第3話 廃線区の回収——FREE UPGRADE

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/9/4 📚 シリーズ: その腕、天才につき 〜スクラップ都市の機化傭兵〜 📝 3,694文字 ✅ 全年齢

あらすじ

その腕、天才につき 〜スクラップ都市の機化傭兵〜 - 第3話 廃線区の回収——FREE UPGRADE

本文

廃線区の回収——FREE UPGRADE

廃線区は市場街の外れから始まる、昔の地下鉄の口だ。

今は物流には利用されていないが、昔はここを高速鉄道が通って、塔へと物資を運んでいたそうだ。塔が生きていたころ、この暗がりは星への荷物で渋滞していたことになる。

今は架線が蔓みたいに垂れて、枕木の隙間に苔が育っている。

寂れた施設には、置き去りのものが残っている。回収の依頼書にはそう書いてあった。今回の仕事は、そんな廃線区の変電室から制御基板を三枚とってくる仕事だ。単価は安い。場所も悪い。それだけの仕事だ。

トンネルの口の手前で、ドクが言った。

『座りなさい』

「仕事の前だぞ」

『仕事の前だからよ。その歩き方で暗がりに入る気? 三歩で転ぶわ』

言い合う時間のほうが無駄だった。俺は枕木に座った。

ドクが横にしゃがんで、俺の足首を覗き込んだ。今日は袖を絞った作業着だ。髪も上げている。

言われるまま、左足首の外装を開ける。

奥に調整の輪が三つ並んでいた。上から、接地の予圧。反発の行程。関節の遊び。

どの足首にもあって、誰も触らないのだという。

上から二番目を右に四分の一。次は膝裏のダンパーの行程。次は股関節の荷重テーブルとやらで、眼の端に数字を出して、ドクの言う値に合わせる。

五二対四八。俺の体重は、生まれてからずっと右に二パーセント多く住んでいたらしい。

どうせ気休めだろう、と思っていた。ネジ三つと数字ひとつで何が変わる。

『終わり。立って、歩いて』

立った。歩いた。

音が消えた。

今までの俺は、一歩ごとにどこかが軋んでいたらしい。無くなってから初めて分かった。傾いたぶんを腰で補う、あの癖ごと要らなくなっていた。まっすぐ立つというのは、こんなに軽い。

「……何をした」

『何も。パーツは一個も替えてない。設定を合わせただけ』

ドクの解説はこうだ。俺の脚は右が八洲やしま、左が漢陽ハンヤン。

八洲やしまは路面を関節の遊びで吸収する設計で、漢陽ハンヤンは剛性で受けて反発で返す設計。

思想が逆なのだ。混ぜると、どちらの脚も受け持たない振動が生まれる。

行き場を失った振動は、最後に腰へ届く。俺の軋みの正体はそれだった。

「銘柄が違うと、ダメってことか」

『違うわ。合わせていないのがダメなの。パーツは買った瞬間の性能じゃない。合わせた瞬間の性能。でも調整は医者の仕事で、医者は高い。だから世界の九割は、性能を出し切らないまま平気で歩いてるのよ』

『逆に言えば——調整さえすれば、金を払わずに強くなれる。あんたには口うるさい医者がタダで付いてる。使いなさい』

『あんたの身体、まだ自分の力を知らないのよ』

ドクは少し得意げだった。

「そうかよ」

金を払わずに強くなれる。実際、俺は何も買っていないのに強くなった。この理屈は、癖になりそうだった。

※

トンネルの中は、外より時間が止まっていた。

ホームの駅名標は錆で読めない。壁のケーブルは銅だけ抜かれて、皮だけが蛇の脱け殻みたいに垂れている。

先客は何十年も前に仕事を終えたらしい。ホームの奥で線路は二手に分かれ、片方は太い隔壁で塞がれていた。錆の下に、消えかけた矢印と「塔」の一字が残っている。

変電室は廃駅の奥にあった。埃と錆と、古い油の匂い。

眼を増感に切り替えて、碍子の並んだ棚の裏から基板を三枚、留め具ごと外して背負い袋に入れる。

留め具の裏に防錆の脂がまだ生きていた。いいものは、暗いところで黙って残っている。

『この変電室、まだ生きてる系統が残ってるわね』

「だから何だよ」

『いいえ。覚えておくだけ』

増感する視界の端で、何かが一瞬、妙にきれいに光った。

しかし、振り向いても錆びた配管しかなかった。

「気のせいか」

仕事としてはそれで終わりのはずだった。

出口の光の前に、男が立っていた。

でかい。肩幅が扉ほどある。胴も腕も装甲の塊で、その天辺に載った顔だけが生身だった。若い。たぶん俺と幾つも違わない。腕も脚も胴も、艶のある同じ灰色で揃えてあった。

「その袋、置いてけ。ここはうちのシマの出物だ」

「依頼書がある」

「紙が何だって?」

男は答える代わりに、足元のレールを掴んだ。

指が四本、鋼にめり込む。枕木ごと持ち上がったレールが、飴みたいにしなって、闇の奥へ投げ捨てられた。轟音。埃。

眼の端で、心拍の数字が跳ねた。

『掴まれたら終わりよ』

ドクの声が、初めて硬かった。

『あの握力はあんたの胴を潰せる。距離を切らしなさい』

逃げ道を数えた。出口はヤツの後ろ。穴に戻れば袋ごと詰む。口の中が乾いていた。

頭の中で、ドクの声が続いた。

『看破(タグ)を描くわよ』

「なんだよ。それ」

その瞬間視界が、一度だけ薄く沈んだ。

埃も、錆びたレールも、男の巨体も、色が半分抜ける。

そして視界の上に赤が乗った。

男の肩の後ろに、短い線が一本。

踏み込んだ左足の、外側の縁に沿って、もう一本。

そして、男の右側の床に、細い線がゆっくり伸びていった。壁際のレールを越えて、その向こうまで。

「なっ」

穴の底で天井に引かれたのと同じ色だ。

今度は、人の上に引かれている。

『私の診断をHUDに実体化したわ』

『肩の線は、押す場所。足の線は、払う場所』

「二箇所か」

『二箇所よ。あの図体を持ち上げる必要はないの。あの男は自分の速さで倒れるから。うまくやりなさい』

ドクは男の後ろに立っていた。倒れてくるほうを見ている。

線は、男が動くたびについてくる。

一歩踏み替えれば足の線もそこへ移る。肩が回れば、肩の線も回るようだ。

「なるほど。常に相手の弱点が見えるのは便利だ」

あとは身体がついていけるかだな。

『ヤツは全身を八洲やしまの吊るしで揃えているわ。お金はかけているようだけど。一歩目で右に沈んだところを見ると——調整を入れていない。だから型番既定の癖が、そのまま入ってるの』

『この時代ってこんな奴らばかりなのかしら』

「……それ、さっきまでの俺と同じってことか」

『そういうこと。あんたはさっき、自分の傾きを直したでしょう。同じよ。がっかりだわ』

男がまっすぐ突っ込んできた。性能をゴリ押しするような、単純な動きだった。単純で、速い。壁が飛んでくるのと同じだ。

息を一瞬吐いて、同時に右足を引いた。

風が頬の横を通る。掠めた指先が背負い袋の肩紐を千切って、背中がふっと軽くなった。

男は的を見失った。踏み込んだ足がそのまま伸びきって、上半身だけが先へ行く。

肩の線が、こちらを向いた。

左手で押した。

力はほとんど要らなかった。壁を押したのではなく、倒れかけている物を、倒れる方向へ少し送った感じだ。動きがなめらかすぎて、自分の腕じゃないみたいだった。さっきまでの俺なら、この半歩が間に合っていない。

巨体が傾いた。自分の速度に、押された速度が乗る。

足の線が、目の前に来た。

右足を出して、その縁を軽く払った。

鉄と鉄がぶつかる音がして、男はレールの間に肩から落ちた。

床に引かれていた線の、ちょうど上だった。

線は、まだ消えていない。倒れた男の肩の上に、まだ引かれている。

息が上がっていた。三つ数えるあいだ、動けなかった。

男の右腕が動く。起き上がろうと床を突いたその右肘が、嫌な角度に泳いだ。俺の右腕と同じ、あの型落ち特有の軸の泳ぎ方だった。

そのタイムラグを逃さず、膝で踏んだ。

すぐさま背中を上から押さえつけ、ヤツを地面に縫い付けた。

「動くな。軸が飛ぶぞ。八洲やしまの肘は、直すと高くつくんだ。知ってるよな」

男は動かなかった。賢明だった。

立ち上がって、千切れた袋を拾い直した。膝が小さく震えていた。今ごろになって、心拍の数字が下がりはじめる。

もう一度やれと言われても、たぶん無理だ。

気づいたら、また笑っていた。

『及第点ね』

ドクの声は涼しかった。

『ただし踏み込みが三センチ深い。帰ったら直すわよ』

どこまでも微調整の女だった。

「なあ、ドク。さっきの半歩——あれ、俺が引いたのか」

『……さあ』

口の減らない女が、そこだけ静かだった。

※

分所に戻ったのは日暮れ前だった。市場街は夕方がいちばん火花が多い。

解体屋が一日ぶんの仕事を燃やしきる時間だ。

基板三枚、検品通過。報酬は即日払いの現金と、現物がひとつ。中古の足首ユニットだ。9級の報酬は半分が物で来る。

ひと月ぶんの飯と、左足首の換えが一個。今日の稼ぎはそれで全部だ。

「あの吊るしの男、金はかけてたんだろ。なんで俺が勝てた」

『調整の話はしたわね。もうひとつはね、あれが地球の八洲やしまだから』

「八洲やしまは八洲やしまだろ」

『名前だけね。本社はとっくに星の外で、地球の工場に許している型は何世代か前のもの。星の外の正規品と、地球で買える八洲やしまは、同じ看板の別の商品なの。高い金で新品を買っても、設計は昔のまま。あの男が買ったのは、そういう身体よ』

「換えたら、また調整からやり直しだろ」

『望むところよ』

ドクは受付の台の縁に腰かけていた。人が来ても、どかない。

受付の女は伝票に判を押しながら、こっちを見ずに言った。

「廃線区の入り口で、うちの常連が肘をやられたって泣いてたよ」

「へえ」

「今の八洲やしま崩し、どこの筋だ」

「……どこも。フリーだよ」

受付は判を置いて、初めて顔を上げた。値踏みする目だった。

頭の中で、ドクが満更でもなさそうに鼻を鳴らした。

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