コンシェルジュ(四)~王国の宰相と、琥珀色の誘惑
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あらすじ
長編&連作 作品集
本文
コンシェルジュ(四)~王国の宰相と、琥珀色の誘惑
夕闇が魔王城を包み込む頃。大理石のフロアを磨き上げるゴブリンスタッフの動きは、まるでバレエのように洗練されていた。
「佐藤、今日のVIPスケジュールを確認したが……」
支配人補佐・魔王がタブレットを片手に現れた。かつての鎧は今や、仕立ての良いスリーピーススーツへと変わり、その身のこなしにはホテルのオーナーとしての風格が漂っている。
「人間界の大国から、超のつく頑固者が来る。宰相だ。我が城の歴史を呪い、人間界の恥だと叫んで回るような男でな。今夜も『城を差し押さえる』と息巻いている」
「宰相閣下でございますね。承知いたしました」
純は微笑みを崩さない。どんなクレーマーも、純の手にかかれば「リピーター」に変わる。それがグランド・マオ・ホテルの流儀。
エントランスの自動扉が、威圧的な音を立てて開いた。
白髪を逆立てた宰相が、武装騎士を従えて登場した。
「ここが魔王の巣窟か! 不浄な地を汚した罪を贖わせてやる!」
宰相の声がロビーに響く。優雅にティータイムを楽しんでいた元・勇者一行が「うわ、また面倒なのが来たぞ」と顔を見合わせる。
「いらっしゃいませ。当館へようこそ」
純は音もなく宰相の正面に回り込み、完璧な角度でお辞儀をした。
「長旅、誠にお疲れ様でございます。宰相閣下、さぞかし国家の重責に押しつぶされそうな日々をお過ごしのこととお察しいたします」
「……っ、貴様、何を言う!」
「お顔の端に、深刻な『疲労の皺』が刻まれております。それは、国民のために尽くしすぎた、勲章のようなものでございますね」
宰相は一瞬、言葉を失った。激しい敵意を剥き出しにしていたはずが、純のあまりに的確で、かつ慈愛に満ちた指摘に、思わず身構えていた肩が少しだけ落ちる。
「……ふん、口先だけは達者だな」
純はすかさず、銀色のトレイに乗せた「あるもの」を差し出した。
それは、グラスに入った琥珀色の液体――魔王城の地下深層から湧き出る、五百年熟成の『地獄の蜂蜜酒(メド)』。
「まずは、この一杯をお召し上がりください。人間界では決して味わえない、安らぎの雫でございます」
宰相は疑り深い目でグラスを見つめる。
護衛の騎士が「毒見を!」と叫ぶが、宰相はなぜかそれを制した。魔界蜂蜜の甘く重厚な香りが、疲弊した脳を直接刺激していたからだ。
一口。
宰相の瞳孔が開き、顔色がわずかに上気する。
「……これは……甘美な……しかし、力が満ちる……」
「さらに。今夜は、人間界の源泉を引いた特別大浴場を貸し切りでご用意しております。魔王城特製の『溶岩ホットストーンスパ』にて、お背中の凝りを解きほぐしませんか?」
純は宰相の耳元で、甘美な禁句を囁く。
「宰相閣下は、誰にも邪魔されず、国家のことも、魔王のことさえも忘れて。ただの一人の『癒やしを求める旅人』として、眠りにつく権利がございます」
宰相の足が、ふらりとロビーのふかふかのソファに向かった。
護衛の騎士たちが唖然とする中、宰相は力なく座り込み、思わず溜息を漏らした。
「……風呂、か。ここ数年、ゆっくりと湯に浸かった記憶すらない……」
「かしこまりました。今すぐ支度をいたします」
純は満足げにうなずくと、インカムで指示を飛ばした。
「こちら、VIPの宰相閣下。極上の『安眠ハーブティー』と、特製ローブをご用意。あと……浴室の温度は、一番心地よいと感じる『黄金の42度』に設定」
その様子を見ていた魔王が、純の肩を叩く。
「宰相が、あんなに大人しくなるとは。お前という男は、本当に魔法使いより恐ろしいな」
「いいえ、魔王様。魔法よりも強力なのは、相手の『隙間』を埋めるおもてなしの心でございます」
その夜、大浴場の湯気の中で、人間界の最高宰相は涙を流したという。
魔王城が差し押さえられることはなかった。むしろ翌朝、宰相は「来月の予算会議の会場を、ここグランド・マオ・ホテルにする」と、国王に直談判する手紙をしたためていたそうだ。
純は、カウンターで今日も優雅に微笑んでいる。
グランド・マオ・ホテルに、もう帰れない客が一人、また増えた瞬間だった。
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