思念航路――副操縦士(五)
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
長編 連作
本文
第5話 強者たちの世界
初飛行の興奮も冷めやらぬまま、純はその日のうちに、簡素な宿泊施設へと案内された。
「ここが、しばらくおまえの部屋だ」
案内されたのは、空港近くにある職員用の宿舎だった。決して豪華ではないが、清潔で、必要なものは一通り揃っている。純はベッドに腰を下ろし、ようやく人心地がついた。
「あの、そういえば、まだ名前を聞いてませんでした」
「必要か?」
「必要でしょう、普通」
男はしばらく考え込むような素振りを見せたあと、面倒くさそうに答えた。
「グレイだ」
「グレイさん、ですか」
「さんはいらない」
これ以上聞いても無駄だと悟り、純はそれきり追及するのをやめた。この世界に来て一日も経っていないのに、すでに何度目かの諦めだった。
翌朝、純はグレイに連れられ、空港近くの食堂へ向かった。朝から賑わうその店内には、様々な制服を着た人々が集まっている。純はふと、その中の一人に目を留めた。
線路員の制服を着た、恰幅のいい中年の男性。彼は隣に座る同僚に、身振り手振りを交えながら何か熱心に語っている。
「――だからよ、あの区間、俺一人で二百キロ走らせたんだって。三時間ぶっ通しで」
「二百キロ……」純は思わず口の中で呟く。
グレイがその視線に気づき、軽く説明を加えた。
「あれは高速鉄道の運転士だ。一人で一編成、丸ごと動かす」
「三時間もですか」
「ベテランになると、もっと長い。中には、丸一日走らせ続ける化け物もいる」
「化け物って」
「本人たちもそう呼ばれるのを嫌がってない。むしろ誇りにしてる」
その言葉通り、線路員の男は周囲の視線を集めながら、まんざらでもなさそうな顔で話を続けていた。
食堂の奥には、貨物船の制服を着た初老の男性が座っている。彼の腕には、太い傷跡のようなものが何本も走っていた。
「あれは?」
「大型貨物船の船長だ。何万トンもの船体を、単独で港まで運ぶ」
「腕の傷は?」
「思念の使いすぎで、身体に負荷がかかった跡だ。長年やってると、ああいう痕が残ることがある」
純は思わず自分の手のひらを見つめた。昨日、初めて機体を浮かせたときの感覚が蘇る。あのとき感じた頭の熱さは、こういう蓄積の始まりなのだろうか。
「痛くなるんですか、あれ」
「なる。だが、慣れるとそれも含めて『調子がいい』の目安になる」
「痛いのが調子いいって、感覚おかしくないですか」
「この世界特有の職業病だ」
グレイはそう言って、涼しい顔でコーヒーに似た飲み物を口に運んだ。純はその横で、なんとも言えない気分に陥る。
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朝食を終えた二人は、空港内の見学に出かけることになった。グレイ曰く「新人は現場を見て学ぶのが一番早い」とのことだった。
案内された先は、工場地帯の一角だった。巨大な建屋の中で、何十本もの機械アームが、寸分の狂いもなく部品を組み立てている。その中央に、一人の技師が座り、正面の計器を見据えたまま静かに指を動かしていた。
「あの人、一人で全部動かしてるんですか」
「そうだ。工場長は、あの技師一人だ」
「一人で?あんな大きな設備を?」
「大変なのは知ってるだろう。だから彼は、この地区で一番の高給取りだ」
技師の周囲には、数人の補助スタッフが控えている。彼らは技師の体調を見守りながら、休憩のタイミングや水分補給の合図を出しているようだった。まるでスポーツ選手を支えるトレーナーのように。
「疲れたら、どうするんですか」
「交代要員がいる。だが、あのレベルの技師は、そう何人もいない」
見学を続けるうちに、純は次第にこの世界の構造を理解し始めていた。医師が精密な手術器具を思念で操る手術室。宇宙開発施設で、巨大な装置を制御する技術者。どの現場にも、共通して言えることがある。
強い思念を持つ人間ほど、社会の根幹を支える仕事に就いている。そしてその力の強さが、そのまま報酬や地位に直結している。
「なんか、この世界の仕組み、シンプルですね」
純の呟きに、グレイが横目でこちらを見た。
「シンプルすぎて、時々恐ろしくなる」
「恐ろしい?」
「強い人間が、いつまでも強いとは限らない。歳を取れば、思念は必ず衰える。それでも、社会の仕組みは変わらない」
その言葉には、これまでの飄々とした口調には似合わない、静かな重みがあった。純は何か聞きたいと思ったが、うまく言葉が出てこなかった。
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見学の最後に立ち寄ったのは、街の中心部にある大きな掲示板だった。そこには、様々な催しの告知が貼られている。
その中の一枚に、純は目を引かれた。
「――思念競技会?」
「ああ、それか」
グレイが横から覗き込む。
「この世界にゃ、思念の強さを競う大会がある。車両操作、精密作業、耐久走行――種目は色々だ」
「面白そうですね」
「他人事みたいに言うな」
「え?」
「おまえも出ることになる」
「聞いてないんですけど」
「今言った」
純は掲示板の告知を、もう一度まじまじと見つめた。日程は数週間後。種目の中には「旅客機操縦部門」の文字もある。
「あの、俺、まだこっちに来て一日ですよ」
「一日で規格外の数値を叩き出した人間が、何を今さら」
「それとこれとは話が別でしょう」
「話は同じだ。強い人間は、目立つ。目立てば、誘われる。断れば、余計に目立つ」
「理不尽じゃないですか、それ」
「この世界の常識だ」
純は掲示板の前で、しばらく立ち尽くしていた。頭の中では、まだこの世界に来てからのすべてが、現実感の薄いまま渦を巻いている。
だが同時に、昨日感じたあの高揚感――機体が空に浮かんだ瞬間の感覚が、胸の奥でまだくすぶっていた。
「……出るしかない、ってことですか」
「そういうことだ」
グレイは満足げに笑うと、純の肩を軽く叩いた。
「安心しろ。おまえなら、面白いことになる」
その言葉の意味を、純はまだ半分も理解できていなかった。だが、掲示板に貼られた「思念競技会」の文字を見つめながら、純の中で、小さな覚悟のようなものが芽生え始めていた。