風、凪ぐ頃5
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
学科は満点、実技が苦手 そんな悩みが卒業試験で露呈、不合格になってしまった凪 補習過程に移行した彼に待っているのは…… アマツを母とする戦後170年の物語。
本文
第二十話 もう一度
七月。
教育隊。
朝。
格納庫。
白い照明に照らされた訓練用が静かに立っていた。
全高九メートル。
教育隊仕様。
武装は取り外され、実技訓練専用へ変更されている。
凪はその姿を見上げた。
ここから始まった。
補習課程。
実技不合格。
すべての始まりだった。
「緊張してる?」
陽菜が隣へ立つ。
「少し。」
「今日は再試験だもんね。」
凪は静かに頷いた。
「はい。」
◇
教官が補習班を見渡す。
「本日は神威操縦実技再評価を行う。」
「評価項目は変わらない。」
「操縦技術。」
「状況判断。」
「そして。」
「機体との協調。」
「以上。」
格納庫に静けさが広がる。
◇
搭乗。
胸部ハッチが開く。
コクピットへ座る。
固定具が閉じる。
青い光。
神経接続。
《生体認証》
《脳波同期開始》
視界が切り替わる。
巨大な身体が、自分の身体として認識され始める。
「神経接続正常。」
教官の声が届く。
「開始。」
◇
《神威》がゆっくり立ち上がる。
人工筋肉が静かに収縮する。
右足。
左足。
一歩。
また一歩。
以前の凪は。
「正確に動かすこと」だけを考えていた。
今日は違う。
機体の揺れ。
足裏へ伝わる接地感。
人工筋肉の反応。
「……。」
凪は少しだけ歩幅を狭める。
機体が自然と安定した。
◇
演習開始。
障害物。
狭い通路。
段差。
訓練課程は以前と同じだった。
「前方障害。」
凪は慌てない。
視線だけでなく、機体全体の重心を意識する。
右肩が僅かに障害物へ近付く。
以前なら接触していた。
今日は。
ほんの数センチ余裕を残して通過した。
◇
教官は黙って見ていた。
端末へ数字を入力する。
「……。」
動きはまだ速くない。
洗練されてもいない。
だが。
機体を無理に動かしていない。
まるで対話するような操縦だった。
◇
最後の課題。
指定位置への停止。
凪はゆっくり息を整える。
焦らない。
止めようとするのではなく。
機体が止まりやすいように導く。
人工筋肉の力が静かに抜ける。
《神威》は吸い込まれるように停止線へ収まった。
誤差。
三センチ。
格納庫が静まり返る。
◇
神経接続解除。
コクピットが開く。
凪は地上へ降り立った。
教官が近付いてくる。
しばらく何も言わない。
端末を閉じる。
「凪。」
「はい。」
「前回との違いが分かるか。」
凪は少し考える。
「分かりません。」
教官は小さく笑った。
「機体を動かそうとしなくなった。」
「……。」
「機体を理解しようとしていた。」
凪は静かに《神威》を見上げる。
確かに。
今日は命令するのではなく。
機体の反応を感じながら動いていた。
「それでいい。」
教官は頷く。
「技術はまだ足りない。」
「だが。」
「操縦者として一番大切なものは。」
「今日、お前は見せた。」
◇
夕方。
演習場。
陽菜たちが待っていた。
「どうだった?」
凪は少しだけ考える。
そして。
穏やかに答えた。
「前回より。」
「少しだけ仲良くなれた気がします。」
「誰と?」
「《神威》と。」
一瞬静かになる。
次の瞬間。
陽菜が笑い出した。
「それ!」
「凪らしい!」
拓真も苦笑する。
「でも。」
「その感覚は大事だ。」
美琴も頷いた。
「機械も相棒だからね。」
凪はもう一度格納庫を見る。
夕日に照らされた《神威》は、静かにそこに立っていた。
何も語らない。
それでも。
以前より少しだけ近く感じられた。
夏の風が格納庫を吹き抜ける。
凪はその風を受けながら、小さく敬礼した。
それは試験官へではない。
今日、一緒に歩いてくれた相棒への敬礼だった。
ーーー
第二十一話 夏祭り
八月。
沖縄本島北部。
外縁独立機動部隊基地。
朝から快晴だった。
濃い青空に白い積乱雲が浮かび、蝉の声が基地中へ響いている。
正門前には開門を待つ家族連れの列ができていた。
年に一度の基地一般開放日。
納涼基地祭。
隊員だけでなく、地域の人々へ基地を開放する恒例行事だった。
◇
教育隊。
「本日の任務を説明する。」
教官が隊員たちを見渡す。
「実戦訓練ではない。」
「来場者への案内。」
「展示補助。」
「安全確保。」
「地域交流。」
「外縁独立機動部隊も地域の一員だ。」
「笑顔で迎えろ。」
「はい!」
◇
資料館前。
開館準備を終えたアマツは、入口の看板を整えていた。
今日は館長として来館者を迎える。
「凪さん。」
「はい。」
「今日は資料館と展示エリアを案内してください。」
「分かりました。」
「分からないことがあれば、無理に答えなくても構いません。」
「担当者へ繋ぐことも、大切な仕事です。」
「はい。」
凪は静かに頷いた。
◇
午前九時。
開門。
家族連れが一斉に基地へ入ってくる。
子どもたちは目を輝かせながら走り出した。
「あっ!」
「《ハヤテ》だ!」
展示エリアには、実戦配備から二十年を迎えた《ハヤテ》が静かに立っていた。
武装は取り外され、安全展示仕様となっている。
整備員たちが笑顔で説明を続けていた。
◇
「すみません。」
凪が振り返る。
小さな女の子が地図を持って立っていた。
「資料館はどこですか?」
凪はしゃがみ込み、目線を合わせる。
「この道をまっすぐ進むと見えてきます。」
「私も向かいますので、一緒に行きましょう。」
「ありがとう!」
女の子は嬉しそうに母親の手を握った。
◇
資料館。
アマツが展示品の説明をしている。
「こちらは初期型通信端末です。」
「当時は現在ほど通信技術が発達していませんでした。」
来館者たちは熱心に耳を傾けていた。
凪は入口で案内を続ける。
その時、一組の夫婦が近付いてきた。
「あの。」
「はい。」
「受付のお嬢さん。」
「資料館は自由見学ですか?」
少しだけ間が空く。
凪は穏やかに答えた。
「申し訳ありません。」
「私は男性です。」
夫婦は同時に目を丸くした。
「えっ。」
「失礼しました!」
「気になさらないでください。」
凪は微笑みながら入館証を渡す。
「館内は自由見学です。」
「ごゆっくりご覧ください。」
夫婦は何度も頭を下げながら館内へ入っていった。
少し離れた場所で見ていたアマツは、小さく微笑んでいた。
◇
昼。
屋外広場。
屋台が並び、子どもたちの笑い声が響いている。
焼きそば。
かき氷。
沖縄そば。
地元商店も出店していた。
「凪!」
陽菜が手を振る。
「休憩?」
「はい。」
「ちょうど今からです。」
「一緒に食べよう!」
四人は木陰のベンチへ座った。
そこへ小学生くらいの男の子が近付いてくる。
「あの!」
「はい。」
「お兄ちゃん!」
「《ハヤテ》って空飛ぶの?」
凪は少し笑う。
「飛びます。」
「すごい!」
「僕も乗れる?」
「今は展示だけですが。」
「大きくなって隊員になれば、乗れるかもしれません。」
少年の目が輝いた。
「本当!?」
「はい。」
「じゃあ勉強する!」
元気よく走っていく。
陽菜がその背中を見送りながら笑った。
「夢を一つ増やしたね。」
凪は首を傾げる。
「そうでしょうか。」
「うん。」
「きっとね。」
◇
午後。
飛行展示。
場内アナウンスが流れる。
『ただいまより、多目的支援機飛行展示を行います。』
歓声が上がる。
二機の《ハヤテ》が滑らかに離陸する。
青空を背景に旋回。
姿勢制御。
低速飛行。
実戦ではなく、安全性を重視した展示飛行だった。
子どもたちは空を指差して歓声を上げる。
凪もその姿を見上げる。
隣にはアマツが立っていた。
「綺麗ですね。」
凪が呟く。
「ええ。」
アマツは静かに頷く。
「昔は。」
「空を見上げる余裕もありませんでした。」
「今は違います。」
「皆さんが笑顔で空を見上げています。」
その言葉に、凪は展示飛行を見つめたまま小さく頷いた。
◇
夕方。
祭りは終わりを迎える。
帰っていく人々が何度も隊員へ手を振っていた。
「また来年!」
「ありがとう!」
その声が基地中へ響く。
片付けを終えた凪は、正門から外を見つめる。
夕日に照らされた基地。
笑顔で帰る家族。
静かになっていく会場。
アマツが隣へ来た。
「疲れましたか。」
「少しだけ。」
「ですが。」
凪は穏やかに笑う。
「今日は、たくさんの人が笑っていました。」
「その笑顔を見られて良かったです。」
アマツも静かに微笑む。
「それが、この基地祭を続けている理由なのかもしれません。」
夏の夕焼けが基地を優しく包む。
遠くで片付けを終えた《ハヤテ》が格納庫へ戻っていく。
戦うためだけではない。
人と人を繋ぐためにも、この基地はここにある。
凪はその景色を静かに胸へ刻みながら、ゆっくりと資料館への道を歩き始めた。
ーーー
第二十二話 教えるということ
八月。
基地祭から三日後。
教育隊。
朝。
夏の日差しは今日も強い。
グラウンドでは新入隊員たちが整列していた。
補習課程の凪たちも、その後方に並ぶ。
教官が全員を見回した。
「本日の午前訓練は装備点検。」
「補習課程は新人の補助に回る。」
「分からないことは教えてやれ。」
「了解!」
◇
装備倉庫。
新品の装具が机の上へ並べられている。
通信端末。
救急ポーチ。
耐熱手袋。
保護ヘルメット。
一人の新入隊員が困った表情で装備を見つめていた。
「どうしましたか。」
凪が声を掛ける。
「あっ……。」
新人は少し照れたように笑う。
「救急ポーチの固定方法が分からなくて。」
凪は隣へしゃがみ込む。
「こちらです。」
ベルトへ通す。
固定具を確認する。
最後に軽く引いて緩みがないか確かめる。
「これで大丈夫です。」
新人は目を丸くした。
「早い……。」
「毎日やっていますから。」
「ありがとうございます!」
◇
少し離れた場所。
教官は腕を組んでその様子を見ていた。
何も言わない。
端末へ短く記録を残す。
---
補習課程 凪
説明能力 良好
相手の理解速度に合わせた指導を確認
---
◇
午前訓練。
負傷者搬送訓練。
新人たちは二人一組で担架を運んでいる。
「足並みを揃えろ!」
教官の声が飛ぶ。
その中で一人だけ歩幅が合わず、担架が大きく揺れた。
凪は近付く。
「少しよろしいですか。」
「はい!」
「担架を見るのではなく。」
「前を歩く人の肩を見ると合わせやすくなります。」
新人は半信半疑で頷いた。
もう一度。
「せーの!」
今度は揺れが小さい。
「あっ。」
「本当だ。」
「歩きやすい。」
凪は小さく頷く。
「良かったです。」
◇
昼休み。
食堂。
陽菜が笑いながら向かいへ座る。
「今日は先生だったね。」
「先生……。」
「新人、みんな凪のところに集まってたよ。」
拓真も頷く。
「説明が分かりやすいんだろう。」
「そうでしょうか。」
「うん。」
美琴も笑顔を見せる。
「凪は相手が分からないところまで待ってくれるから。」
凪は少し考える。
「私は。」
「教えていただいた通りに説明しただけです。」
「だからじゃない?」
陽菜が笑う。
「教えてもらった人って。」
「教えるのも上手だったりするよ。」
◇
午後。
教官室。
「凪。」
「はい。」
教官が一枚の紙を差し出す。
「来週から。」
「新入隊員向けの装備講習を一部担当しろ。」
凪は少し驚く。
「私が……ですか。」
「ああ。」
「十分任せられる。」
「……了解しました。」
教官は静かに頷いた。
「教えるということは。」
「自分も学び直すということだ。」
「忘れるな。」
「はい。」
◇
夕方。
資料館。
閉館後。
凪は展示ケースを拭いていた。
「母さん。」
「はい。」
「来週。」
「新人へ装備講習を担当することになりました。」
アマツの手が止まる。
そして、穏やかに微笑んだ。
「そうですか。」
「嬉しいです。」
「私がでしょうか。」
「いいえ。」
「教える立場になったことがです。」
凪は静かに展示室を見回した。
この資料館にも、多くの記録が残されている。
歴史を伝える場所。
教育隊もまた、知識と経験を次の世代へ伝える場所だった。
「母さん。」
「私は。」
「まだ教わることの方が多いです。」
アマツは優しく答える。
「それでいいのです。」
「学び続ける人ほど。」
「良い先生になります。」
窓の外では、夕焼けに染まった空を一羽の海鳥がゆっくりと横切っていく。
凪はその姿を見送りながら、小さく頷いた。
今度は、自分が誰かの一歩を支える番なのだと。
ーーー
第二十三話 司令官の巡視
八月。
午前。
教育隊。
いつもより少しだけ空気が引き締まっていた。
訓練開始十分前。
教官たちが整列する。
「総員、気を付け。」
号令が響く。
補習課程の隊員たちも一斉に姿勢を正した。
基地の奥から数名の隊員が歩いてくる。
先頭に立つのは、一人の女性だった。
茶色の短い髪。
琥珀色の瞳。
引き締まった細身の体躯。
肩には司令官の階級章。
外縁独立機動部隊司令官。
神谷ひかり。
その一歩一歩に無駄がない。
しかし、どこか親しみやすい雰囲気もあった。
◇
「教育隊、敬礼!」
「──敬礼!」
ひかりは一人ひとりの顔をゆっくり見渡す。
「楽に。」
その一言で張り詰めた空気が少し和らぐ。
「今日は巡視だから、そんなに固くならなくていいよ。」
隊員たちから小さな笑みが漏れた。
教官が一歩前へ出る。
「現在、補習課程を含め、全課程とも予定どおり進行しております。」
「ありがとう。」
ひかりは頷く。
「じゃあ、少し見せてもらうね。」
◇
訓練が始まる。
基礎体術。
搬送訓練。
通信訓練。
ひかりは一切口を挟まない。
ただ静かに見守っていた。
途中、一人の新人隊員が転倒する。
周囲が駆け寄ろうとした、その前に。
凪が自然と手を差し伸べていた。
「立てますか。」
「はい!」
「焦らなくて大丈夫です。」
新人は頷き、再び列へ戻る。
その様子を、ひかりは静かに見ていた。
◇
午前訓練終了。
教官室。
「司令官。」
教官が報告書を差し出す。
「補習課程所属、凪です。」
ひかりは資料へ目を通す。
実技評価。
座学評価。
任務同行記録。
新人指導記録。
ページをめくるたび、評価欄には安定した文字が並んでいた。
「実技はまだ発展途上。」
教官が言う。
「ですが。」
「人を見る力があります。」
ひかりは報告書を閉じる。
「会ってみてもいい?」
「もちろんです。」
◇
中庭。
木陰。
凪は装備を整備していた。
「凪。」
教官に呼ばれる。
「はい。」
振り向くと、ひかりが立っていた。
凪は素早く敬礼する。
「教育隊補習課程所属、凪です。」
「楽にして。」
ひかりは笑顔を見せた。
「そんなに緊張しなくていい。」
「はい。」
「初任務、報告書を読んだよ。」
「通信支援、良かったって。」
「ありがとうございます。」
ひかりは少しだけ凪を見る。
「教官からも聞いた。」
「新人にも慕われてるみたいだね。」
「……そのようです。」
少し困ったような返事だった。
ひかりは思わず笑う。
「自覚ないんだ。」
◇
少しだけ沈黙が流れる。
蝉の声だけが響いていた。
「凪。」
「はい。」
「強い隊員って、どんな人だと思う?」
突然の質問だった。
凪は考える。
「任務を遂行できる人でしょうか。」
ひかりはゆっくり首を横に振る。
「それもある。」
「でもね。」
「私は。」
「周りを安心させられる人が、一番強いと思ってる。」
凪は静かに聞いていた。
「その人がいるだけで。」
「大丈夫って思える。」
「そんな隊員を育てたい。」
ひかりは笑顔で続ける。
「報告書を読んで。」
「少しだけ、そんな素質があると思った。」
◇
「司令官。」
遠くから隊員が呼ぶ。
「会議の時間です。」
「あ、もうそんな時間か。」
ひかりは立ち上がる。
「またね。」
「はい。」
敬礼。
ひかりも敬礼を返し、そのまま歩いていく。
◇
その後ろ姿を、凪はしばらく見送っていた。
派手ではない。
大きな声を出すわけでもない。
それでも。
基地中の隊員が自然と背筋を伸ばす。
そんな人だった。
◇
夕方。
資料館。
「母さん。」
「はい。」
「今日。」
「司令官とお話ししました。」
アマツは静かに微笑む。
「神谷司令官ですね。」
「はい。」
凪は窓の外を見る。
基地本部の庁舎には、夕日が静かに差し込んでいた。
「司令官は。」
「強い人でした。」
アマツは首を横に振る。
「ええ。」
「ですが。」
「きっと神谷司令官は。」
「強くあろうと努力し続けている人なのです。」
凪はその言葉を胸の中で繰り返す。
生まれつき強い人ではない。
歩み続けたからこそ、今の姿がある。
夕暮れの基地には、今日も静かなラッパの音が響いていた。
その音は、一日を終える合図であると同時に、また明日へ歩き出す合図でもあった。
ーーー
第二十四話 夏の午後
八月。
教育隊。
午後。
炎天下での訓練を終え、隊員たちはそれぞれ休憩へ入っていた。
蝉の鳴き声が途切れることなく響く。
木陰では補習課程の四人がスポーツドリンクを片手に腰を下ろしていた。
「暑い……。」
陽菜が大きく息を吐く。
「毎年こんなだったかな。」
拓真が苦笑する。
「毎年言ってる。」
「そうだった?」
「そうだ。」
美琴も笑った。
凪は静かにボトルの水滴を眺めている。
「凪は暑くないの?」
陽菜が尋ねる。
「暑いです。」
「でも顔に出ないね。」
「そうでしょうか。」
「うん。」
凪は少し考えた。
「まだ感情表現が少ないのかもしれません。」
陽菜は笑いながら首を振る。
「違う違う。」
「前よりずっと表情あるよ。」
「え?」
「最初なんて。」
「人形みたいだった。」
「今は普通に笑うし。」
「困る顔もする。」
美琴も頷く。
「この前、新人に先輩って呼ばれた時。」
「少し困ってた。」
「……そうでした。」
凪も思い出したように小さく笑った。
その笑顔を見て、三人も自然と笑う。
◇
その時だった。
「補習班!」
教官の声が響く。
四人は立ち上がる。
「はい!」
「訓練場の給水設備に不具合が出た。」
「応急点検を手伝え。」
「了解!」
四人は駆け出した。
◇
訓練場。
蛇口から水が出ない。
整備員が配管を確認している。
「圧力が落ちてますね。」
拓真が言う。
「こちら側のバルブかもしれません。」
凪は配管図を確認する。
「給水経路は二系統あります。」
「こちらが止まっています。」
整備員が頷いた。
「その通り。」
「補助頼む。」
工具を受け取る。
凪は整備員の指示どおりバルブを操作した。
数秒後。
勢いよく水が流れ始める。
「復旧!」
陽菜が嬉しそうに声を上げた。
整備員も笑う。
「助かった。」
「午後の訓練に間に合う。」
◇
作業を終え、四人は再び木陰へ戻る。
「凪。」
拓真が口を開いた。
「配管図、全部覚えてるのか?」
「はい。」
「教育資料に載っていました。」
「全部?」
「はい。」
陽菜が苦笑する。
「やっぱり天才。」
凪は首を横に振る。
「違います。」
「覚えることしか得意ではありません。」
美琴が穏やかに言った。
「でも。」
「覚えたことをちゃんと使える人は少ないよ。」
「……。」
凪は返事をしなかった。
◇
午後の訓練が終わる。
帰り道。
基地内の売店の前を通る。
陽菜が急に立ち止まった。
「アイス食べよう!」
「賛成。」
拓真も頷く。
四人は売店へ入る。
冷凍ケースの前で陽菜が振り返る。
「凪。」
「何味?」
「おすすめで。」
「それ一番困る!」
店員まで笑ってしまった。
結局。
陽菜が選んだのは沖縄らしいシークヮーサー味だった。
「はい。」
「ありがとうございます。」
凪は一口食べる。
少しだけ目を見開いた。
「酸っぱいです。」
その一言で三人は吹き出した。
「だから言ったのに!」
「でも美味しいでしょ?」
凪はもう一口食べる。
「……はい。」
「美味しいです。」
その表情は、ほんの少しだけ柔らかかった。
◇
夕方。
資料館への帰り道。
凪は今日のことを思い返していた。
訓練。
給水設備の点検。
アイス。
特別な出来事は何もない。
それでも。
自然と笑い合う時間があった。
資料館の入口では、アマツが夕方の水やりをしていた。
「おかえりなさい。」
「ただいま帰りました。」
アマツは凪の表情を見る。
「今日は良い一日だったようですね。」
凪は少しだけ考えた。
そして、小さく頷く。
「はい。」
「今日は。」
「皆さんと、たくさん笑いました。」
その言葉を聞いたアマツは、何も言わず静かに微笑んだ。
夏の夕暮れ。
庭に咲く白い花が、涼しい風に揺れていた。
作品統計
📚 本を探すなら「よみどき」(あいぺんが運営する本の発見サイト)
130万冊を超えるコミック・小説・書籍の順位と値段を毎日みて、いま読むものを決められます。