第3話 廃線区の回収——FREE UPGRADE
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あらすじ
その腕、天才につき 〜スクラップ都市の機化傭兵〜 - 第3話 廃線区の回収——FREE UPGRADE
本文
廃線区の回収——FREE UPGRADE
廃線区は市場街の外れから始まる、昔の地下鉄の口だ。
今は物流には利用されていないが、昔はここを高速鉄道が通って、塔へと物資を運んでいたそうだ。塔が生きていたころ、この暗がりは星への荷物で渋滞していたことになる。
今は架線が蔓みたいに垂れて、枕木の隙間に苔が育っている。
寂れた施設には、置き去りのものが残っている。回収の依頼書にはそう書いてあった。今回の仕事は、そんな廃線区の変電室から制御基板を三枚とってくる仕事だ。単価は安い。場所も悪い。それだけの仕事だ。
トンネルの口の手前で、ドクが言った。
『座りなさい』
「仕事の前だぞ」
『仕事の前だからよ。その歩き方で暗がりに入る気? 三歩で転ぶわ』
言い合う時間のほうが無駄だった。俺は枕木に座った。
ドクが横にしゃがんで、俺の足首を覗き込んだ。今日は袖を絞った作業着だ。髪も上げている。
言われるまま、左足首の外装を開ける。
奥に調整の輪が三つ並んでいた。上から、接地の予圧。反発の行程。関節の遊び。
どの足首にもあって、誰も触らないのだという。
上から二番目を右に四分の一。次は膝裏のダンパーの行程。次は股関節の荷重テーブルとやらで、眼の端に数字を出して、ドクの言う値に合わせる。
五二対四八。俺の体重は、生まれてからずっと右に二パーセント多く住んでいたらしい。
どうせ気休めだろう、と思っていた。ネジ三つと数字ひとつで何が変わる。
『終わり。立って、歩いて』
立った。歩いた。
音が消えた。
今までの俺は、一歩ごとにどこかが軋んでいたらしい。無くなってから初めて分かった。傾いたぶんを腰で補う、あの癖ごと要らなくなっていた。まっすぐ立つというのは、こんなに軽い。
「……何をした」
『何も。パーツは一個も替えてない。設定を合わせただけ』
ドクの解説はこうだ。俺の脚は右が八洲やしま、左が漢陽ハンヤン。
八洲やしまは路面を関節の遊びで吸収する設計で、漢陽ハンヤンは剛性で受けて反発で返す設計。
思想が逆なのだ。混ぜると、どちらの脚も受け持たない振動が生まれる。
行き場を失った振動は、最後に腰へ届く。俺の軋みの正体はそれだった。
「銘柄が違うと、ダメってことか」
『違うわ。合わせていないのがダメなの。パーツは買った瞬間の性能じゃない。合わせた瞬間の性能。でも調整は医者の仕事で、医者は高い。だから世界の九割は、性能を出し切らないまま平気で歩いてるのよ』
『逆に言えば——調整さえすれば、金を払わずに強くなれる。あんたには口うるさい医者がタダで付いてる。使いなさい』
『あんたの身体、まだ自分の力を知らないのよ』
ドクは少し得意げだった。
「そうかよ」
金を払わずに強くなれる。実際、俺は何も買っていないのに強くなった。この理屈は、癖になりそうだった。
※
トンネルの中は、外より時間が止まっていた。
ホームの駅名標は錆で読めない。壁のケーブルは銅だけ抜かれて、皮だけが蛇の脱け殻みたいに垂れている。
先客は何十年も前に仕事を終えたらしい。ホームの奥で線路は二手に分かれ、片方は太い隔壁で塞がれていた。錆の下に、消えかけた矢印と「塔」の一字が残っている。
変電室は廃駅の奥にあった。埃と錆と、古い油の匂い。
眼を増感に切り替えて、碍子の並んだ棚の裏から基板を三枚、留め具ごと外して背負い袋に入れる。
留め具の裏に防錆の脂がまだ生きていた。いいものは、暗いところで黙って残っている。
『この変電室、まだ生きてる系統が残ってるわね』
「だから何だよ」
『いいえ。覚えておくだけ』
増感する視界の端で、何かが一瞬、妙にきれいに光った。
しかし、振り向いても錆びた配管しかなかった。
「気のせいか」
仕事としてはそれで終わりのはずだった。
出口の光の前に、男が立っていた。
でかい。肩幅が扉ほどある。胴も腕も装甲の塊で、その天辺に載った顔だけが生身だった。若い。たぶん俺と幾つも違わない。腕も脚も胴も、艶のある同じ灰色で揃えてあった。
「その袋、置いてけ。ここはうちのシマの出物だ」
「依頼書がある」
「紙が何だって?」
男は答える代わりに、足元のレールを掴んだ。
指が四本、鋼にめり込む。枕木ごと持ち上がったレールが、飴みたいにしなって、闇の奥へ投げ捨てられた。轟音。埃。
眼の端で、心拍の数字が跳ねた。
『掴まれたら終わりよ』
ドクの声が、初めて硬かった。
『あの握力はあんたの胴を潰せる。距離を切らしなさい』
逃げ道を数えた。出口はヤツの後ろ。穴に戻れば袋ごと詰む。口の中が乾いていた。
頭の中で、ドクの声が続いた。
『看破(タグ)を描くわよ』
「なんだよ。それ」
その瞬間視界が、一度だけ薄く沈んだ。
埃も、錆びたレールも、男の巨体も、色が半分抜ける。
そして視界の上に赤が乗った。
男の肩の後ろに、短い線が一本。
踏み込んだ左足の、外側の縁に沿って、もう一本。
そして、男の右側の床に、細い線がゆっくり伸びていった。壁際のレールを越えて、その向こうまで。
「なっ」
穴の底で天井に引かれたのと同じ色だ。
今度は、人の上に引かれている。
『私の診断をHUDに実体化したわ』
『肩の線は、押す場所。足の線は、払う場所』
「二箇所か」
『二箇所よ。あの図体を持ち上げる必要はないの。あの男は自分の速さで倒れるから。うまくやりなさい』
ドクは男の後ろに立っていた。倒れてくるほうを見ている。
線は、男が動くたびについてくる。
一歩踏み替えれば足の線もそこへ移る。肩が回れば、肩の線も回るようだ。
「なるほど。常に相手の弱点が見えるのは便利だ」
あとは身体がついていけるかだな。
『ヤツは全身を八洲やしまの吊るしで揃えているわ。お金はかけているようだけど。一歩目で右に沈んだところを見ると——調整を入れていない。だから型番既定の癖が、そのまま入ってるの』
『この時代ってこんな奴らばかりなのかしら』
「……それ、さっきまでの俺と同じってことか」
『そういうこと。あんたはさっき、自分の傾きを直したでしょう。同じよ。がっかりだわ』
男がまっすぐ突っ込んできた。性能をゴリ押しするような、単純な動きだった。単純で、速い。壁が飛んでくるのと同じだ。
息を一瞬吐いて、同時に右足を引いた。
風が頬の横を通る。掠めた指先が背負い袋の肩紐を千切って、背中がふっと軽くなった。
男は的を見失った。踏み込んだ足がそのまま伸びきって、上半身だけが先へ行く。
肩の線が、こちらを向いた。
左手で押した。
力はほとんど要らなかった。壁を押したのではなく、倒れかけている物を、倒れる方向へ少し送った感じだ。動きがなめらかすぎて、自分の腕じゃないみたいだった。さっきまでの俺なら、この半歩が間に合っていない。
巨体が傾いた。自分の速度に、押された速度が乗る。
足の線が、目の前に来た。
右足を出して、その縁を軽く払った。
鉄と鉄がぶつかる音がして、男はレールの間に肩から落ちた。
床に引かれていた線の、ちょうど上だった。
線は、まだ消えていない。倒れた男の肩の上に、まだ引かれている。
息が上がっていた。三つ数えるあいだ、動けなかった。
男の右腕が動く。起き上がろうと床を突いたその右肘が、嫌な角度に泳いだ。俺の右腕と同じ、あの型落ち特有の軸の泳ぎ方だった。
そのタイムラグを逃さず、膝で踏んだ。
すぐさま背中を上から押さえつけ、ヤツを地面に縫い付けた。
「動くな。軸が飛ぶぞ。八洲やしまの肘は、直すと高くつくんだ。知ってるよな」
男は動かなかった。賢明だった。
立ち上がって、千切れた袋を拾い直した。膝が小さく震えていた。今ごろになって、心拍の数字が下がりはじめる。
もう一度やれと言われても、たぶん無理だ。
気づいたら、また笑っていた。
『及第点ね』
ドクの声は涼しかった。
『ただし踏み込みが三センチ深い。帰ったら直すわよ』
どこまでも微調整の女だった。
「なあ、ドク。さっきの半歩——あれ、俺が引いたのか」
『……さあ』
口の減らない女が、そこだけ静かだった。
※
分所に戻ったのは日暮れ前だった。市場街は夕方がいちばん火花が多い。
解体屋が一日ぶんの仕事を燃やしきる時間だ。
基板三枚、検品通過。報酬は即日払いの現金と、現物がひとつ。中古の足首ユニットだ。9級の報酬は半分が物で来る。
ひと月ぶんの飯と、左足首の換えが一個。今日の稼ぎはそれで全部だ。
「あの吊るしの男、金はかけてたんだろ。なんで俺が勝てた」
『調整の話はしたわね。もうひとつはね、あれが地球の八洲やしまだから』
「八洲やしまは八洲やしまだろ」
『名前だけね。本社はとっくに星の外で、地球の工場に許している型は何世代か前のもの。星の外の正規品と、地球で買える八洲やしまは、同じ看板の別の商品なの。高い金で新品を買っても、設計は昔のまま。あの男が買ったのは、そういう身体よ』
「換えたら、また調整からやり直しだろ」
『望むところよ』
ドクは受付の台の縁に腰かけていた。人が来ても、どかない。
受付の女は伝票に判を押しながら、こっちを見ずに言った。
「廃線区の入り口で、うちの常連が肘をやられたって泣いてたよ」
「へえ」
「今の八洲やしま崩し、どこの筋だ」
「……どこも。フリーだよ」
受付は判を置いて、初めて顔を上げた。値踏みする目だった。
頭の中で、ドクが満更でもなさそうに鼻を鳴らした。
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