貴女へ
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
それは、彼方から届いた、ちょっと不思議な物語。ショートショート
本文
貴女へ
台所に立つと、今でも、君の声が聞こえる気がする。
君は昔、よく笑いながら言っていたね。
「これ、私がやってるんじゃないのよ。夜中に、妖精さんたちが来て、こっそりやってくれてるの」
洗い物が終わって、朝、お皿がきれいに並んでいるのを見るたびに、君は嬉しそうに、そんなことを言っていた。
「大きなお皿はみんなで運んで、小皿は一人ずつ担当なんだって。コップ係、スプーン磨き係、フライパン係。それぞれ、ちゃんと役目があるのよ」
僕は、いつも笑って聞き流していた。子どもみたいなことを言う人だな、と思いながら。
でも、今になって、その話ばかり思い出す。
「この人、最近ずっと頑張ってるからね」
「朝くらいは気持ちよく迎えてほしいもんね」
君は、そんな妖精たちの会話まで、勝手に想像して聞かせてくれた。
「今日、いつもよりお皿が多いね」
「うん、誰かのために作ったんだと思う」
「じゃあ、いつもより念入りに磨かなきゃ」
あの頃、君が作ってくれた夕飯を、僕は当たり前のように食べていた。洗い物を、当たり前のように、君に任せていた。
「本当はね、その妖精に私がなりたいの」
いつか、君はそう言っていたね。
「誰にも気づかれなくてもいいから、あなたの『もう頑張れない』を、ほんの少しだけ軽くできる存在に」
あの言葉の意味を、僕はちゃんとわかっていただろうか。
洗い物が、こんなに大変なことだったと、僕は最近になって、ようやく知った。皿を洗って、拭いて、元の場所へ戻す。ただそれだけのことに、こんなに手間がかかるのかと、今さらのように驚いている。
妖精なんて、いるはずがないと、ずっと思っていた。
でも、今なら少しわかる気がする。
あの頃の台所には、たしかに、小さな優しさが、いくつも隠れていたんだと思う。それは妖精じゃなくて、いつも、君だった。
君がいなくなってから、もう何年になるだろうか。
僕は、あれから随分、年を取ったよ。
白髪も増えたし、腰も、昔ほど言うことを聞いてくれない。皿を割ることも、増えた。
それでも、夜中に一人で台所に立つと、今でも、君の声が聞こえる気がするんだ。
「この人、今日も頑張ったね」
そう言ってくれているような気がして、つい、耳を澄ませてしまう。
君が恋しいよ。
こんな年寄りになっても、まだ、こんなに恋しい。
もし、本当に妖精がいるのなら、伝えてほしい。
あの頃、君にしてもらったことの意味を、僕はようやく、ちゃんとわかったよと。
そして、いつか、僕がそちらへ行く日には、また、あの台所の続きを、一緒にやらせてほしいと。
あなたへ | 小説投稿サイト「あいぺん」
作品統計
📚 本を探すなら「よみどき」(あいぺんが運営する本の発見サイト)
130万冊を超えるコミック・小説・書籍の順位と値段を毎日みて、いま読むものを決められます。