第15話 8級の一本試験——LONG SHOT
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あらすじ
その腕、天才につき 〜スクラップ都市の機化傭兵〜 - 第15話 8級の一本試験——LONG SHOT
本文
試験の日の朝は、よく晴れていた。
〈起床を確認。五時五十八分。本日は試験日です〉
〈身体、全ユニット稼働。濾過の負荷、正常域〉
〈市中の端末網より。本日の一本試験、受験者は九名。あなたの倍率は——四十倍〉
「四十」
声に出して読んでしまった。九人の中で、いちばん下だ。
『大穴じゃないの。最高ね』
ドクは整備台の縁に腰かけていた。今日は白衣じゃない。仕立てのいい紺の上下に、髪を下ろしている。
「その恰好、初めて見るな」
『試験の日くらい、見られる側の恰好をしておかないとね』
それから、ドクは作業台の隅の布包みを指した。膝の軸受。三日前に夜市で掴まされた偽物だ。入れ替えは、夜明け前にぎりぎりで間に合った。
『それ、持っていきなさい』
「捨てるんじゃないのか」
『ああいう物はね、一番高く売れる場所で使うのよ』
「売れるって、偽物だぞ」
『だから高いの』
説明になっていない。だが、聞いても言わない顔だった。
※
本部前の広場は、朝から人で埋まっていた。
広場の縁の柱で、電光の板が受験者の名前と倍率を流している。同じ数字が、空中にもホロで浮かんでいる。賭けが入るたびに、数字が小さく動く。中継のドローンが、低いところを飛んでいる。白襟しろえりの勤め人たちは、出勤前に端末で賭けを入れていく。
「カイくん!」
人垣から手を振っているのは鈴余すずよだった。
「四十倍見た? あたしもう張ったよ。全部あんたに」
「全部って、いくらだ」
「昼飯三日ぶん」
広場の東側には、ひな壇の観覧席が組まれていた。座席の前の社名のホロ札で、俺に読めたのは渤海ぼっかいの一枚だけだった。
『スカウト席よ。渤海ぼっかいは脚しか作らない会社。脚だけ百年やってるの』
『合格とは別にね、あそこでは人に値札が付くのよ』
場の真ん中に、男が立っていた。
でかい。人垣より頭二つぶん上に、眠そうな生身の顔がある。その下の両腕が、顔と釣り合っていない。前腕の厚みだけで、俺の胴くらいある。両腕を胸の前に上げた構えのまま、彫像みたいに動かない。
男の足元に、白い線が一周、引かれていた。
「壁の関せきだ」と、横の男が連れに言っていた。「今年はまだ誰も一本取ってねえ」
「十年で、取られたのは片手で数えるほどだとよ。あれで5級だ」
5級。ドクが言っていた。この街の傭兵の、いちばん上の層だ。
〈倍率、更新。——カイ、二十六倍〉
「えっ!? 下がってる! あたしが張ったときは四十だったのに!」
「下がると、どうなるんだ」
「大口が入ったの。誰かがあんたに、どんと張ったんだよ」
それでもまだ、九人でいちばん下だ。
※
立会の女がロープの内側に入った。判も帳面も持たず、腰に端末が一つだけ。
「規則を言う。一度しか言わない」
女が声を張ると、広場がすっと静かになった。
「試験は二段だ。まず、受験者九名でやり合ってもらう。落ちるか、場外に出るか、参ったと言えば脱落。落ちた相手に触れた者は、その場で黒名簿に載る。——残りが二人になったところで、そこまでだ。残った二人同士は、戦わない」
「二段目。残った二人が、順にあの壁に挑む。壁から一本取れば、その場で合格。今日から8級だ」
女は、場の真ん中の関せきを指した。
「壁には縛りがある。あの足は、白線の内から動かない。動けないのは壁のほうで、お前たちは好きに動いていい」
人垣のどこかで、それなら楽勝だろう、と笑いが起きた。女は笑わなかった。
「そのかわり、挑む側にも縛りがある。飛び道具は禁止。武器も禁止。徒手空拳のみだ」
「昔、動けない壁を柵の際から狙撃して受かろうとした馬鹿がいてな。それ以来の規則だ。撃ちたい奴は戦場でやれ。ここはリングだ」
「時間は一人三分。ホロの数字が零になったら、そこで終わり。取れなくても死にはしないが、受験料は戻らん。以上」
受験者の控えの列で、隣に立った男が小さく笑った。
「兄ちゃんが四十倍か」
五十がらみの、四角い男だった。肩も腕も荷役の型落ちで、脚も古い。ただ、関節の油の音がしない。着ている物は草臥れているのに、身体の手入れだけは新品みたいだった。
「ドッコだ。十三回目」
「十三……全部、これにか」
「全部これだ」
人垣から、ドッコ、今年こそ、と声が飛んだ。男は手拭いを振って応えた。広場の連中はみんな、この男の名前を知っているらしい。
「兄ちゃん、乱戦は初めてだろう。一つだけ教えといてやる。あそこじゃ、強い奴から潰し合う。黙って端にいろ」
「あんたはどうするんだ」
「わしか。わしは荷物を運ぶ」
※
立会の手が落ちた。
九人は、いっせいには動かなかった。
じり、と輪が縮んで、最初に肩幅のいい9級が動いた。
両腕とも北亜ほくあの武骨な腕だ。
一番近くの一人を掴んで、そのままロープの外へ投げた。
場外。悲鳴と歓声が同時に上がる。
『描くわよ』
視界に赤が走った。人の弱点の線じゃない。流れの線だ。誰が誰へ殺到するか、殺到の道筋だけが、場に浮かんで見える。
『あんたは戦わなくていいの。道を空け続けなさい』
言われたとおりにした。逃げ続けた。
線が交わる場所から、半歩ずつ外れる。
北亜ほくあの男が二人目を弾き出す。弾かれた男の巻き添えの線が俺を通ったから、膝だけ払って場外へ流した。殴ってはいない。
その北亜ほくあの男の背後に、ドッコが立った。
「よ、っと」
荷を担ぐ腰の入れ方だった。北亜ほくあの男は自分の突進の勢いのまま、綺麗に持ち上がって、ロープの外へ置かれた。投げたというより、置いた。
人垣が爆笑して、それから拍手になった。
〈残り、二名〉
「そこまで!」
立会の声で、場が止まった。残っているのは、俺と、ドッコだった。
「上出来だ」と、ドッコが笑った。
「殴らんで残るのが、いちばん賢い」
※
場の上に、ホロの数字が浮かんだ。——180。
倍率の板が、残り時間と並んで流れはじめる。
ドッコは白線の前に立って、首の手拭いを外した。
「十三年ぶん、行ってくる」
本戦、壁の関せきとの勝負が始まった。
まず最初は、ドッコから。
開始の合図と同時に、ドッコは一度だけ正面から当たった。拳が関せきの前腕に触れて、鳴ったのはドッコの指のほうだった。
『見てた? 壁は一歩も動いていないわ。……骨は百錬ひゃくれんね。鍛造のフレームよ』
『百錬のフレームは強靭よ。強靭でいてたわむから、殴られた力を、そのまま上手く殴った側に返すことができる。』
『それができるのも、壁が百錬のフレームに習熟しているからだわ』
「これじゃあ、壁っていうより、壁のほうが殴ってくる感じだ」
『そういうこと。だから誰もダウンを奪えないの』
ドッコは、それきり殴らなかった。
荷役の足運びで白線の周りを回って、受けの腕に触れては離れる。触れるたび、関せきの爪先だけがそちらへ向き直る。
それを、何度も、何度も繰り返す。急がない。
残り時間の数字だけが減っていく。120。90。
人垣が、だんだん静かになっていった。
60を切ったところで、ドッコの右の払いが、死角から初めて顎の高さへ入った。
関せきの右の踵が、指の幅だけ浮いた。
人垣が揺れた。壁が、動きかけた。
十三年通っている連中が、初めて見た、と言っている。
だが浮いた踵は、白線の内側で元へ戻った。
右払いは前腕に受けられていて、それで終わりだった。
0。
ホロの数字が赤く点って、銅鑼みたいな音が鳴った。
ドッコは白線の前で天を仰いで、大の字に息をついた。
「……足りん。今年もか」
拍手は、負けた男に送られた。広場中からだ。ドッコは手拭いを振って応えながら、場を降りた。
関せきが、初めて口を開いた。
「今年のは、惜しかった」
「次で取る」
「待っている」
俺は、踵を見ていた。
右の払いが顎へ入った、あの一瞬。壁の重心は、右の踵へ逃げた。
※
〈次。カイ〉
白線の前に立つと、人垣の音が一段遠くなった。
ホロの数字が、180に戻る。
関せきは構えたまま、俺を見下ろした。眠そうな目が、少しだけ開く。
「好きに来い」
『描くわよ』
視界に赤が走った。
首の付け根へ伸びた線は、前腕で切れている。脇腹への線は肘で切れている。どの線も、あの腕の内側へ入らない。
『……受けに、隙が無いわ』
ドクの声から、楽しさが抜けた。
外から回ってみた。関せきの爪先だけが、こちらへ向き直る。それだけで、線が全部引き直しになった。
120。数字が減るたび、柵の外で倍率の板が動く。二十六倍は、まだ動かない。
〈残り、六十秒〉
『カイ』
ドクが言った。
『あの踵。ドッコが見せてくれたでしょう。顎の高さに払いが入れば、重心は右の踵へ逃げる。——逃げた瞬間だけ、受けの真ん中が、ただの腕になるわ』
『加速。——四秒よ』
視界の端に4が灯った。
音が伸びた。
人垣のどよめきが、長い一つの音になる。ドローンの羽音が、低い唸りに変わる。場の砂埃が、浮いたまま落ちてこない。
自分の息の音だけが、いつもの速さで聞こえた。
3。
左手を、顎の高さへ振った。当てるためじゃない。ドッコの払いの、真似だ。
関せきの重心が、ゆっくりと右の踵へ移っていく。腕はまだ動かない。知覚が先で、動きは遅れたようについてくる。
2。
踏み込んだ。
拳の置き場は、俺が選ぶより先に決まっていた。
赤い線が引かれる。
左の拳が、前腕の受けの真ん中へ行く。空いた場所じゃない。いちばん硬い場所だ。——今だけは、ただの死んだ腕になっている場所。
選び直す時間は、もう無かった。
1。
「いけ」
風を切り裂く音が鳴って、一拍遅れて、もう一度鳴った。
二度目の音は、関せきの身体の奥からだった。鐘の中に立っているような、低い音。
鍛造フレームの内部に浸透するように届いた音だ。
加速中に当てた攻撃が綺麗に、針の穴を通すように導かれた。
加速していた時間が、元に戻る。
振り抜いた先の左足が、地面を踏みしめる。
その瞬間、どよめきが割れて、歓声になった。
関せきの右膝が、指一本ぶん沈んでいた。上げたままだった両腕が、初めて下りた。
ホロの数字は、31で止まっていた。
「—— 一本。」
立会より先に、関せき本人が言った。
両膝の関節が熱い。視界の端でシステムの警告の行が灯って、消えずに残っている。
『動かない。冷めるまで、格好つけて立ってなさい』
※
電光の板の前では、二十六倍に張っていた客が払い戻しの窓口へ押し寄せている。
「払い戻し! 払い戻しの列はどこ!」
鈴余すずよの声がいちばん大きい。隣で、忌那いながこちらに小さく手を上げた。
柵を乗り越えて、場に入ってきた奴がいた。機械の腕の少女だ。上着の背に、蜂の意匠。立会に襟首を掴まれながら、まだ叫んでいる。
「いまの何! ねえ、いまのもう一回やりなさいよ!」
「もう一回って、試験だぞ」
「あんた名前は! 名前!」
答える前に、少女は柵の外へ吊り出されていった。……なんなんだ、あいつは。
関せきが歩いてきて、俺の前で止まった。
「いい一本だ」
大きな掌が、頭の上に乗った。重い。
「芯まで来た。何をしたかは聞かん。——次は受験じゃなく、稽古に来い」
負けたのに、いい顔で場を降りていく。人垣は、その背中にも拍手を送っていた。
人垣の外で、ドッコが手拭いを振り回していた。
「見たか、いまの払い! わしの踵だぞ!」
「あんたのおかげだ」
「十三年通っているが、今のはいい一本だった」
男は笑って、それから急に真顔になった。
「来年は、わしの番だ」
※
「合格。今日から8級だ」
立会の女は、俺の認識票を端末に当てた。票の縁に、細い刻みが一本増える。
窓口では、朝の受験料がそのまま戻ってきた。
「それと、明日、本部の二階に寄りな。8級には話がある」
それから、背負い袋の底から布の包みを出した。
「もう一つ。届けたい物がある」
立会の女の前で、布を開いた。膝の軸受。焼き印は百錬ひゃくれんのものだ。
「三日前に、夜市で買った。正規の検証をかけたら、ライセンスが偽物だった。検証の記録ごと渡す」
「……偽装品か」
「昨日の夜に気づいたから、入れ替えが間に合った。気づかなかったら、これがいま、俺の膝に入ってた」
立会の女は、場の真ん中と電光の板を順に見た。さっきの一本の途中でこれが割れていたら。沈んでいたのは、俺の膝のほうだった。
「試験は賭場でもある。細工の疑いは、興行そのものの話だ。……どこの店だ」
「夜市の、部品屋の列。——店の名前までは、覚えてない」
覚えていた。でも、言わなかった。ドクにそう言われていたからだ。
顔を上げた。人垣のいちばん外に、目の細い若い男が立っている。値踏みをする目で、こっちを見ていた。市場で二度、見た顔だ。
目が合うと、男は帽子のつばに指を当てて、人垣の外へ消えた。
『いまので、双十そうじゅうに貸しが一つできたわ』
ドクが隣で、楽しそうに言った。
「貸し? 偽物を掴まされたのはこっちだぞ」
『公開の場で証拠まで出して、名指しをしなかったのよ。記録のどこにも、双十そうじゅうの名前は出てこない』
『——誰が止めたか、向こうは知っている。それが貸しというものよ』
「……そういう売り方か」
『言ったでしょう。一番高く売れる場所で使うって』
観覧席は、もう片付けが始まっていた。渤海ぼっかいのホロ札の席の男だけが、まだ座っている。拍手もしない。端末も見ない。ただ、こっちを見ている。
「渤海ぼっかいの譚タンだよ」
鈴余すずよが声を落として言った。
「買い付けで有名な人。あの人が最後まで残った試験は、荒れるんだって」
※
帰り道で、払い戻しの束を数える鈴余すずよに聞いた。
「結局、倍率が下がったのはなんだったんだ」
「窓口の子に聞いた。朝いちばんに大口が一枚入って、それで四十が二十六まで動いたの」
「一枚で?」
「一枚で。……ねえカイくん。あんたのこと、昨日まで誰も知らなかったよね?」
級は上がって、受験料は戻って、身体はどこも壊れていない。
「なあ、ドク。あの一発、なんで通ったんだ。踵は分かる。でも、受けの真ん中だぞ」
『……整備してから考えるわ』
口の減らない女が、それきり黙った。
『まあ、上々よ。金、装備、級。——残りは部屋と、それから塔』
指を折るドクの横で、俺は別のことを考えていた。
俺がまだ何者でもなかった頃のことを。