第二十七話 暁の化身
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あらすじ
天界と人界、黄泉の狭間にある神々の国。 《桃》の化身・桃華は、鬼神族の侵攻によって滅びかけた天界から、破邪の聖剣《桃光》を託され地上へ逃れた。 しかし追っ手に深手を負わされ、川へ落ちた桃華は記憶を失ってしまう。 彼女を救ったのは、山里で暮らす老夫婦だった。 桃の香りをまとい、名も思い出せない少女に、二人は「桃太郎」という新たな名を与える。 穏やかな日々の中で、桃太郎は初めて家族の温かさを知る。 だが、鬼神族の襲来によって失われた記憶と使命を取り戻した彼女は、大切な人々を守るため、再び剣を取る。 旅立つ桃華へ、謎の老人は告げた。 「お前には三つの力が必要となる」 犬――すなわち忠義。 猿――すなわち知恵。 鳥――すなわち天を翔ける導き。 桃華は聖剣と、老夫婦から託されたきびだんごを携え、三人の仲間を求めて旅に出る。 その先で待つのは、雷神の血を引く武人、異国より渡った猿妖、そして最古の霊鳥。 これは、鬼を完全な悪とは断じない、新たな桃太郎の物語。 正義と悪が入れ替わる世界で、桃の娘は何を守り、何を討つのか――。
本文
轟ッ――!
洞窟の奥で、二つの炎が激突した。
右臣の放った業火が壁を舐めるように広がり、凰の姿を呑み込む。
岩肌が赤く染まり、熱気に空気そのものが歪んだ。
「凰!」
金時の声が響く。
だが――。
「くくっ……。」
炎の中から笑い声が聞こえた。
右臣が眉をひそめる。
「何がおかしい。」
「いやなに。」
業火の中から、凰がゆっくりと歩いてくる。
その巫女装束には焦げ跡一つない。
凰は扇を広げたまま、自らを包む炎を興味深そうに眺めた。
「ようやく分かっただけじゃ。」
「何を。」
凰は右臣へ扇を向ける。
「うぬは先ほど、自らを何と申した?」
「業火の化身。」
「そうじゃ。」
凰は口元を緩める。
「ただの炎ではない。業火なのじゃろう?」
右臣の目がわずかに見開かれた。
凰は炎の中を悠然と歩く。
「業火とは、罪ある者が地獄に落ち、その身を焼かれる炎。」
一歩。
また一歩。
業火が凰へ襲い掛かる。
しかし、凰を焼くことはない。
「なれば――」
ぱちん。
凰は扇を閉じた。
「うぬの炎が業火なれば、妾を焼くことなど出来ようもない。」
「なに……。」
凰の背後に炎が集まっていく。
それはやがて巨大な翼となった。
「妾は鳳凰。神格を得た霊鳥ぞ。」
凰の瞳が赤く輝く。
「地獄へ落ちる咎など、持ち合わせてはおらぬわ!」
炎の翼が大きく広がった。
轟ッ!
凰の炎が右臣の業火を押し返す。
「ぐっ!」
右臣は炎の刀を地面へ突き立て、踏みとどまった。
「なるほど……。」
自らの炎を見つめる。
「我が業火が弱いのではない。」
顔を上げた。
「貴様が、我が炎の理から外れているということか。」
「ようやく気付いたか。」
凰は再び扇を広げる。
「うぬは強い。」
不敵に笑った。
「じゃが――相手が悪かったのう。」
右臣もまた、口元に笑みを浮かべた。
「面白い。」
再び炎の刀を構える。
「ならば業火に頼らず、我が刃で斬るまで。」
「ほう。」
凰の周囲に無数の火の粉が舞う。
「その意気や良し。」
二人は同時に地面を蹴った。
◇
一方――。
金時の周囲は、完全な闇に覆われていた。
「ちっ。」
大斧を構え、辺りを見回す。
何も見えない。
自らの手すら見えぬ暗闇。
「面倒な奴じゃのう。」
声が響いた。
「闇を恐れるか。」
「誰がじゃ。」
金時は大斧を振るう。
しかし、手応えはない。
「貴様は何を信じて戦う。」
左臣の声が、四方八方から聞こえてくる。
「何?」
「桃の化身に仕え、鬼を討つ。」
闇の中で、何かが動いた。
金時が振り返る。
遅い。
黒い刃が肩を掠めた。
「ぐっ!」
金時は大斧を横薙ぎに振るう。
だが、左臣の姿はすでにない。
「貴様は、自らが正しいと思っているのか。」
「…………。」
「我らが悪で、貴様らが正義。
ゆえに我らを討つというのか。」
金時は答えなかった。
闇の中で、大斧を肩へ担ぎ直す。
「どうした。」
左臣の声が響く。
「答えられぬか。」
「いや。」
金時は頭を掻いた。
「難しいことを聞く奴じゃと思ってな。」
「……何?」
金時は笑った。
「正義だの悪だの、難しいことはわしには分からん。」
闇の中。
左臣の気配が止まった。
「であるから――」
金時は大斧の柄を握り締める。
「信じる主に仕え、主のために力を振るう。」
「…………。」
「わしは桃華殿を信じた。」
金時は暗闇を見つめる。
「おぬしは朱天を信じた。」
そして、ニッと笑った。
「そうではないのか?」
長い沈黙。
やがて――。
「……ふっ。」
闇の中から、小さな笑い声が聞こえた。
「何がおかしい。」
「いや。」
左臣の姿が、ゆっくりと闇から現れる。
「道理だの正義だのを説かれるより、よほど分かりやすい。」
二本の黒刃を構えた。
「いかにも。」
左臣は静かに頷く。
「我は朱天様を信じた。」
「ならば話は早い。」
金時が大斧を構える。
「互いに信じた主のため、力を尽くすだけじゃ。」
「そうだな。」
左臣の身体が再び闇へ沈む。
「気に入ったぞ、坂田金時。」
「わしもじゃ、左臣。」
パチッ。
金時の金色の髪から火花が散った。
「参る。」
「来い!」
轟ッ!
洞窟を雷光が埋め尽くした。
◇
白馬の蹄が岩を打つ。
カッ、カッ、カッ――。
桃華を背に乗せた小白龍が、洞窟の奥へと駆けていた。
その横を蜜秋が走る。
背後から、雷鳴と轟音が微かに聞こえてくる。
桃華は一度だけ振り返った。
「金時……凰様……。」
「大丈夫だよ。」
蜜秋が前を向いたまま言った。
「あの二人なら。」
「……はい。」
桃華も前を向く。
やがて、巨大な扉が見えてきた。
桃華の腰にある聖剣が微かに震える。
「この先です。」
小白龍が足を止めた。
桃華はその背から降りる。
「ここまで、ありがとうございました。」
小白龍は静かに頭を下げる。
『気をつけろ。』
「はい。」
桃華は扉へ手を掛けた。
蜜秋が如意棒を握る。
二人で力を込める。
ゴゴゴゴゴ……。
重い扉が開いていく。
その向こう、広大な空間。
鬼神族の旗が並ぶ最深部。
そして――。
玉座に、一人の男が座っていた。
漆黒の甲冑、腰には狂剣。
朱天。
「来たか。」
静かな声が響く。
桃華は聖剣を抜いた。
「朱天。」
朱天は桃華ではなく、その隣に立つ蜜秋を見ていた。
「なるほど。」
「なに?」
蜜秋が眉を上げる。
朱天は薄く笑う。
「まさか、お前が来るとはな。」
「ボクを知ってるの?」
「知らぬはずがあるまい。」
朱天は立ち上がった。
「長い年月をかけ、森羅万象の精気を蓄え続けた花果山の仙石より生まれた石の化身――」
蜜秋の表情から笑みが消える。
「石猿、孫悟空よ。」
桃華が蜜秋を見る。
「石の……化身。」
「天界に反旗を翻し、斉天大聖を名乗り、神々と戦い――」
朱天はゆっくりと二人へ歩み寄る。
「やがて天竺への旅を経て、仏の位にまで上り詰めた。」
朱天の笑みが深くなる。
「闘戦勝仏。」
蜜秋は黙って朱天を見つめていた。
「お前こそ証明ではないか。」
「何の?」
「我ら化身とて、神仏と同じ高みへ至ることができる。」
朱天は自らの胸へ手を当てる。
「私の考えが間違っていないことの証明だ。」
蜜秋はしばらく黙っていた。
そして――。
「うん。」
あっさり頷いた。
朱天の目が細くなる。
「分かるよ。」
「そうであろう。」
「ボクも昔、同じようなことしたから。」
朱天が笑う。
「ならば――」
「だからさ。」
蜜秋は如意棒を肩へ担いだ。
「やめときなって。」
朱天の笑みが消えた。
「……何?」
「天界が気に入らない。」
指を一本立てる。
「自分を認めない神様たちが気に入らない。」
二本目。
「だったら自分が神様より偉くなってやる。」
三本目。
「邪魔する奴はぶっ飛ばす。」
蜜秋は肩をすくめた。
「やった、やった。僕も。」
「…………。」
「で、山の下に五百年。」
「…………。」
「あれは暇だったなぁ。」
桃華が思わず蜜秋を見る。
「五百年……。」
「うん。」
蜜秋は苦笑した。
「だから経験者として言ってるの。」
朱天を見る。
「やめときな。」
朱天は蜜秋を睨む。
「では聞こう。」
「何?」
「神仏と同じ高みへ至った者から見える景色は、どのようなものだ。」
蜜秋は少し考えた。
そして答える。
「……窮屈だったよ。」
「何?」
「闘戦勝仏。」
蜜秋は自分を指差す。
「立派な名前だよね。」
そして笑った。
「でも僕には、ちょっと窮屈だった。」
「だから、その位を捨てたというのか。」
「捨ててないよ。」
蜜秋は首を振る。
「ただ、そんな肩書きがなくたって、僕は僕だって分かっただけ。」
如意棒を肩へ乗せる。
「斉天大聖でも。」
「闘戦勝仏でも。」
少し得意げに笑う。
「謎の美少女・蜜秋でも。」
朱天が黙る。
「僕が石から生まれたことは変わらない。」
蜜秋は朱天を見つめた。
「それでいいじゃん。」
「…………。」
桃華は二人のやり取りを黙って聞いていた。
そして――。
「朱天。」
聖剣を下ろした。
「一つ、聞かせてください。」
朱天が桃華を見る。
「何かな。」
「なぜ……天界を裏切ったのです。」
「裏切った?」
朱天は、その言葉を確かめるように繰り返した。
やがて小さく笑う。
「違うな。」
「では――」
「私は裏切ったのではない。」
朱天の眼差しが鋭くなる。
「――悟ったのだ。」
「悟った……?」
「そうだ。」
朱天は桃華を真っ直ぐ見つめた。
「それに、裏切ったのは我ではない。」
一拍。
「天界の方よ。」
桃華の表情が強張る。
「どういう意味です。」
朱天は歩き始める。
「昼。」
洞窟の天井を見上げる。
「天の玉座を守るのは太陽神。」
そして視線を落とす。
「夜。」
「天の玉座を守るのは月神。」
「…………。」
「ならば、その狭間は?」
朱天は自分の胸へ手を当てた。
「昼が終わり、夜が訪れるまで。
夜が終わり、朝が訪れるまで。
天の玉座を守ってきたのは――私だ。」
桃華は黙って聞いている。
「昼を守る者は神。
夜を守る者も神。」
朱天は自嘲するように笑った。
「ならば問おう、桃華。
昼でも夜でもない、その境界を守り続けてきた私は何だ?」
「…………。」
「化身だ。」
朱天は吐き捨てるように言った。
「ただ、それだけだ。」
桃華は何も言えなかった。
「我ら化身は、神々より劣っているのか。」
朱天の声が洞窟へ響く。
「暁より生まれた私。
桃より生まれたお前。
鋼より生まれたキクニ。」
桃華の手に力が入った。
「そして、石より生まれた孫悟空。」
朱天は蜜秋を指差す。
「そこにいる石猿は神仏と並ぶところまで至った!
ならば我らと神々を隔てるものは何だ!」
誰も答えない。
朱天の声だけが響く。
「私は知りたかった。
なぜ我らは神になれぬのか。
なぜ神に仕えることだけを求められるのか。
だから――」
「朱天。」
桃華が遮った。
朱天が止まる。
「出立の間際、素戔嗚様から言われました。」
「……素戔嗚が?」
「はい。」
桃華は聖剣を鞘へ納めた。
その行動に、朱天がわずかに目を見開く。
「あなたに会ったら、まず話を聞いてやってくれ、と。」
「…………。」
「あなたが起こしたこの騒動。」
桃華は静かに続ける。
「かつて自分が天界を追放された時の自分と、どこか重なるのだそうです。」
朱天は何も答えない。
「そして、伝言を預かっています。」
桃華は朱天を真っ直ぐ見つめた。
「――天界を追放された身なれども、三つ柱の一柱として、話くらい聞いてやる。」
沈黙。
長い、長い沈黙。
やがて――。
「……ふっ。」
朱天が笑った。
それまでの嘲るような笑みではない。
ほんの少しだけ、懐かしそうな笑みだった。
「あの男らしい。」
桃華の表情が明るくなる。
「でしたら――」
「だが。」
朱天の笑みが消えた。
「もう手遅れなのだ。」
「……え?」
朱天は桃華を見つめる。
「桃華。」
「なぜ私が、この島を選んだのだと思う?」
「鬼たちを集めるため……ではないのですか?」
「それだけなら、場所などどこでもよい。」
朱天は玉座へ戻る。
そして――。
その横へ退いた。
「――!」
桃華の目が見開かれる。
玉座の背後。
巨大な岩が鎮座していた。
古びた注連縄。
岩肌には幾重もの亀裂。
そして、その隙間から滲み出す黒い靄。
桃華は、その姿を知っていた。
「……要石。」
蜜秋の表情が変わる。
「これが?」
「どうして地上に……。」
朱天は笑う。
「天界にのみ要石があると、誰が言った?」
桃華が息を呑む。
「まさか……。」
「天界と黄泉を隔てる楔があるのならば――」
朱天は足元を指差す。
「地上と黄泉を隔てる楔もまた、存在する。」
ゴゴゴゴゴ……。
大地が揺れた。
要石の亀裂が広がる。
黒い靄が溢れ出す。
蜜秋が如意棒を構えた。
「朱天……まさか。」
「天界はすでに黄泉へと繋がった。」
朱天は両腕を広げる。
「そして地上も――」
要石から、黒い瘴気が噴き出した。
「間もなく黄泉へと繋がる。」
桃華の顔から血の気が引く。
「そんなことをすれば……!」
「太陽は沈む。」
朱天の身体から淡い朱色の光が漏れ始める。
「月も消える。」
朱色の光が闇を照らす。
「天も地も、黄泉の闇に覆われる。」
蜜秋が朱天を睨む。
「それが目的?」
「ああ。」
「なぜ……。」
桃華の声が震える。
朱天は答えた。
「神は、人々の信仰によって生まれる。」
桃華が目を見開く。
「ならば――」
朱天は笑った。
「太陽も月も失われた世界で、人々は何を求める?」
「…………!」
桃華はようやく理解した。
「まさか……。」
「光だ。」
朱天の身体が、暁色の輝きに包まれる。
「永遠の闇に閉ざされた世界で、人々は光を求める。
そして――」
朱天は両腕を広げた。
「その世界で唯一、光をもたらす者を崇める。」
「そのために……。」
桃華は震える声で言った。
「そのために世界を黄泉へ沈めるというのですか。」
朱天は答えない。
「人々に、あなたを求めさせるために。」
桃華は朱天を見つめる。
「信仰を……集めるために。」
朱天の身体から放たれる朱色の光が、さらに強くなる。
闇の中。
ただ一つ輝く――暁。
「昼も夜もない。」
「ただ永遠の闇だけが続く世界。」
朱天は天を仰いだ。
「その世界で私は唯一――」
要石に大きな亀裂が走った。
轟ッ――!
黄泉の闇が噴き上がる。
朱天はその中心で、高らかに告げた。
「世界を照らす――暁の一輝となろう。」
桃華は聖剣の柄を握った。
蜜秋も如意棒を構える。
もはや言葉だけでは止められない。
朱天もまた、狂剣へ手を掛ける。
暁の光と黄泉の闇。
相反する二つの色が、洞窟の中で渦を巻く。
桃華はゆっくりと聖剣を抜いた。
「……ならば。」
その切っ先を朱天へ向ける。
「止めます。」
朱天が笑う。
「やってみるがいい。」
狂剣が鞘から抜き放たれた。
「桃の化身――桃華。」
蜜秋が桃華の隣へ並ぶ。
「僕もいるけど?」
朱天は二人を見据える。
暁。
桃。
そして石。
三人の化身が、ついに相対した。
崩れゆく要石を背に――。
最後の戦いが、始まろうとしていた。
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