第4話 潮騒

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/8/1 📚 シリーズ: マーメイド・ペトリコール 📝 1,814文字 ✅ 全年齢

あらすじ

【瑠花】 暑い晴れた日だった。休日。日傘をさして堤防に座っていた瑠花は、ノースリーブの腕がチリチリと焼けるのを感じながら海を見つめていた。

本文

【瑠花】

 暑い晴れた日だった。

 休日。日傘をさして堤防に座っていた瑠花は、ノースリーブの腕がチリチリと焼けるのを感じながら海を見つめていた。

 何をするでもない。波が打つのを、ただじっと見ているだけだ。

 じりじりと滲む汗。ポニーテールにまとめた髪が首筋を不快に撫ぜた時、声がした。

「こんにちは。おねーさん」

 見慣れたお下げ髪。

 二人分の缶ジュースをワンピースの胸に抱えた彼女は、いつものように瑠花の隣に腰を下ろす。

「ドクペとルートビア、どっちがいい?」

「ルートビア一択」

 冷えた缶を受け取り、瑠花はカバンを漁る。

「チョコマシュマロとシルベーヌしかないよ」

「溶けそうなのばっかりじゃん」

 すでに大分柔らかいチョコレートを、二つとも手渡す。

「子供って甘いもん好きでしょ? 知らんけど」

『私、チョコ大好きなの。一緒に食べよ。元気になれるよ』

 重なる、声。

 優しく笑っていた、はずだ――

「子供じゃないし」

 澪の肘鉄砲がわき腹に食い込んで、ぼやけかけた意識を引き戻した。

「じゃあ何?」

 瑠花の問いに、澪ははて、と首を傾げた。

「十六歳は、何?」

「いやあたしが聞いてる」

 ルートビアのプルタブを、パキリと開ける。

 飲み物に口をつけた二人は、しばしただ黙って海を見つめていた。

 夏の海は一年で一番賑やかだ。

 カラフルな水着に身を包んだ若者や、お揃いのアロハを着てあたりを散策する老夫婦。

 幸せを体現したような空気があたりを満たしている。

 そんな夏が、瑠花は一番嫌いだった。

「おねーさんは十六の時、何だった?」

 不意に落ちた問い。

「何……」

 思い浮かぶのは、冬の日だ。

 雪のチラつく街。

 突然起きた激しい揺れと、怯えるような声で手を取ってきた――

『怖いよ……瑠花……』

 けたたましいエンジン音。

 観光客が乗った遊覧船が通り過ぎ、瑠花の意識はまた現実に引き戻された。

「何でもなかったよ。あたしは」

 手を振る観光客に、振り返す。

「なにそれ。答えになってない」

 背を伝う汗は、暑さのためだろうか。それとも――

「答えなきゃダメ?」

――――

 内陸に豪雪注意報が出た真冬。

 北風が身を切るような堤防に、澪はずぶ濡れで立っていた。

「今、二月だよね?」

「そうだね」

「何で――来たの?」

 どうしてずぶ濡れなのか、どうしてそんな状態でここに来たのか、疑問は喉元から出てはこなかった。

「おねーさん、いると思ったから……」

 声が、震えていた。

「そんな時くらい早く帰りな。風邪もこじらせたら――」

 めんどうだよ、そう言おうとして、言葉が立ち消えた。

 コートを着た胸に、澪の濡れた頭がめり込む。

 小さな震えは、寒さによるものなのか、そうでないのか。

「ちょっと黙っててもらっていい?」

 自分の背に手を回す澪を、どうするべきか迷った。

「私、死んだ方がいいんだって。いなくなっても、誰も……」

 瑠花の心臓に語りかけるように紡がれる言葉。

「全然、本気にしたことなんてなかったんだよ。またコドモみたいなこと言ってるって。見下してたくらいだし」

 その強さの割に、声は弱弱しい。

「見下してたらいいじゃん。今まで通り」

「無理」

 澪の肩に背負われていたスクールバッグが落ちた。

 ファスナーが開いていたのだろう。中に入っていた教科書やノートが、さらりと積もった雪の上に滑り出る。

 神経質そうな字で『工藤 澪』と記名されたキャンバスノートを見て、瑠花は自分が今まで彼女の姓すら知らなかったことに気付いた。だが、それ以上に――

「派手に、やられたね」

 目を引いたのは、花柄の散った可愛らしいノート「だった」はずのものだ。

 油性マジックのでぐしゃぐしゃと塗りつぶされ、カッターでデタラメに傷つけられた表紙。

 かろうじてその面影を保っているのは、片隅にある猫の形の箔押しだけだ。

「大事なもんだろうに。嫌なことするね」

「違う……もう違う」

 しゃくり上げ、涙の絡まる声。

 彼女の体が冷え切っているのが、厚いコート越しにも分かる。

 泣き声が、重なる。

『どうしてこんな酷いことするんだろうね』

 何度目の時だったか――頬にまた大きな青痣が出来た時。

 濡らしたハンカチを気休めに差し出しながら、その子は涙を流した。

『瑠花は悪くないよ。悪いのは世界だから』

 確か夏だ。自分の体から、伸びっぱなしの髪から昇る脂の臭いが、とても不快だった。

『ねえ、瑠花――』

「辛いならさ」

『一緒に』

「逃げちゃえばいいよ」

『逃げちゃわない?』

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作者について

彩華 じゅん

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