まだ白紙の僕らへ

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/8/26 📚 シリーズ: まだ白紙の僕らへ 📝 7,689文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

二十八歳、大学中退。仕事も長続きせず、恋愛もうまくいかなかった。 「このままじゃダメだ」 そう思った松澤柚葉は、二年制のデザイン系専門学校への入学を決める。 周囲は十代ばかり。自分の年齢を気にしながら始まった学生生活で出会ったのは、今回が最後の挑戦だという二十五歳の榊原遥斗と、幼い頃から数々の賞を受賞してきた、圧倒的な絵の才能を持つ十九歳の飯村ミオだった。 優しい線を描く柚葉。 丁寧な線を重ねる遥斗。 そして、感情をそのままぶつけるような線を描くミオ。 年齢も、才能も、抱えているものも違う三人。 夢を追うには遅すぎるのか。 才能がなければ諦めるしかないのか。 才能があれば幸せになれるのか。 それぞれの不安を抱えながら、三人は少しずつ互いの人生に触れ、支え合い、自分だけの「描き方」を見つけていく。 まだ何者でもない。 未来だって決まっていない。 だからこそ、何度だって描き直せる。 これは、人生の途中で立ち止まった三人が、真っ白なキャンバスにもう一度未来を描き始める、二年間の青春群像劇。 『まだ白紙の僕らへ』 ――その白紙に何を描くのかを決めるのは、いつだって自分自身だ。

本文

第9話「同じ夜の中で」

八月も半ばを過ぎると、夏休みはまだ続いているはずなのに、どこか終わりの気配を含み始めていた。

日中の暑さは相変わらず容赦がなく、蝉も朝から騒がしい。それでも夕方になると日が落ちる時間がほんの少しだけ早くなり、夜風の中には真夏とは違う匂いが混じるようになっていた。

柚葉はそんな変化にはほとんど気づかないまま、自室の床に座り込んでいた。

目の前には課題用の画用紙が広がっている。

その隣には消しゴムと鉛筆、開きっぱなしの教科書。そして少し離れたところには、明らかに課題とは関係のない漫画とゲーム機が置かれていた。

「終わらない……」

柚葉は鉛筆を置くと、そのまま後ろへ倒れ込んだ。

天井を見つめる。

夏休みに入ったばかりの頃、遥斗とミオから散々言われていた。

課題を早めにやった方がいい。

後で困る。

絶対に最後に焦る。

全部聞いていた。

聞いた上で、やらなかった。

その結果が今だった。

枕元に置いていたスマートフォンへ手を伸ばし、三人のグループチャットを開く。

『助けて』

送信した。

遥斗から既読がついたのはすぐだった。

『何がですか』

『課題』

『知りません』

あまりにも冷たい返事に、柚葉は眉を寄せた。

『友達が困ってるんだけど』

『友達だから前から言ってました』

正論だった。

だから余計に腹が立つ。

少ししてミオからも既読がついた。

『どこまで終わってるんですか』

柚葉は目の前の画用紙を見る。

ほぼ白い。

『三割』

少し迷ってから送った。

遥斗からすぐ返ってくる。

『嘘ですね』

『何で分かるの』

『本当は?』

柚葉は数秒考えた。

『一割』

今度はミオから返事が来た。

『それ三割って言わないです』

『気持ちは三割』

『課題に気持ちは反映されません』

「二人とも冷たいなあ……」

そう呟きながらも、柚葉は笑っていた。

すると遥斗から新しいメッセージが届く。

『明日なら暇ですけど』

その直後、ミオからも。

『私も午後なら』

柚葉は起き上がった。

『じゃあうち来る?』

送ってから少し待つ。

遥斗はすぐに『いいですよ』と返した。

ミオだけ返事がない。

一分。

二分。

やがて表示されたのは、

『柚葉さんの家ですか』

という短い文章だった。

『そう』

『家族いますよね』

『いるよ』

また少し間が空く。

柚葉には、その沈黙の理由が何となく分かった。

ミオは学校でも、外で三人で遊ぶときでも、以前よりずっと自然に人と関われるようになった。

けれど誰かの家となると少し違う。

その人の生活の中へ入るようなものだから。

柚葉は急かさなかった。

少しして。

『分かりました』

と届いた。

それからもう一つ。

『行きます』

柚葉は小さく笑った。

翌日の午後、インターホンが鳴った。

柚葉が玄関を開けると、そこには遥斗とミオが並んでいた。

遥斗は肩に鞄を掛け、ミオはいつもより少し大きめのバッグを持っている。

「いらっしゃい」

「お邪魔します」

遥斗が頭を下げる。

その隣でミオも少しだけ緊張した様子で、

「……お邪魔します」

と続けた。

「そんな固くならなくていいよ」

「初めて来る家なので」

「私の家だよ?」

「だから何ですか」

「いや、もっと適当でいいかなって」

「無理です」

靴を脱いでいると、奥から柚葉の母親が顔を出した。

「あら、いらっしゃい」

遥斗はすぐに頭を下げる。

「こんにちは。お邪魔します」

「こんにちは」

ミオも続く。

母は二人を交互に見たあと、少し嬉しそうに柚葉を見る。

「ちゃんと友達いたのね」

「ちょっと」

「だって家に連れてくるなんて珍しいじゃない」

「余計なこと言わなくていいから」

遥斗が笑いを堪えている。

ミオもほんの少しだけ口元を緩めていた。

「何笑ってんの」

「いや」

遥斗は顔を逸らした。

「柚葉さん、家でも変わらないんだなと思って」

「どういう意味?」

「そのままです」

ミオが横から言う。

「ミオまで?」

「安心しました」

「何に?」

「学校だけじゃなかったんだなって」

「二人とも帰すよ?」

そんなやり取りをしながら、三人は二階にある柚葉の部屋へ向かった。

部屋へ入った瞬間、ミオが足を止めた。

「……すごいですね」

「何が?」

「物」

柚葉も振り返る。

漫画。

ゲーム。

画材。

小物。

棚の上に並んだフィギュア。

壁に貼られたポスター。

確かに物は多い。

けれど柚葉にとっては普通の部屋だった。

「そんな多い?」

「多いです」

「俺もそう思います」

遥斗まで同意した。

「遥斗の部屋が殺風景なだけじゃない?」

「見たことないですよね?」

「想像」

「偏見ですよ」

ミオはゆっくり部屋の中を見回していた。

誰かの部屋に入るということが、こんなにもその人を知ることになるのだと初めて思った。

柚葉が普段何を見ているのか。

何が好きなのか。

どんなものを捨てられずに持っているのか。

机の端には描きかけの絵があり、その横には使い込まれたゲーム機が置かれている。

棚の一段だけ漫画が二重に並べられていて、その上には昔の写真もあった。

学校で毎日話している柚葉と、ここで暮らしている柚葉。

同じ人なのに、少しだけ違って見える。

「ミオ?」

呼ばれて我に返る。

「何ですか」

「そんな見られると恥ずかしいんだけど」

「柚葉さんが人のスケッチブック見ようとする気持ちが少し分かりました」

「でしょ?」

「でも私は見せません」

「そこは変わんないんだ」

遥斗が笑った。

「とりあえず課題やりましょうよ。俺たちそれで呼ばれたんですよね?」

「あ」

柚葉が目を逸らす。

「忘れてました?」

「ちょっとだけ」

「帰りますよ」

「ごめんって」

三人は床へそれぞれの画材を広げた。

始めてみれば、意外なほど作業は進んだ。

柚葉が分からないところを聞けば遥斗が説明し、色で迷えばミオが候補を出してくれる。

もちろん、その合間にどうでもいい話をするせいで手が止まることも多かった。

遥斗が柚葉の漫画を読み始めようとして怒られたり、柚葉がミオの筆箱を勝手に開こうとして手を叩かれたり、ミオが机の上に置いてあった昔の落書きを見つけて笑ったりした。

それでも夕方になる頃には、白かった柚葉の画用紙にもようやく形が見えていた。

「すごい」

柚葉は少し離れた場所から自分の作品を眺めた。

「進んだ」

「最初が一割でしたからね」

遥斗が言う。

「三割って言ったじゃん」

「後から一割って認めたでしょう」

「記憶にない」

「都合いいですね」

ミオが筆を洗いながら呟く。

「でも、このくらいなら間に合うと思います」

「ほんと?」

「柚葉さんがちゃんとやれば」

「その条件いる?」

「一番大事です」

柚葉は不満そうな顔をしながらも、自分の絵をもう一度見た。

一人で描いていたら、今日も途中でゲームを始めていたと思う。

でも二人がいると、不思議と続けられた。

誰かと一緒にいることで作業が進むなんて、少し前まで考えたこともなかった。

夕方になり、母が三人を夕食へ誘った。

遥斗は一度断ろうとしたが、「もう作り始めたから」という一言で諦めた。

ミオも最初は遠慮していたものの、柚葉に腕を引かれて結局一緒に食卓へついた。

家族以外の人と囲む柚葉の家の食卓は、いつもより少し賑やかだった。

母は遥斗とミオへ学校のことを尋ね、柚葉がちゃんと授業を受けているのかまで確認し始めた。

「ちゃんと受けてるよ」

柚葉が口を挟む。

「本当?」

母が遥斗を見る。

「多分」

「遥斗?」

「冗談です。ちゃんと受けてます」

「ミオは?」

突然聞かれ、ミオは少しだけ戸惑った。

柚葉の母親は笑っている。

「柚葉、学校で迷惑かけてない?」

「……結構」

「ミオ!」

思わず柚葉が声を上げた。

ミオはほんの少し笑った。

「でも、嫌ではないです」

母親が一瞬だけ目を丸くし、それから柔らかく笑った。

「そっか」

それ以上は何も言わなかった。

柚葉も何か返そうとしたが、なぜか少し照れくさくなってやめた。

夕食を終えて二階へ戻る頃には、外はすっかり暗くなっていた。

遥斗が時計を見る。

「そろそろ帰った方がいいですね」

柚葉も時間を見る。

もう八時を過ぎている。

「確かに」

ミオもバッグへ画材を片づけ始めた。

そのとき、窓の外が一瞬だけ白く光った。

数秒遅れて、低い雷鳴が響く。

三人の手が止まった。

「……雷?」

柚葉がカーテンを開ける。

遠くの空がもう一度光った。

その直後、突然大粒の雨が窓を叩き始めた。

「さっきまで晴れてたのに」

遥斗も窓の外を見る。

夏らしい夕立だった。

けれど降り方はかなり激しく、窓の向こうの景色が白く霞んでいる。

スマートフォンで雨雲を確認すると、しばらくは止みそうになかった。

「どうします?」

遥斗が言う。

「少し待てば弱くなるんじゃない?」

柚葉はそう答えたが、一時間経っても雨は止まなかった。

むしろ雷まで近づいている。

時計は九時半を過ぎた。

母親が部屋へやってきて、窓の外を見ながら言った。

「これ帰るの危ないよ。二人とも泊まっていけば?」

三人が同時に母を見る。

「え」

遥斗が最初に声を出した。

「いや、さすがにそれは」

「電車止まるかもしれないし、こんな雨の中駅まで歩かせる方が心配だから」

確かに。

スマートフォンを見ると、一部の路線にはすでに遅れが出ている。

柚葉は二人を見る。

「泊まってけば?」

あっさりと言った。

遥斗は明らかに困っている。

「でも着替えとかないですよ」

「父の貸せると思う」

「いや、そういう問題というか」

「ミオは?」

ミオも少し困った顔をしていた。

「家に連絡します」

それだけ言って部屋の外へ出た。

数分後。

戻ってくる。

「……大丈夫だそうです」

柚葉は笑った。

「じゃあ決まり」

遥斗が天井を見上げる。

「また柚葉さんが勝手に決めてる」

「嫌ならこの雨の中帰っていいよ」

窓の外で雷が鳴った。

遥斗は少し黙った。

「……泊まります」

「よし」

こうして。

予定になかった夜が始まった。

母が用意してくれた着替えに替え、三人は再び柚葉の部屋へ集まった。

遥斗は柚葉の父親のTシャツを借りていて、明らかにサイズが少し大きい。

それを見た柚葉が笑う。

「似合わない」

「借りといてなんですけど俺もそう思います」

ミオは柚葉の部屋着を借りていた。

少し大きめのTシャツと短パン。

長い髪を簡単にまとめている。

柚葉はじっと見る。

「……何ですか」

「いや」

「また見てますよね」

「ミオが私の服着てるの変な感じ」

「借りろって言ったの柚葉さんですよね」

「そうだけど」

遥斗が笑う。

「姉妹みたいですね」

柚葉とミオが同時に遥斗を見る。

「どこが」

「どこがですか」

また声が重なった。

遥斗は笑いながら、

「そういうところです」

と答えた。

課題を再開する気にはなれず、三人は床へ座ってゲームをすることにした。

最初は柚葉が圧倒的に強かった。

「二人とも弱くない?」

「柚葉さんがやりすぎなんですよ」

遥斗がコントローラーを握りながら悔しそうに言う。

「実力」

「プレイ時間の差です」

「それも実力」

ミオはゲームそのものに慣れておらず、最初はまともに操作することすらできなかった。

「ミオ、そっちじゃない」

「分かってます」

「逆逆」

「分かってませんでした」

「何で壁に向かって走ってるの」

「うるさいです」

柚葉は笑いすぎてまともに操作できなくなった。

「もう一回」

ミオが言った。

柚葉が止まる。

「え?」

「もう一回やります」

負けず嫌いらしい。

それから何度も繰り返し、日付が変わる頃にはミオも少しずつ操作を覚えていた。

気づけば外の雨も、随分弱くなっている。

「もう十二時か」

遥斗が時計を見る。

「そろそろ寝る?」

柚葉が言う。

母が用意してくれた布団を床へ並べる。

遥斗は部屋の外にある和室で寝ることになっていたが、眠くなるまでは三人で話していようということになった。

部屋の電気を消し、ベッド脇の小さな灯りだけを残す。

柚葉はベッド。

ミオはその横の布団。

遥斗は床へ座り、ベッドにもたれていた。

さっきまで騒いでいたのが嘘のように、部屋は静かだった。

窓の外から雨の音が微かに聞こえる。

「なんか修学旅行みたい」

柚葉が言った。

「三人しかいませんけど」

遥斗が答える。

「雰囲気の話」

「柚葉さん、雰囲気好きですね」

ミオの声が暗い部屋から聞こえる。

「夜って話したくならない?」

「何をですか」

「なんでも」

柚葉は天井を見る。

少し間を置いてから遥斗が口を開いた。

「じゃあ、何でこの学校入ったかとか?」

「急に真面目」

「柚葉さんが何でもって言ったんですよ」

「遥斗は?」

「俺からですか」

「言い出した人から」

遥斗は少し考えた。

「絵が好きだったからです。それと、普通の大学行っても何したいか分からなかったので」

「へえ」

「柚葉さんは?」

「私も似たような感じ。絵とか漫画とか好きだったし、前よりちゃんとやってみたかったから」

遥斗が少しだけ柚葉を見る。

前より。

その言葉に何かを感じたのかもしれないが、何も聞かなかった。

そして二人の視線が自然とミオへ向いた。

暗くても分かる。

「……また私ですか」

「嫌なら答えなくていいよ」

柚葉が言った。

少しの沈黙。

雨音だけが続く。

「私は」

ミオが小さく口を開いた。

「他に行くところが思いつかなかったからです」

柚葉は何も言わなかった。

「絵ならできたので。できることをやればいいと思ってました」

春から何度か聞いてきた話だった。

描けるから描く。

上手いと言われるから描く。

それだけだったはずのミオ。

「でも最近は?」

柚葉は静かに聞いた。

ミオはすぐには答えない。

天井を見ている。

「……前よりは」

少し間を置く。

「描きたいものが増えました」

柚葉の口元が緩んだ。

「そっか」

「この前の湖とか」

「うん」

「今日の夜とか」

「今日?」

「まだ描いてないですけど」

ミオの声はいつもより少し柔らかかった。

「残したいと思うものが増えました」

柚葉はその言葉を聞きながら、しばらく何も言えなかった。

嬉しかった。

でも、それをそのまま口にするとミオはきっと嫌がる。

だから。

「じゃあ私たち結構役に立ってるね」

と笑った。

ミオも小さく笑う。

「調子に乗らないでください」

「もう乗った」

「早いです」

遥斗が静かに笑った。

しばらくすると、話題はまたどうでもいいものへ変わった。

好きな食べ物。

苦手な先生。

最近見た映画。

行ってみたい場所。

誰が一番朝に弱いか。

そんな話をしているうちに、遥斗の声が少しずつ少なくなった。

「遥斗?」

返事がない。

柚葉が身体を起こす。

見ると、遥斗は壁にもたれたまま眠っていた。

「寝てる」

ミオも少し顔を上げる。

「器用ですね」

「この体勢で寝れるんだ」

柚葉は笑いながら遥斗の肩を軽く叩いた。

「遥斗、和室行って寝なよ」

「……ん」

眠そうな顔で起き上がる。

「寝てました?」

「がっつり」

「すみません」

「何で謝るの」

遥斗は立ち上がり、部屋を出る前に振り返った。

「じゃあ、おやすみなさい」

「おやすみ」

「おやすみなさい」

扉が閉まる。

部屋には柚葉とミオだけが残った。

灯りを消す。

暗闇の中、しばらくは雨の音だけが聞こえていた。

「ミオ」

「はい」

「寝た?」

「今返事しましたよね」

「確認」

「起きてます」

柚葉は笑った。

少しだけ間を置く。

「今日来てくれてありがとね」

暗闇の中でミオが少し動いた気配がした。

「課題手伝いに来ただけです」

「それでも」

また沈黙。

柚葉は目を閉じた。

「なんかさ」

「何ですか」

「最近、学校なくても二人と会うの普通になったなと思って」

ミオは答えなかった。

「春は学校でしか会わなかったじゃん」

「そうですね」

「今は休みの日も会って、夜まで一緒にいて、とうとう泊まってる」

「事故ですけどね」

「言い方」

柚葉は小さく笑う。

「でも楽しい」

その言葉は暗い部屋の中へ静かに落ちた。

ミオは天井を見たまま、しばらく黙っていた。

以前なら、誰かと長い時間一緒にいることは疲れるだけだった。

何を話せばいいのか考え、どんな顔をすればいいのか考え、一人になったときにようやく安心する。

でも今日は朝からではないにしても、ずっと二人といた。

食事をして。

課題をして。

ゲームをして。

話をして。

それでもまだ、一人になりたいとは思っていない。

それが自分でも不思議だった。

「……私も」

小さな声が出た。

「ん?」

「楽しいです」

言ったあとで、少しだけ恥ずかしくなった。

柚葉から返事がない。

「柚葉さん?」

まだ返事がない。

ミオが顔を向ける。

暗くて表情は見えない。

「……寝ました?」

数秒後。

小さな寝息が聞こえた。

「……」

ミオはしばらく黙った。

せっかく言ったのに。

少しだけ腹が立つ。

でも。

同時に少し安心した。

聞かれていなかったなら、それでもいい。

ミオは目を閉じた。

そのとき。

隣から小さな声がした。

「……聞こえてるよ」

ミオの目が開く。

「起きてたんですか」

「半分」

「最低です」

「ごめん」

柚葉の声が笑っている。

「でも嬉しい」

「忘れてください」

「無理」

「やっぱり最低です」

「ミオ」

「何ですか」

「また三人でどっか行こうね」

ミオは少しだけ黙った。

「……はい」

今度は迷わなかった。

翌朝。

柚葉が目を覚ますと、隣の布団にミオはいなかった。

時計を見る。

八時過ぎ。

階下から話し声が聞こえる。

髪を乱したまま一階へ下りると、ダイニングにはすでにミオと遥斗がいた。

母親まで一緒に朝食を食べている。

「おはよう」

遥斗が言う。

ミオも柚葉を見る。

「遅いです」

「何で二人とも普通に馴染んでるの?」

「柚葉が起きてこないからでしょ」

母が言った。

「ミオちゃんなんて朝ご飯手伝ってくれたよ」

柚葉がミオを見る。

「何してんの」

「起きたので」

「私の家なのに私より家族っぽい」

「柚葉さんが寝すぎなんです」

遥斗が笑った。

柚葉は空いている席へ座る。

食卓には四人分の朝食が並んでいた。

昨日までは予定になかった朝だった。

本当なら遥斗もミオも、もう自分の家にいるはずだった。

けれど今は同じ食卓を囲んでいる。

そんなことが、妙に可笑しかった。

朝食を終えたあと三人は再び柚葉の部屋へ戻り、帰る支度をした。

窓を開ける。

昨日の雨が嘘だったように空は晴れていた。

強い日差し。

濡れた道路。

澄んだ青。

ミオは窓の外を見る。

「昨日と全然違うね」

柚葉が隣へ来た。

「はい」

「描きたい?」

春にも聞かれた言葉だった。

あのときは分からないと答えた。

夏の始まりには、自分の中でだけ描きたいと認めた。

そして今。

ミオは窓の外を見ながら答えた。

「描きたいです」

柚葉は一瞬だけミオを見る。

それから、嬉しそうに笑った。

「そっか」

それだけだった。

ミオもそれ以上何も言わなかった。

少しして遥斗が二人の後ろから声をかける。

「そろそろ帰りましょうか」

「うん」

柚葉が振り返る。

「次は夏祭りとか行きたいね」

遥斗が少し考える。

「いいですね」

柚葉はミオを見る。

「ミオは?」

以前なら人が多いという理由で断ったかもしれない。

ミオもそれを覚えていた。

けれど。

昨日の夜。

三人で暗い部屋にいた時間を思い出す。

誰かと長い時間一緒にいることを、初めて楽しいと言えた夜。

「……三人なら」

ミオは少しだけ笑った。

「行ってもいいです」

柚葉の顔が明るくなる。

「じゃあ決まり」

「まだ日にちも場所も決まってませんよ」

遥斗が笑う。

「そういうのは後でいいの」

「また無計画ですね」

「いつものことです」

ミオが言った。

柚葉は二人を見る。

「なんか扱い雑になってない?」

遥斗とミオが顔を見合わせた。

そして二人とも笑った。

窓の向こうには、昨日の雨に洗われた夏の空が広がっている。

三人で過ごす夏は、まだ終わっていなかった。

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黎明の星

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