第4話 潮騒
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
【瑠花】 暑い晴れた日だった。休日。日傘をさして堤防に座っていた瑠花は、ノースリーブの腕がチリチリと焼けるのを感じながら海を見つめていた。
本文
【瑠花】
暑い晴れた日だった。
休日。日傘をさして堤防に座っていた瑠花は、ノースリーブの腕がチリチリと焼けるのを感じながら海を見つめていた。
何をするでもない。波が打つのを、ただじっと見ているだけだ。
じりじりと滲む汗。ポニーテールにまとめた髪が首筋を不快に撫ぜた時、声がした。
「こんにちは。おねーさん」
見慣れたお下げ髪。
二人分の缶ジュースをワンピースの胸に抱えた彼女は、いつものように瑠花の隣に腰を下ろす。
「ドクペとルートビア、どっちがいい?」
「ルートビア一択」
冷えた缶を受け取り、瑠花はカバンを漁る。
「チョコマシュマロとシルベーヌしかないよ」
「溶けそうなのばっかりじゃん」
すでに大分柔らかいチョコレートを、二つとも手渡す。
「子供って甘いもん好きでしょ? 知らんけど」
『私、チョコ大好きなの。一緒に食べよ。元気になれるよ』
重なる、声。
優しく笑っていた、はずだ――
「子供じゃないし」
澪の肘鉄砲がわき腹に食い込んで、ぼやけかけた意識を引き戻した。
「じゃあ何?」
瑠花の問いに、澪ははて、と首を傾げた。
「十六歳は、何?」
「いやあたしが聞いてる」
ルートビアのプルタブを、パキリと開ける。
飲み物に口をつけた二人は、しばしただ黙って海を見つめていた。
夏の海は一年で一番賑やかだ。
カラフルな水着に身を包んだ若者や、お揃いのアロハを着てあたりを散策する老夫婦。
幸せを体現したような空気があたりを満たしている。
そんな夏が、瑠花は一番嫌いだった。
「おねーさんは十六の時、何だった?」
不意に落ちた問い。
「何……」
思い浮かぶのは、冬の日だ。
雪のチラつく街。
突然起きた激しい揺れと、怯えるような声で手を取ってきた――
『怖いよ……瑠花……』
けたたましいエンジン音。
観光客が乗った遊覧船が通り過ぎ、瑠花の意識はまた現実に引き戻された。
「何でもなかったよ。あたしは」
手を振る観光客に、振り返す。
「なにそれ。答えになってない」
背を伝う汗は、暑さのためだろうか。それとも――
「答えなきゃダメ?」
――――
内陸に豪雪注意報が出た真冬。
北風が身を切るような堤防に、澪はずぶ濡れで立っていた。
「今、二月だよね?」
「そうだね」
「何で――来たの?」
どうしてずぶ濡れなのか、どうしてそんな状態でここに来たのか、疑問は喉元から出てはこなかった。
「おねーさん、いると思ったから……」
声が、震えていた。
「そんな時くらい早く帰りな。風邪もこじらせたら――」
めんどうだよ、そう言おうとして、言葉が立ち消えた。
コートを着た胸に、澪の濡れた頭がめり込む。
小さな震えは、寒さによるものなのか、そうでないのか。
「ちょっと黙っててもらっていい?」
自分の背に手を回す澪を、どうするべきか迷った。
「私、死んだ方がいいんだって。いなくなっても、誰も……」
瑠花の心臓に語りかけるように紡がれる言葉。
「全然、本気にしたことなんてなかったんだよ。またコドモみたいなこと言ってるって。見下してたくらいだし」
その強さの割に、声は弱弱しい。
「見下してたらいいじゃん。今まで通り」
「無理」
澪の肩に背負われていたスクールバッグが落ちた。
ファスナーが開いていたのだろう。中に入っていた教科書やノートが、さらりと積もった雪の上に滑り出る。
神経質そうな字で『工藤 澪』と記名されたキャンバスノートを見て、瑠花は自分が今まで彼女の姓すら知らなかったことに気付いた。だが、それ以上に――
「派手に、やられたね」
目を引いたのは、花柄の散った可愛らしいノート「だった」はずのものだ。
油性マジックのでぐしゃぐしゃと塗りつぶされ、カッターでデタラメに傷つけられた表紙。
かろうじてその面影を保っているのは、片隅にある猫の形の箔押しだけだ。
「大事なもんだろうに。嫌なことするね」
「違う……もう違う」
しゃくり上げ、涙の絡まる声。
彼女の体が冷え切っているのが、厚いコート越しにも分かる。
泣き声が、重なる。
『どうしてこんな酷いことするんだろうね』
何度目の時だったか――頬にまた大きな青痣が出来た時。
濡らしたハンカチを気休めに差し出しながら、その子は涙を流した。
『瑠花は悪くないよ。悪いのは世界だから』
確か夏だ。自分の体から、伸びっぱなしの髪から昇る脂の臭いが、とても不快だった。
『ねえ、瑠花――』
「辛いならさ」
『一緒に』
「逃げちゃえばいいよ」
『逃げちゃわない?』