63話:期末試験③ 背中
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
貴族のみが魔法を使える世界。平民でありながら大魔導士を目指す少年シュドーは幼馴染の羊の半獣人メルティと共に、老魔導士ナザルに魔法の素養を見込まれ魔導士としての修行を続ける。しかしある時起きた災害『大異変』によって、メルティは女の子になってしまった。そして大異変をきっかけに、世界は大きく変わり始めた…
本文
シュドーは手にしたインクの汚れを一度だけ見つめ、ゆっくりと語り始めた。
「まだ、俺が三歳ぐらいのガキの頃だった。今よりずっとチビで、魔法のことなんて何も知らねぇ。魔導士の存在は知ってたけど、その時の俺にはぼんやりと魔法を使える奴って事ぐらいしか知らなかった」
その声は低いが、静まり返った室内にはっきりと響いた。 普段の喧嘩腰な態度とは違う、剥き出しの過去を吐露する少年の姿に、誰もが言葉を失って聞き入る。
「あの日は、いつもみたいにお袋に手を引かれながら買い物をしていた所だった。いきなり、大きな音と悲鳴が上がったと思ったら、道の向こうから真っ黒な魔獣の群れがやってきて…あっという間に周りの家も店も壊されて飲み込まれた」
ゴクリ。
誰かが生唾を飲み込む音が聞こえた。 シュドーの視線は虚空を彷徨い、数十年前の港町コタンに立ち上る煙を見つめているようだった。
◇◇◇
「お袋は、俺を抱えて必死に逃げた。けど、途中で足を怪我して動けなくなった。お袋は俺に逃げろって泣きながら言ってきたけど、俺にはそれが出来なくて。近くに落ちてた木の枝を拾って、目の前の自分の何倍もでかい魔獣に必死に叫びながら枝を振って追い払おうとしていたんだ。今でもハッキリ覚えてる。どうしようもねえ絶望ってのはああいう状況を言うんだろうな」
シュドーの拳が、膝の上で白くなるほど握りしめられる。 絶体絶命の窮地。 小さな子供が振るう木の枝など、魔獣の爪先一つで砕かれる。 そんな死の気配が、シュドーの語りを通じて教室内の一同にも伝播していく。
「そんな時だった。いきなり空から無数の雷が降ってきたと思ったら、目の前の魔獣が皆黒焦げになってた。何が起きたのかわからねぇ俺の前に、ローブを着たおっさんが空から降りて来たんだ。そして振り返ってこう言ったんだ。
『お母さんを守る為によく頑張ったな。後は私に任せろ』……ってな」
シュドーはそこで一度言葉を切り、慈しむような、それでいて強く揺るぎない眼差しをした。
「その時のでっかい背中と、その言葉が、頭に焼き付いて離れなくなったんだ。後から聞いた話じゃ、その人が大魔導士で、コタンの危機を聞きつけて文字通り飛んで一人でやって来たんだってよ。それからさ。
俺は単純だから、そんな風になりてぇって憧れちまったんだ。
誰かがもう駄目だって時に駆けつけて、『あとは任せろ』って言えるような大魔導士になりたい。そんな風に思っちまったんだよ」
自嘲気味な笑みを浮かべて、シュドーは椅子に座り直した。 張り詰めていた空気がわずかに緩んだが、それは緊張が解けたのではなく、一同が抱いたシュドーへの認識が根本から上書きされたことによる沈黙だった。
「まぁ、そんなもんさ。軽いだろ? マリンみてぇな立派な使命感とかじゃねぇよ」
シュドーがそう締めくくると、図書室は再び深い静寂に包まれた。 マリンは長い間俯き、自分の膝を見つめていたが、やがて震えるようにして顔を上げた。
ガタッ。
椅子を引く音が響き、マリンはシュドーに向き直ると、周囲が息を呑むほど深く、深々と頭を下げた。
「ごめんなさい、シュドー・クラフト」
「……あ?」
シュドーが呆気に取られた声を出す中、マリンは謝罪の言葉を紡いだ。
「貴方の夢を軽い物だと断じてしまった非礼、全てお詫びするわ。そして、私の発言は全て撤回する。ペルナンド家の者として、貴族として恥ずべき事をしたのは私の方だったわ。貴方の真剣さを疑った私が、一番不真面目だった」
そのまま、マリンは隣で呆然としていたダヤンとジョシュアに対しても、深く腰を折った。
「ジョシュア・ローウェル、ダヤン・ホートラス。貴方達にも非礼を詫びるわ。他人の矜持をバカにする資格なんて私には無かった。本当にごめんなさい」
マリンの凛とした、それでいて真摯な謝罪に、ジョシュアとダヤンは毒気を抜かれたように居心地悪そうに顔を見合わせた。
「あー……いや、俺も、その、言い過ぎた。…悪かったよ。すまん」
「お、俺も……なんか、ムキになっちまった。ごめん、マリンさん」
ジョシュアが後頭部を掻きながら視線を逸らし、ダヤンも縮こまりながら謝罪を返した。 その様子を見ていたメルティ、ファリナ、ニック、そして窓際で静観していたディオスさえもが、ようやく安堵の吐息をつく。 冷え切っていた教室の空気が、少しずつ熱を取り戻していく。
パンッ!
「はい! 仲直りが終わった所で、そろそろ本格的に帰りましょ! 早くしないと教官に見つかって怒られちゃうわよ!」
アリシアが手を叩き、明るい口調で場を切り替えた。 彼女の気の利いた采配に、一同は慌てて教科書や筆記用具を鞄に詰め込み始める。
「そうそう! 今日は疲れたし、続きはまた明日ってことで!」
アルが調子よく手を振ると、シュドーがすぐさま反応した。
「明日もかよ!? お前ら、少しは自習って言葉を覚えろ!」
「ひぇー、シュドー先生は厳しいなぁ!」
アルの茶化すような笑い声が図書室に響き、騒がしいままに一行は建物を出た。
夕闇が色濃くなった大学の敷地内、石畳の道を寮へ向かって歩く。 メルティは、いつもより少しだけ控えめな、しかし確かな温もりを感じさせる距離感でシュドーの横に並んだ。 夜風が彼女の白いふわふわの髪を揺らし、羊の角が月の光を反射している。
「そっか。シュドーの大魔導士になりたい夢って、誰かのヒーローになりたいって事だったんだね」
「……まあ、そうかもな。っつっても、今の俺の魔力量じゃ、ヒーローどころか足手まといだけどな。道は険しそうだぜ」
シュドーが自嘲気味に、どこか遠い夜空を見上げて呟く。 すると、メルティは突然立ち止まり、シュドーの腕をぎゅっと抱きしめた。
「そんな事ないよ!」
「うおっ、おい!」
メルティは、本物の英雄を見るような瞳で、シュドーを真っ直ぐに見つめた。
「少なくとも、シュドーは僕にとって、ずっと前からヒーローだもん。コタンにいた時から、ずっと。だから、絶対にシュドーならなれるよ! 僕が保証してあげる!」
「恥ずかしい事言ってんじゃねぇよ! 大体お前、声がでけーんだよ……。ったく」
シュドーは真っ赤になって顔を背けた。 メルティの胸の感触が腕に伝わり、動悸が激しくなるのを必死に隠す。 しかし、その表情は先程までの険しさは消え、どこか救われたような、穏やかなものだった。
「……ありがとよ」
シュドーの口から漏れた、消え入りそうなほど小さな感謝の声。 それは夜風にさらわれて消えていったが、隣にいるメルティにだけは、確かに届いていた。