第十一話 酒呑童子
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あらすじ
天界と人界、黄泉の狭間にある神々の国。 《桃》の化身・桃華は、鬼神族の侵攻によって滅びかけた天界から、破邪の聖剣《桃光》を託され地上へ逃れた。 しかし追っ手に深手を負わされ、川へ落ちた桃華は記憶を失ってしまう。 彼女を救ったのは、山里で暮らす老夫婦だった。 桃の香りをまとい、名も思い出せない少女に、二人は「桃太郎」という新たな名を与える。 穏やかな日々の中で、桃太郎は初めて家族の温かさを知る。 だが、鬼神族の襲来によって失われた記憶と使命を取り戻した彼女は、大切な人々を守るため、再び剣を取る。 旅立つ桃華へ、謎の老人は告げた。 「お前には三つの力が必要となる」 犬――すなわち忠義。 猿――すなわち知恵。 鳥――すなわち天を翔ける導き。 桃華は聖剣と、老夫婦から託されたきびだんごを携え、三人の仲間を求めて旅に出る。 その先で待つのは、雷神の血を引く武人、異国より渡った猿妖、そして最古の霊鳥。 これは、鬼を完全な悪とは断じない、新たな桃太郎の物語。 正義と悪が入れ替わる世界で、桃の娘は何を守り、何を討つのか――。
本文
鬼の宴は終わった。
静まり返った大広間に、酒呑童子の低い笑い声だけが響いていた。
「人間どもよ……ずいぶんと面白い酒を飲ませてくれたな」
巨大な鬼が、ゆっくりと立ち上がる。
神便鬼毒酒は確かに効いていた。
足元は定まらず、呼吸も荒い。盃を握る指先さえ、わずかに震えている。
それでもなお、酒呑童子の身体から噴き出す瘴気は衰えていなかった。
むしろ地の底から新たな力を吸い上げるように、黒い気配は膨れ続けている。
「近頃は、身体の奥から力が湧いてくるのだ」
酒呑童子は口元を歪めた。
「まるで黄泉そのものが、我ら鬼に力を与えているかのようにな!」
鉄棒が床へ叩きつけられる。
轟音とともに岩床が砕け、宴の膳が吹き飛んだ。
「構えよ!」
頼光の声が広間を貫いた。
山伏姿の男たちが、一斉に衣を脱ぎ捨てる。
その下から現れたのは、戦いのために整えられた鎧兜。
源頼光。
渡辺綱。
卜部季武。
碓井貞光。
坂田金時。
そして桃華。
頼光が名刀を抜き放つ。
その刃を見た酒呑童子の目が細くなった。
「ほう……。初めから我が首を狙って来たか」
「都の民を脅かし、罪なき娘をさらった報い、今ここで受けてもらう」
「よかろう!」
酒呑童子が吠えた。
「ならばその武勇、我に見せてみよ!」
その咆哮に呼応するように、床へ伏していた四体の鬼が立ち上がる。
星熊童子。
熊童子。
虎熊童子。
金熊童子。
神便鬼毒酒に蝕まれながらも、その眼にはなお凶暴な光が宿っていた。
「頭領には近づけさせぬ!」
星熊童子が大刀を構える。
熊童子は大槌を担ぎ、虎熊童子は二本の曲刀を抜いた。
金熊童子の手には、黒鉄の棍が握られている。
「頼光様!」
「我らが道を開く!」
四天王が前へ出る。
鬼と武者が激突した。
◇
渡辺綱の刃と星熊童子の大刀がぶつかり合い、火花を散らす。
季武は虎熊童子の素早い斬撃を紙一重でかわし、貞光は金熊童子の棍を槍の柄で受け止めた。
金時の前には、熊童子が立ちはだかる。
「人間風情が、我と力比べをするつもりか!」
熊童子が大槌を振り下ろす。
金時は大斧の柄で正面から受け止めた。
激しい衝撃が岩屋を震わせる。
金時の足元が沈み、床に蜘蛛の巣状の亀裂が走った。
「ほう」
金時は歯を見せて笑う。
「なかなか重い一撃じゃ」
「強がりを!」
熊童子がさらに力を込める。
だが金時は一歩も退かない。
「父は雷神、母は山怪」
大斧を押し返しながら、低く告げる。
「わしも人間だけではないのでな!」
金時は大槌を弾き上げ、そのまま熊童子の腹へ蹴りを叩き込んだ。
巨体が数歩よろめく。
「この……!」
熊童子が再び襲いかかった。
◇
戦況は互角だった。
神便鬼毒酒は四鬼の動きを鈍らせている。
だが黄泉から溢れた瘴気が、それを補うように鬼たちへ力を与えていた。
星熊童子の一撃が綱を後退させる。
虎熊童子は季武の守りを抜け、さらわれた娘たちが囚われている牢へ向かおうとした。
「行かせぬ!」
貞光が進路を塞ぐ。
その横合いから、金熊童子の鉄棍が振るわれた。
貞光は槍で受け止めたが、勢いを殺しきれず岩壁へ叩きつけられる。
「貞光!」
季武が叫ぶ。
その隙を逃さず、虎熊童子の曲刀が迫った。
「皆、伏せよ!」
金時の声が轟く。
四天王たちは迷うことなく身を低くした。
金時は熊童子の大槌を斧で受け流すと、後方へ大きく跳んだ。
そして大斧の石突を、岩床へ突き立てる。
「何をする気だ」
熊童子が訝しげに睨む。
金時は天井を見上げた。
「親父殿」
その口元に、豪快な笑みが浮かぶ。
「うちの親父は、昔から息子が困っとると放っておけん性分でな」
「戯れ言を!」
熊童子が踏み込んだ、そのときだった。
遠くで雷鳴が鳴った。
ゴロゴロゴロ……。
大江山を覆う黒雲が渦を巻く。
岩屋の入口から、青白い光が差し込んだ。
「雷……?」
鬼たちが動きを止める。
金時は大斧を天へ掲げた。
「父上――力を借りるぞ!」
次の瞬間。
幾本もの轟雷が、大江山の岩棚を撃った。
閃光。
爆音。
山肌が砕け、大小の岩塊が鬼の館へ降り注ぐ。
さらに雷は岩壁を伝い、青白い蛇のように大広間へ駆け込んだ。
「ぐおおおっ!」
星熊童子の大刀が弾け飛ぶ。
虎熊童子と金熊童子も雷光に飲まれ、床へ膝をついた。
熊童子の巨体を雷が貫き、全身から白煙が上がる。
金時の髪が逆立った。
その身体を幾筋もの稲妻が走り、手にした大斧の刃にも青白い光がまとわりついている。
酒呑童子の表情から、初めて笑みが消えた。
「貴様……雷神の血を引く者か」
「半分は人じゃ」
金時は斧を構える。
「残り半分で、鬼を討つ!」
地を蹴る。
雷をまとった大斧が、熊童子へ振り下ろされた。
熊童子は大槌で受け止めようとしたが、衝突した瞬間、雷光が武器ごとその身体を包み込んだ。
「ぐああああっ!」
轟音とともに、熊童子は岩壁まで吹き飛ばされる。
そのまま崩れ落ち、動かなくなった。
「今じゃ、桃華殿!」
「はい!」
桃華は布を払い、聖剣を抜き放った。
◇
淡い桃色の輝きが、大広間を満たしていく。
雷の荒々しい光とは対照的な、柔らかく清らかな光。
だが鬼たちにとって、その光は炎よりも恐ろしいものだった。
「ぐっ……!」
星熊童子が呻く。
鬼たちの身体から、黒い瘴気が剥がれ落ちていく。
桃の香りを含んだ光が広がるたびに、黄泉から流れ込んでいた邪気は浄化され、その力を失っていった。
「力が……抜ける……」
「忌々しい……桃の光め!」
虎熊童子が憎々しげに叫ぶ。
桃華は《桃光》を両手で構えた。
「この光は、あなたたちを苦しめるためのものではありません」
「何……?」
「あなたたちを蝕み、狂わせる邪を祓うためのものです」
「黙れ!」
星熊童子が武器を拾い、桃華へ斬りかかる。
だがその動きは、先ほどまでとは比べものにならないほど鈍い。
綱が間へ入り、一刀のもとに星熊童子を斬り伏せた。
「鬼の相手をしながら説法とは、余裕だな」
「そんなつもりでは……」
「褒めている」
綱は短く答え、次の敵へ向かった。
桃光によって瘴気を失った四鬼を、頼光四天王が次々と追い詰めていく。
季武が虎熊童子の曲刀を弾き、返す刃で胸を斬る。
貞光の槍が金熊童子の棍を跳ね上げ、その喉元を貫いた。
やがて、酒呑童子に仕えた四鬼は、すべて床へ倒れた。
◇
「役立たずどもが!」
酒呑童子が吠えた。
巨大な鉄棒を振り回し、頼光へ迫る。
「貴様だけは、我が手で叩き潰す!」
頼光は童子切安綱を構えた。
「来い」
鉄棒と刀が激突する。
凄まじい衝撃に、頼光の足元が削られた。
酒呑童子は酔っている。
桃光によって瘴気も削がれている。
それでもなお、その膂力は頼光を遥かに上回っていた。
「どうした、人間!」
酒呑童子が鉄棒を横薙ぎに振るう。
頼光は身を沈めてかわし、懐へ踏み込む。
一閃。
酒呑童子の脇腹が裂けた。
「小癪な!」
鬼の拳が頼光へ迫る。
綱が横から斬りつけ、その腕を逸らした。
「頼光様!」
「構うな!」
頼光は酒呑童子だけを見据えている。
主君の戦いを邪魔させぬよう、金時たちは周囲に残る鬼を食い止めた。
桃華も《桃光》を掲げ、広間を包む破邪の光を絶やさない。
酒呑童子の身体から、黒い瘴気が次々と消えていく。
それでも鬼は笑った。
「面白い!」
鉄棒が頼光の兜をかすめる。
「人間にも、これほどの武人がいたか!」
「鬼にも、お前ほどの強者がいた」
頼光は静かに答える。
「だが、強さを弱き者へ向けた時点で、お前は武人ではない」
「何だと!」
「ただの外道だ!」
頼光は酒呑童子の一撃を刀の峰で受け流した。
身体を翻し、鬼の背後へ回り込む。
酒呑童子が振り返ろうとする。
その一瞬。
頼光の刃が、月光のような弧を描いた。
名刀・童子切安綱。
酒呑童子の首が、宙を舞った。
◇
巨大な身体が地響きを立てて倒れる。
戦いは終わった。
誰もが、そう思った。
だが宙を舞う首が、突如として目を見開いた。
「まだだ!」
酒呑童子の生首が牙を剥き、頼光へ飛びかかる。
頼光は身を引いたが、首は空中で軌道を変えた。
「頼光様!」
金時が駆け寄ろうとする。
しかし、首の方が速い。
酒呑童子の牙が、頼光の兜へ迫った。
その間へ桃華が飛び込む。
「桃華殿!」
《桃光》の切っ先が、酒呑童子の額へ触れた。
淡い光が爆発するように広がった。
「ぐああああああっ!」
生首を包んでいた黒い瘴気が、悲鳴を上げるように消えていく。
怒り。
憎しみ。
人への恨み。
黄泉から与えられた力。
それらすべてが、桃の光によって一つずつ剥がれ落ちていった。
やがて酒呑童子の顔から、凶暴な歪みが消える。
「……桃、か」
かすれた声で呟く。
「我ら鬼が……最も忌むもの……」
桃華は剣を握ったまま、静かに答える。
「桃は、邪を祓うものです」
「邪……」
酒呑童子は自嘲するように笑った。
「ならば、我そのものよな」
「違います」
「何……?」
「あなたの中にあったものすべてが、邪だったとは思いません」
酒呑童子の目が、わずかに見開かれる。
「けれど、あなたは罪のない人々を傷つけた」
「だから、止めなければなりませんでした」
「甘い娘よ……」
その声には、もはや怒りはなかった。
「その甘さが、いつかお前を苦しめようぞ」
桃華は答えなかった。
酒呑童子の首は、淡い光の粒へと変わっていく。
「だが……悪くない光だ」
最後にそう呟き、鬼の王は消えた。
◇
大江山に静寂が戻った。
残った鬼たちは頭領の死を知り、山の奥へ逃げ去っていく。
牢の扉は開かれ、囚われていた娘たちが次々と救い出された。
頼光たちは負傷者の手当てを始める。
金時も大斧を下ろし、深く息を吐いた。
「終わったのう」
「はい」
桃華は《桃光》を鞘へ納めた。
戦いは終わった。
多くの人が救われた。
それでも、胸の奥に残るものがあった。
桃華は、酒呑童子が消えた場所を見つめる。
「違う……」
金時が振り返る。
「どうした?」
「この鬼ではありませんでした」
桃華は静かに首を振った。
「私の探している朱天では、ありません」
同じ「しゅてん」という名。
だが酒呑童子は、天界を裏切った暁の化身ではなかった。
金時はしばらく黙っていた。
やがて、大きな手で桃華の肩を軽く叩く。
「そうか」
それ以上、慰めの言葉は口にしなかった。
桃華もまた、何も言わなかった。
大江山の峰から、朝日が昇り始める。
夜の闇を払い、淡い光が山々を照らしていく。
その光を見つめながら、桃華は再び朱天の名を胸に刻んだ。
旅は、まだ終わっていない。
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