
「忘れるのが。」
「全部。」
春風。
揺れるカーテン。
「でも。」
「今は違います。」
「違う?」
「ええ。」
「思い出は。」
「物の中だけではありませんから。」
「私の中にも。」
「そして。」
「皆さんの中にも。」
琴音は優しく笑った。
「私の中にも?」
「はい。」
「貴女は。」
「もう知っていますから。」
「珈琲が好きな人。」
「紅茶が好きな人。」
「不器用で優しい人。」
「皆さんを。」
「少しずつ。」
夕焼けが、窓辺を茜色に染めていく。
琴音は何となく嬉しくなった。
会ったことのない人たち。
それなのに。
先生が幸せそうに話すから。
自分まで好きになってしまう。
「先生。」
「はい。」
「いつか。」
「その人たちが好きだったお店。」
「一緒に行きましょう。」
アマツは少し目を丸くした。
そして。
春の夕陽の中。
穏やかに微笑んだ。
「そうですね。」
「きっと。」
「喜びます。」
誰が。
とは言わなかった。
けれど。
窓から吹き込んだ柔らかな風が、古いページを一枚だけめくった。
まるで。
遠い昔。
金髪碧眼の少女が。
「いいね!」
と笑っているように。
アマツは、そのページをそっと押さえる。
そして小さく目を細めた。
「鈴華。」
「また。」
「新しいお店ですよ。」
春の風は。
どこまでも優しく。
静かに。
懐かしく。
今年も天津風を運んできていた。