第十七話 旅立ち
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あらすじ
天界と人界、黄泉の狭間にある神々の国。 《桃》の化身・桃華は、鬼神族の侵攻によって滅びかけた天界から、破邪の聖剣《桃光》を託され地上へ逃れた。 しかし追っ手に深手を負わされ、川へ落ちた桃華は記憶を失ってしまう。 彼女を救ったのは、山里で暮らす老夫婦だった。 桃の香りをまとい、名も思い出せない少女に、二人は「桃太郎」という新たな名を与える。 穏やかな日々の中で、桃太郎は初めて家族の温かさを知る。 だが、鬼神族の襲来によって失われた記憶と使命を取り戻した彼女は、大切な人々を守るため、再び剣を取る。 旅立つ桃華へ、謎の老人は告げた。 「お前には三つの力が必要となる」 犬――すなわち忠義。 猿――すなわち知恵。 鳥――すなわち天を翔ける導き。 桃華は聖剣と、老夫婦から託されたきびだんごを携え、三人の仲間を求めて旅に出る。 その先で待つのは、雷神の血を引く武人、異国より渡った猿妖、そして最古の霊鳥。 これは、鬼を完全な悪とは断じない、新たな桃太郎の物語。 正義と悪が入れ替わる世界で、桃の娘は何を守り、何を討つのか――。
本文
東の空が白み始める頃。
廃寺を包んでいた夜の闇は静かに薄れ、境内には鳥たちのさえずりが響いていた。
兄弟鬼の亡骸は、朝日に照らされると黒い霧となって風に溶けていく。
桃華はその姿を静かに見送った。
「鬼も……還るのですね。」
蜜秋は小さく頷く。
「黄泉へね。」
しばらく沈黙が流れる。
やがて金時が大きく伸びをした。
「さて。」
腹をさすりながら笑う。
「旅籠へ戻って飯にしよう。膳がそのままじゃ。」
桃華は思わず目を丸くした。
「一晩経ってますよ? お腹を壊します。」
金時は豪快に笑う。
「人の身なら腹も壊そうものじゃが、我らは人にあらず。一晩程度なら何ともあるまい。」
そう言って親指を立てる。
「何より、もったいない。」
蜜秋が思わず吹き出した。
「そんな理由で戻るの?」
「飯を粗末にする方が罰当たりじゃ。」
桃華は苦笑しながらため息をつく。
「……では、急ぎましょう。」
三人は山を下り、宿場町へ戻っていった。
旅籠へ戻ると、主人は一行の姿を見るなり駆け寄ってきた。
「ご無事でしたか!」
「ああ。」
金時が笑って頷く。
「鬼は退治してきた。」
主人は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。本当に……ありがとうございます。」
その日の宿場町は、久しぶりに安堵の笑顔で満ちていた。
昨夜の料理は温め直され、三人はようやく食卓を囲む。
金時は豪快に飯をかき込みながら笑った。
「やはり飯はうまいのう。」
蜜秋は呆れたように肩をすくめる。
「一晩経っても、本当に平気なんだ。」
「申したであろう。」
金時は胸を張る。
「我らは人とは少々できが違う。」
桃華は思わず笑みをこぼした。
戦いの緊張が、ようやく解けていく。
一行はその日一日を宿場町で休養にあてた。
桃華は刀の手入れをし、
金時は宿の薪割りを手伝い、
蜜秋は町の子どもたちに囲まれ、小猿たちと木登りを競っていた。
鬼の噂は瞬く間に町中へ広がり、人々は三人へ何度も礼を述べた。
その夜は誰も戦いの話をしなかった。
久しぶりに穏やかな夜だった。
◇
夜。
旅籠の屋根の上。
蜜秋は月を眺めていた。
瓦の音を立てぬよう、桃華が隣へ腰を下ろす。
「眠れないのですか。」
蜜秋は夜空から目を離さない。
「あんた、世界の果てを見たことがあるかい?」
桃華は首を振る。
「ありません。」
蜜秋は静かに笑った。
「そうだろうね...僕も見たことはない。」
少しの沈黙。
「でもね...。
斉天大聖様は、仏となられて地上を離れる前に、一度だけ世界の果てまで飛んだそうだ。」
桃華は耳を傾ける。
「昔、斉天大聖様は筋斗雲でどこまでも飛び、お釈迦様の手のひらを飛び出したと思っていた。
でも、本当は指の根元から一歩も出られていなかった。」
蜜秋は夜空を見上げる。
「あれほどの御方でも届かなかった世界の果てへ、最後には本当に辿り着いたんだ。
桃華は小さく息を呑む。
「世界の果てとは……空の果てさ。」
蜜秋は空へ指を向ける。
「そこから見た世界は、青く丸かったそうだ。
空は思っているよりずっと薄く、紙みたいに細い青い帯が、黒い宇宙との境を包んでいた。
世界は丸く、静かに浮かんでいた。」
しばらく二人は黙って月を見上げる。
「天界とは違うのですか。」
「全然違う。」
蜜秋は笑う。
「天界は世界の上にあるんじゃない。」
「別の理にある世界だ。」
そして立ち上がる。
「いつか世界の果てから、この世界を見てみるといい。
きっと、自分がどれだけ小さくて、この世界がどれだけ美しいか分かる。」
◇
翌朝。
朝露に濡れた街道へ、三人は並んで立つ。
宿の主人と町の人々が見送りに集まっていた。
「どうか道中、お気をつけて。」
桃華は深く頭を下げる。
「ありがとうございました。」
金時も片手を上げる。
「世話になった。」
蜜秋も軽く笑って手を振った。
「また近くまで来たら寄るよ。」
三人は街道を歩き始める。
山道へ差しかかった頃だった。
道端の大岩に、一人の老人が腰を下ろしていた。
白い髭を蓄え、一本の杖を手にしている。
旅人とも仙人ともつかぬ、不思議な老人だった。
桃華は、その姿を見た瞬間、小さく目を見開く。
「……また、お会いしましたね。」
老人は穏やかに笑みを浮かべる。
「うむ。どうやら、無事に知を供につけられたようじゃのう。」
金時も老人へ目を向ける。
「相変わらず、いつ現れたのか分からぬ御仁じゃ。」
老人は笑うだけで答えない。
桃華は一歩前へ進み、静かに頭を下げた。
「以前は、お礼も申し上げられませんでした。
あなたは一体、何者なのですか。」
老人は杖をつきながら立ち上がる。
「ただの旅人じゃ。」
そう言って空を見上げる。
「旅とは面白いもの。
歩む者が道を選んでいるようでいて、実は道に選ばれておることもある。」
桃華はその言葉を静かに聞いていた。
老人は三人へ視線を向ける。
「この先、汝らを導く者が待っておる。
その出会いが、旅の行く末を大きく変えるじゃろう。」
桃華が何かを尋ねようと口を開く。
「それは──」
その時だった。
一陣の風が吹き抜ける。
木々の葉が大きく揺れ、桃華は思わず目を細めた。
再び前を見る。
老人の姿は、もうどこにもなかった。
「……また消えおった。」
金時が苦笑する。
「風より気配が薄いとはのう。」
蜜秋だけが老人の消えた場所を見つめていた。
「あの爺さん、一度見たことがある。」
桃華が振り返る。
「どこでですか。」
「西王母の庭。」
蜜秋は静かに答える。
「仙桃を実らせる巨木の下に、あの爺さんは立っていた......。
誰なのかは知らない。
でも、あの庭には、美猴王様も西王母様もおられた。
なのに、誰一人としてあの爺さんを追い払おうとはしなかった。
それどころか、まるで昔からそこにいるのが当たり前みたいだった。」
しばらく誰も口を開かなかった。
ただ、風だけが静かに吹き抜けていく。
桃華は老人が立っていた場所を見つめ、小さく息を吐く。
「……参りましょう。」
三人は再び歩き始める。
三つの影は朝日に照らされ、ゆっくりと街道の彼方へ伸びていく。
彼らを待つ新たな出会いを知らぬまま――。
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