第4話 偽りの安息 後編
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あらすじ
<p>第4話 偽りの安息 後編</p><p>廊下は不気味なほど静まり返っていた。</p><p>あまりの静寂に、鼓膜を打つ自分の脈拍がドクドクと不快に響く。</p>
本文
第4話 偽りの安息 後編
廊下は不気味なほど静まり返っていた。
あまりの静寂に、鼓膜を打つ自分の脈拍がドクドクと不快に響く。
窓から差し込む赤い月明かりは、床に散らばったガラス片を照らし、固まりかけた血のように赤黒く沈んでいた。
僕の手は鞄の底で、唐辛子の小瓶を押しつぶさんばかりに握りしめていた。
「大樹、これを持っておけ。もし僕が捕まりそうになったら……迷わず奴の顔にぶちまけろ」
「ユーリ……? お前、何を言って——」
「いいから持て!」
強引に小瓶を押し付ける。大樹は数歩前を行きながら、強迫観念に駆られたように何度も背後を振り返る。
僕たちは図書室を目指していた。
天井まで届く本棚が迷路のように入り組むあの場所なら、あの大男の巨躯と長鎌の振りを物理的に封殺できる。
それに、あの保健室の日誌とノートの切れ端……『翌朝にはいなくなっていた』という惨劇の真相や、地下へ続く隠し扉の鍵を解く手がかりも、あそこに眠っているはずだ。
敵の物理的な強みを、自らの土俵で弱みに変える。脱出ゲームの鉄則だ。
「あそこなら奴の鎌を殺せる。それに、あのノートの謎を解くヒントが——」
僕がその一筋の光を口にした、その刹那だった。
ズガァンッ――――!!
思考を直接叩き潰す重低音が校舎を貫いた。
足元の床板が跳ね上がり、肺に吸い込んだ空気は一瞬でコンクリートの粉塵に変わる。喉の奥に粉塵がこびりつき、舐めたような錆びた鉄の味が広がる。
「な、なんだ……っ!?」
立ち込める白い煙の向こう、隣の教室『1-A』の壁が内側から爆破されたように砕け散っていた。
瓦礫の山を踏み荒らし、粉塵の中から本物の絶望が姿を現す。
背丈は二メートルを超える。漆黒の軍服。
肩には人間の胴体を容易く両断するであろう巨大な大鎌。
暗がりでぎらつく二つの赤い光は、殺戮という娯楽を心底愉しもうとする怪物の瞳だ。
「……テメェら。そんな御大層な知恵とやらで、この俺から逃げられると思ってんのかぁ……?」
地の底から響く低い声が、内臓を直接掴んで揺さぶる。一瞬で指先の血液が凍りついた。
「クハッ! いい顔だなぁ。恐怖で脳みそが煮えて声も出ねぇか? ……殺す前にそれを見るのが、最高にゾクゾクすんだよォ!」
大樹が僕の腕を掴んだ。悲鳴のような激しい震えが伝わってくる。
「ユーリ……走れ、走れッ!」
「十秒だ。十秒だけ数えてやる。せいぜい足掻いて、絶望に這いずり回ってみせろよォ!」
男は大鎌を廊下の壁へ擦りつけた。ガリガリとコンクリートを削る不快な音が夜気を引き裂く。
「……いーち……」
「にぃー……」
殺人鬼の足音は聞こえない。だが背後に迫る熱量だけで背中が焼けつく。
僕と大樹は魂を振り絞るようにして同時に駆け出した。踏み出す足音が凶暴に反響する。
「さぁーん……しぃー……」
引き伸ばされるカウント。それは慈悲ではなく、獲物の心が壊れる瞬間を鑑賞するための拷問だ。
振り返るな。振り返れば心が死ぬ。
「ごぉぉぉ……ろぉ……くぅ……!」
反響する声はどこから聞こえるのかすら判別できず、校舎そのものが僕たちを嘲笑っている錯覚に襲われる。
(止まるな。考えろ。止まれば殺される!)
「なななぁぁ……っ!」
喉を鳴らす下卑た息づかいが首筋を撫でた、その時だった。
前方を行く大樹が、悲鳴混じりに背後を振り返る。
「……ユーリ? お前……なんで、そんな顔で笑ってんだよ……!?」
大樹の震える声に、僕はハッと息を飲んだ。
自分の口角が、耳まで届くほど無意識に吊り上がっている。
(あぁ……これだ。画面の中じゃ味わえない、本物の死とのチェイス)
身体は死の恐怖に悲鳴を上げているのに、ゲーム中毒の脳は狂ったようにアドレナリンを放出し続けている。
恐怖と高揚。
この異常な興奮は、いつか大樹さえも攻略の道具として切り捨ててしまうのではないか――。
襲いかかる慄きと、暴走する歓喜。
前を走る大樹の背中を見つめながら、僕は自分の内側に広がる真っ黒な穴を覗き込んでいた。
そして僕は、鏡を見るように、その深く暗い闇に向かってそっと微笑み返した。
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